第11話「新たなる城門」
四月。
満開の桜が、巨大なキャンパスを淡く包んでいた。
門柱には大学名。
石造りの威厳ある正門は、かつての城門にも似ている。
徳川 恒一は、その前で立ち止まった。
(……広い)
高校とは比べものにならない敷地。
人の波。
多様な服装。
笑い声、勧誘の叫び、ビラの乱舞。
ここはもう“学び舎”というより、一つの国家だ。
「新入生! サークル入らない?」
いきなりビラを三枚渡される。
軽音、ボランティア、起業研究会。
群雄割拠。
(城を囲む諸侯のようだな)
徳川は淡々と観察する。
誰が主導権を握っているか。
誰が周囲を操っているか。
誰が本気で人を集めているか。
人の流れは、水と同じ。
低きに流れ、勢いある者へ集う。
政治学部の講義室に入る。
三百人規模の大教室。
壇上に立つ教授が、穏やかに語り始めた。
「政治とは何か。権力とは何か」
徳川は、目を細める。
(面白い)
かつて体得したものが、理論として語られている。
国家は暴力の独占。
正統性は同意から生まれる。
統治とは合意の技術。
板書を見ながら、胸が静かに高鳴る。
(我は、理を知らずして実を得た)
だが、今度は違う。
学ぶことができる。
その喜びがあった。
講義後。
隣に座っていた男子学生が話しかけてきた。
「さっきのノート、めちゃくちゃ丁寧だったな」
「必要なことを書いただけだ」
「名前、なんていうの?」
「徳川」
「……マジ?」
一瞬、笑われる。
「すげえ名前だな。俺、三浦」
握手を交わす。
三浦は人懐こい。
「サークル決めた?」
「まだだ」
「自治会どう? けっこう影響力あるぞ」
“自治”。
その言葉に、微かに反応する。
夕方。
キャンパス中央の芝生広場。
各団体が勧誘合戦を繰り広げている。
中でも一際目立つのが、学生自治会のブースだった。
スーツ姿の上級生たち。
整然とした資料。
無駄のない説明。
統率が取れている。
代表らしき三年生が、壇上で演説している。
「学生の声を大学運営に届ける。それが我々の使命です」
堂々とした物腰。
だが徳川は、わずかな違和感を覚えた。
(言葉は整っている。だが……)
熱が足りない。
演説が終わると、拍手が起こる。
三浦が横で囁く。
「自治会は実績あるけどさ、結局は大学側の顔色見てるって噂もある」
「ほう」
「まあ、どこもそんなもんか」
その言葉が、胸に残る。
夜。
下宿の小さな部屋。
机に向かい、今日の出来事を振り返る。
大学は自由だ。
だが自由とは、放置ではない。
秩序がなければ、力ある者が自然と支配する。
(戦国と変わらぬ)
翌週。
自治会の説明会に足を運ぶ。
会議室。
十数名の新入生。
代表が説明を始める。
「我々は大学との橋渡し役です。対立ではなく協調を重視します」
質問タイム。
徳川は、静かに手を挙げた。
「協調とは、どの程度までを指すのか」
代表が少しだけ眉を動かす。
「具体的には?」
「学生の不利益が明確な場合でも、協調を優先するのか」
室内が静まる。
代表は、笑みを崩さず答える。
「現実的な落とし所を探るのが我々の役目です」
美しい言葉。
だが徳川は、さらに問う。
「それは、譲歩と何が違う」
空気が凍る。
三浦が小さく「やば」と呟く。
代表は数秒沈黙し、言った。
「理想だけでは、組織は回りません」
その通りだ。
理想だけでは、国は保てない。
だが。
(理を失えば、信も失う)
説明会後。
廊下で代表が声をかけてきた。
「君、面白いね」
「疑問を述べただけだ」
「自治会、入らないか?」
誘い。
頂へ続く道の、最初の一歩。
だが家康は、即答しなかった。
夜風が、キャンパスを抜ける。
ベンチに座り、思索する。
かつての自分なら、迷わず入った。
組織を掌握し、内部から変える。
だが今は。
(急ぐ必要はない)
天下は、奪うものではない。
築くものだ。
数日後。
三浦が駆け寄ってくる。
「聞いたか? 学費値上げの噂」
「……ほう」
「自治会、何も動いてないらしい」
胸の奥が、静かに揺れる。
自由の裏に潜む、無関心。
これが大学という国の実相か。
徳川は、空を見上げる。
高い。
広い。
だが、この空の下でも、人は同じだ。
不安を抱き、声を上げられずにいる。
(また、試されているのか)
頂に立つためではない。
誰かの隣に立つために。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
「三浦」
「ん?」
「学生の声を集める方法はあるか」
三浦の目が輝く。
「やるのか?」
徳川は、小さく頷いた。
まだ自治会には入らない。
だが、外から動かすことはできる。
城門をくぐったばかりの天下人。
大学という新たな戦場で、
再び“人の心”を巡る戦が始まる。
桜が一枚、肩に落ちる。
それを払いながら、徳川は呟いた。
「……ここもまた、天下の一部」
新たなる城門は、すでに背後にある。
進むのみ。
大学編、開幕。




