第17話「降りる勇気」
九月。
残暑が校舎の壁をじりじりと焼く。
代表就任から三か月。
自治会は落ち着きを取り戻しつつあった。
評決制は定着し、会議は長いが透明だ。
学園祭準備も順調。
だが――
徳川の胸の奥に、違和感があった。
(決める者であり続けること)
代表という座は、常に判断を求める。
小さな要望、細かな調整、緊急対応。
決断は積もる。
責任も積もる。
そして、知らず知らずのうちに、
周囲は“代表の判断”を待つようになっていた。
ある日の会議。
議題は、外部スポンサーの受け入れ。
大手企業が学園祭に資金提供を申し出ている。
条件は、ブース設置と宣伝。
佐伯が言う。
「断る理由はない」
椎名は慎重だ。
「大学の独立性は?」
議論が割れる。
全員の視線が、自然と徳川へ向く。
その瞬間、彼は気づく。
(皆、答えを待っている)
徳川はゆっくり口を開く。
「……多数決を」
だが票は拮抗。
最後の一票は、代表に委ねられる。
静寂。
この一票で決まる。
徳川は目を閉じる。
(また、私が決めるのか)
夜。
下宿の机。
机上にはスポンサー資料。
数字は魅力的だ。
だが、学園祭の色が変わる。
思考が堂々巡りする。
ふと、かつての記憶がよぎる。
天下分け目の決断。
家臣の視線。
重圧。
あの頃と何が違う。
命はかかっていない。
だが信はかかっている。
(私は、また“頂”に縛られているのではないか)
翌日。
徳川は佐伯を呼び出す。
「スポンサー案件、どう思う」
佐伯は即答する。
「受けるべきだ」
「ならば、君が責任を持て」
佐伯が瞬く。
「どういう意味だ」
「副代表として、決断し実行せよ」
「代表は?」
「私は、今回は決めぬ」
空気が変わる。
自治会室。
徳川は宣言する。
「スポンサー案件について、私は採決に加わらない」
ざわめき。
「副代表に最終決定権を委ねる」
椎名が驚く。
「なぜ?」
「代表の一票が、常に結論を決める構図は健全でない」
静まり返る。
徳川は続ける。
「責任は分散せねば育たぬ」
佐伯は戸惑う。
だが、逃げない。
数日後。
佐伯はスポンサー受け入れを決断。
条件を再交渉し、宣伝色を抑える形で合意。
会議で報告する姿は、以前より落ち着いている。
拍手が起こる。
徳川は席で静かにそれを見守る。
(立たぬという選択)
それは怠慢ではない。
場を空けること。
誰かが立てるように。
その夜。
屋上。
三浦が隣に来る。
「最近、お前目立たないな」
「目立つために立ったのではない」
三浦が笑う。
「代表らしくない代表だな」
徳川もわずかに笑う。
「頂は、一人で占めるものではない」
学園祭当日。
スポンサー企業のブースは控えめに設置され、
学生の活動が主役となっている。
演劇サークルは満員。
歓声。
舞台の灯り。
代表挨拶の時間。
徳川はマイクを握る。
だが短い。
「本日は、皆が主役です」
それだけ。
歓声が上がる。
派手な言葉はない。
だが、空気は温かい。
夕暮れ。
キャンパスが橙に染まる。
椎名が隣に立つ。
「あなた、変わった」
「どう」
「前は、全部背負おうとしてた」
徳川は静かに言う。
「背負えば楽だ。決めれば済む」
「でも?」
「それでは、誰も強くならぬ」
椎名は頷く。
代表室。
机に座る。
かつては重く感じた椅子。
今は、少し軽い。
(天下とは、支配ではない)
場を整え、
人が立つ余白を作ること。
降りる勇気は、
敗北ではない。
手放しても、信は消えない。
むしろ広がる。
数日後。
佐伯が言う。
「正直、悔しい」
「何が」
「あなたに任されたことが」
徳川は答える。
「悔しさは、成長の種だ」
佐伯は笑う。
「敵わないな」
「敵ではない」
夜風が涼しい。
秋が近づいている。
徳川は空を見上げる。
かつての天下は、頂点を目指すものだった。
今の天下は、
頂を降り、
誰かの背を押すこと。
静かな満足が胸に広がる。
代表という肩書きは、
もう鎖ではない。
ただの役割。
そして役割は、
やがて次へ渡すもの。
徳川は小さく呟く。
「……降りるもまた、戦」
だがその戦は、剣ではなく、余白で勝つ。




