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第1話「鳴り止まぬ鐘のあとで」

 ――ここは、戦場ではない。


徳川家康が最初にそう思ったのは、耳を打つ甲高い電子音のせいだった。


「……なんだ、この法螺貝は」


瞼を開けると、そこには見慣れぬ天井があった。木組みでも、障子でもない。白く平らで、妙に均一な模様が続いている。


身体を起こそうとした瞬間、激しい眩暈が家康を襲った。


「ぐ……っ」


頭の奥に、見知らぬ記憶が洪水のように流れ込んでくる。


――令和七年。

――私立蒼天学園高等学校。

――一年三組。

――名前、徳川とくがわ 恒一こういち


「……徳川、だと?」


思わず自分の声を聞き、家康は息を呑んだ。声は若く、張りがあり、老年のそれではない。視線を落とすと、そこには細く引き締まった腕。鎧の重みはなく、代わりに奇妙な布の服が身体を包んでいた。


教室内はざわついている。数十人の若者たちが、思い思いに談笑し、笑い、机を叩いていた。


その全てが――戦場よりも恐ろしい場所に思えた。


「……まさか、死後の世界か?」


記憶ははっきりしている。


関ヶ原を越え、天下を掴み、二百六十年の礎を築いたその果て。老いた身体で床に伏し、静かに息を引き取った。


はずだった。


「なのに……この有様とは」


家康は深く息を吐いた。


そのとき、隣の席から声が飛んできた。


「なあ徳川、今日の現国の小テスト、勉強した?」


「……げん、こく?」


思わず聞き返す。


相手は一瞬きょとんとし、すぐに笑った。


「現代国語だよ。マジ大丈夫か? 昨日から変だぞ」


現代、国語。


言葉の意味を理解した瞬間、家康の胸に奇妙な感覚が芽生えた。


――戦のない時代。

――言葉で争い、評価される世界。


「……なるほど」


彼は、静かに頷いた。


教卓に立った教師が号令をかける。


「はい席につけー。授業始めるぞ」


一斉に椅子が引かれる音。家康も周囲を真似て腰を下ろした。


その所作は不思議なほど自然で、まるで長年この場にいたかのようだった。


だが内心では、必死に思考を巡らせていた。


(まずは状況把握……軽挙は禁物。鳴かぬなら、鳴くまで待とう、か)


無意識に浮かんだその言葉に、彼自身が小さく驚く。


――ああ、確かにこれは、我が生き方であった。


教師の話す内容は、半分も理解できなかった。だが、家康は周囲の生徒たちを観察し続けた。


誰が中心に立ち、

誰が従い、

誰が孤立しているか。


人の集団構造は、時代が変わっても変わらぬ。


(この学び舎も、一つの国……いや、一つの城か)


休み時間。


廊下では笑い声が弾け、スマートフォンなる小さな板を皆が覗き込んでいた。


家康も机の中からそれを取り出す。記憶が使い方を教えてくれる。


画面に映る情報の奔流に、思わず目を細めた。


「……これは、諜報の宝庫ではないか」


戦国の世であれば、いくら金を積んでも手に入らぬ情報が、ここでは指先一つで溢れている。


だが同時に、彼は気づいた。


情報が多すぎるがゆえ、人は惑わされる。


力ではなく、声の大きさが人を動かす世界。


(……天下とは、武だけでは治まらぬということか)


放課後。


家康は校舎裏のベンチに腰を下ろしていた。


夕焼けが、どこか三河の空を思わせる色をしている。


「徳川」


振り返ると、クラスメイトの少女が立っていた。


長い黒髪を揺らし、どこか強気な瞳をしている。


「今日さ、みんなの前で全然喋らなかったでしょ。あんた、前はもっと普通だったのに」


普通。


その言葉が、胸に刺さった。


「……人は、変わるものだ」


自然と出た言葉に、少女は一瞬黙り込む。


「なにそれ。じいさんみたい」


そう言って笑ったが、どこか寂しそうだった。


少女が去ったあと、家康は再び空を仰いだ。


天下を取った。

だが、心は満たされていただろうか。


恐れで支配し、力で抑え、平和を築いた。


だがこの世界では、誰も刀を抜かぬ。


それでも争いはあり、孤独はあり、涙もある。


「……もしや、我が探す天下とは」


この時代で、

この若き身体で、

もう一度問い直せということなのか。


家康は拳を静かに握った。


戦わずして、人を導く道。

奪わずして、心を束ねる道。


それこそが――

この現代という世で試される“天下”。


校舎のチャイムが、再び鳴った。


それは開戦の合図ではない。


彼の第二の人生が、今、確かに始まった音だった。

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