におい
工房を出た時、空はもう夕暮れを過ぎていた。
夜の帳が落ち始めた町は、黒が寄り石畳の黒ずみをより濃く見せ、煙突から吐き出された薄いススが、町の上に低い層を作っている。
鉄粉の臭いがまだ花の奥に残っていて、息を吸う度に喉がざらつくような感じがした。
――操行機。
監督が教えてくれた名前を口の中で反芻する。
人が乗り込み、人の意思で動かす二足歩行の機械。
軍の量産機ほどの規格に縛られず、象徴機ほどの異常ではない、現実の延長線上にある戦うための機械
工房の前で聞いた怒号と、弟子の苛立った声。
重装甲と軽装甲のどちらが客の命を守るかという、あまりにまっとうな争いに、それが戦争と地続きだということを、俺にも分からされてしまった。
宿へ向かう裏通りは、昼間より人が少ない。
露店が片付けられ、店の明かりだけが路地の溝を照らしている。
たまにすれ違う男たちは、仕事終わりなのか腕や頬にススをつけたまま笑っていた。
笑い声が軽く響くと、胸のザワつきが本の少しだけ落ち着いた。
『……俺も、あぁいう顔をしてもいいのか』
不意にそう思ってしまった自分が怖かった。
戦場から逃げるためとはいえ、量産機を、兵士を潰し殺した。
それが数時間前の出来事みたいに鮮明なのに、工房街の熱気と臭いが、そこに薄い膜を貼ろうとしている。
「あなた、考えごとが増えたわね」
リリウスの声が、肩越しに落ちてきた。
「当たり前だろ。――生きるって、考えないと死ぬってことなんだ」
「ふぅん。生きるって、そういうことなの」
言葉が軽い……だが、その軽さがむしろ心に刺さる。
――三百年くらい前ですね。
ギルドの受付の苦笑が頭をよぎる。
こいつは、俺の想像よりずっと長く生きている――にも関わらず、色々と知らないでいる。
古い知識が、今の世界の形と噛み合っていない。
歩いていると、裏通りの安宿の看板が見えた。
戸を押すと、油と干し肉の匂いが混じった空気が流れ出てきた。
酒場ほど賑やかではないが、今夜も客は居る。
その中でも目を引いたのは何の変哲もない、壁際のテーブルで食事を掻き込んでいる旅装の男だ。
顔を上げないので見えにくいが、目が、やけに焦点を結ばない。
……眠ったような目。
背筋が冷えた。
工房街の帰り道に見た、人の形をしているのに内側が薄い、生きているのにここには居ないような、そんな人間の視線と同じだった。
俺は目をそらし、階段を上がる。
「さっきの人、変だったな」
「変?」
リリウスが、クスリと笑う気配を含ませる。
「……目が死んでた」
「目が死んでる人は、たくさんいるでしょう?」
言い方が妙に平然としていた。
まるで、見慣れている――いや、見慣れ過ぎている。
「お前、知っているのか?」
「知らない。……でも、匂いはする」
「匂い?」
「眠りの匂い。起こされる前の匂い。あなたがわたしを起こした時の、あの感じに似てる」
鼓動が一段、跳ねた。
象徴機を起動した時の真っ暗なコックピット。同調環の淡い光。寝ぼけた声。あの瞬間に似ている、とリリウスは言った。
「待て。今の言い方――」
「言葉にしない方がいい。耳があるから」
リリウスの声が、ほんの少しだけ低くなった。
誰の耳がある?
監督か?
ギルドか?
それとも、別のナニカか?
急いで部屋に入り、鍵をかける。
外の音が薄い壁越しに聞こえる、狭く、ベッドと小さい机と椅子しかない、俺の部屋。
簡素なベッドに腰を下ろし、手のひらを見た。
工房街で、操行機の胸部に触れた時の感触がまだ残っている。
冷たい金属、硬い装甲、けれど、その奥にある体温みたいなものを、俺は確かに感じた。
象徴機は生体に近い――肉体のような、あれは、触れた人間を呑む。
だが操行機はもっと単純で、もっと現実的で、そして……俺の知っているゲームの延長にある気がする。
だからこそ怖い。
俺が慣れてしまえば、どこまでも行ける――行ける先に戦場がつながっている。
「ソータ」
リリウスが、ベッドの脇に立っていた。
薄い光が輪郭を作り、外套の影が揺れ、目だけが静かにこちらを覗いていた。
「工房街、楽しかった?」
「……楽しいわけないだろ」
「嘘。目が少し光ってた」
そう言われると反論できない。
俺は、操行機を見て興奮し、心が跳ねた気がした。
こんな状況だというのに。
「さっき見た操行機が――俺がやっていたゲームに出てくるロボットにそっくりで……」
「でしょうね」
リリウスは、あっさり頷いた。
「象徴機は、あなたを試す。操行機は、あなたに従う。――だから、楽」
「楽って……」
「楽よ。従うものは使われる。使われるものは壊される」
その言い方は冷たいのに、妙に現実的だった。
リリウスは嗜虐的だ。
悪趣味で、たまに心を凍らせるような言動をするが、戦争の現実を知っている声だ。
「……俺は壊れたくないし、壊したくない」
「なら、壊されないように生きなさい」
リリウスは、まるで簡単なことのように言うが、その壊さないは、ここでは簡単なことではないだろう。
「外の空気を吸った方が良いわ」
俺が弱っていると見たのか、リリウスは慣れた手つきで窓を開けた。
外の景色は、ススの層が薄く漂い、星が見えにくいが星のない夜ではない、静かな夜だ。
――そのはずだった。
遠く、本の一瞬だけ、空の端が虹色に滲んだ。
雷でも火でもない、空気の薄い膜がまるで刃物で切られたみたいに。
「今の――」
「見えた?」
「見えた。なんだ、あれ」
リリウスはしばらく黙りこみ、そして困ったように肩をすくめた。
「しらない。――ただ、嫌な臭い」
その一言が、俺の背筋に氷を滑らせた。
嫌な臭い。眠りの匂い。耳がある――全てがつながっていく。
「ソータ。あなた、ここに長くいない方がいいかも」
「急になんだよ」
「あなたが動かした象徴が――あれは、世界のルールを変える」
「世界のルールって……」
まるで昔、同じことが起きたのを知っているみたいに、リリウスは淡々という。
「人を燃やして動かすルール。人を集めるルール。あなたの世界から、人を連れてくるルール」
喉が詰まった。
「……やめてくれ」
「やめない。だって、始まっちゃったもの」
リリウスは、にやりと笑った。
悪魔の笑みだ。
けれど、その目の奥に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ焦りみたいなものが見えた気がした。
俺は窓から目を下ろし、両手で顔を覆った。
外の物音が遠い。
部屋の心許ない灯りが揺れる。
胸の奥の余熱がじわりと熱を増す。
もう一度。
もっと上手く。
そんな囁きが俺の中に生まれてくる。
「違う。それは俺の声じゃない」と否定しても、俺の声として聞こえてしまう。
「明日――」
俺は、指の隙間から言った。
「明日、監督に聞く。工房街で、操行機のことをもっと知る。……俺が生き残るために必要なことだ」
「いい子」
リリウスの声が、柔らかく落ちた。
「あなたはちゃんと進む。だから、面しろい」
面白い――その言葉が、今夜は少しだけ救いになった。
嵐の前でも休まなければ体がもたない。
そう思って目を閉じた瞬間、再び空の端がわずかに虹色に滲んだ気がした。
次は、もっと近いのかもしれない。
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