第16話「揺らぐ信」
代表就任から一か月。
夏は容赦なく照りつける。
自治会室のエアコンは古く、時折うなる。まるで不満を言う家臣のようだ。
徳川は机に向かい、議事録を確認していた。
「学園祭予算、増額要求?」
副代表の佐伯が書類を置く。
「サークル連合が強く出てる。例年より二割増し」
「財源は」
「厳しい」
予算は限られている。
すべてを満たせば赤字だ。
その夜、サークル代表者会議。
熱気がこもる教室。
「学園祭は大学の顔だ!」
「ケチるな!」
声が飛ぶ。
徳川は静かに聞く。
(声が大きいほど、正義とは限らぬ)
一通り意見が出た後、言う。
「全団体に公平な基準を設ける」
ざわめき。
「成果報告と来場見込みを提出してほしい。根拠なき増額は認めぬ」
一部から不満の声。
だが基準は必要だ。
数日後。
問題が起こる。
内部資料が外部に流出。
《代表、予算削減で一部サークル切り捨て》
SNSが騒ぐ。
誰かが会議資料を撮影し、拡散していた。
「内部犯だな」
佐伯が低く言う。
徳川は表情を変えない。
だが胸の奥に冷たいものが落ちる。
(信の裂け目)
調査を始める。
会議出席者は十数名。
誰が撮影したかは不明。
椎名が怒る。
「卑怯よ」
「卑怯でも、起きた」
徳川は事実だけを見る。
感情は後だ。
その晩。
三浦から連絡。
《サークル側、かなり反発してる》
「会う」
翌日、カフェで三浦と向き合う。
「お前、やり方が冷たいって言われてる」
「公平だ」
「でも情がないって」
情。
戦国の世で情は時に弱さだった。
だが今は違うのか。
三浦が続ける。
「削減される団体、存続危機らしい」
徳川は初めて資料から目を離す。
(数字の向こうに、人がいる)
代表室に戻る。
資料を見直す。
削減対象の一つ、小規模演劇サークル。
部員五名。
活動歴は長い。
来場者は少ない。
だが、写真には笑顔がある。
(数字では測れぬ価値)
翌日、直接会いに行く。
部室は狭い。
代表の女子学生が言う。
「なくなったら、続けられません」
声は震えている。
徳川は問いかける。
「続けたい理由は」
「ここが、居場所だからです」
その言葉が胸に刺さる。
居場所。
それは城と同じだ。
守るべきもの。
自治会室。
徳川は方針を修正する。
「削減一律ではなく、段階制にする」
佐伯が眉をひそめる。
「甘い」
「違う。持続可能にする」
椎名は頷く。
だが佐伯は黙る。
数日後。
再び情報が漏れる。
《代表、方針転換。圧力に屈す》
炎は再燃。
佐伯が言う。
「これじゃ統率が取れない」
「誰だ」
「分からない」
だが空気が変わる。
会議中、視線が逸れる者がいる。
小さな沈黙。
信は目に見えない。
だが揺らぎは感じる。
ある夜。
匿名メールが届く。
《あなたの理想は独善だ》
短い一文。
送り主不明。
徳川は画面を閉じる。
(独善)
かつての自分は、そうだったかもしれない。
今もか。
翌日。
佐伯が突然切り出す。
「正直に言う。俺は、あなたのやり方に不満がある」
室内が静まる。
「議論はするが、最後はあなたが決める。民主的とは言い難い」
言葉は鋭い。
だが正面からだ。
徳川は答える。
「責任を負うのは代表だ」
「だからといって、独断が許されるわけじゃない」
視線が交差する。
火花はない。
だが熱はある。
徳川は深く息を吸う。
「ならば、決定方法を改める」
椎名が驚く。
「評決制を導入する。多数決。ただし、少数意見も議事録に明記」
佐伯が目を見開く。
「本気か」
「信は、共有せねば続かぬ」
新制度導入。
会議は長くなる。
だが透明性は増す。
内部の空気も、わずかに柔らぐ。
数日後、流出は止まった。
犯人は特定できない。
だが、揺れは収まる。
夜。
屋上。
風が涼しい。
椎名が隣に立つ。
「大丈夫?」
「揺れた」
「でも倒れなかった」
徳川は空を見上げる。
(信は城壁ではない)
石を積めば完成するものではない。
毎日、積み直すものだ。
三浦からメッセージ。
《演劇サークル、学園祭でメインステージ決定》
小さな勝利。
だが確かな一歩。
徳川は静かに言う。
「信は、命令で生まれぬ」
「選ばれ続けて、ようやく根付く」
孤独はまだある。
だが以前ほど重くない。
頂に立つ者は、すべてを握るのではない。
手放し、分け合う。
それが今の学び。
風が吹く。
夏の匂いが少しだけ和らぐ。
大学という国家は、今日も未完成だ。
そして徳川もまた、未完成のまま進む。
揺らぎながら。
だが、崩れはしない。




