初めての仕事
目を覚ました時、部屋はまだ薄暗かった。
夜が完全に明けきる前の、ほんのちょっとの時間帯だ。
木窓の隙間から、淡い光が斜めに差し込み、床板の上に細い帯を作っている。
空気は冷たく、湿り気を含んでいた。
俺は一度、大きく息を吸った。
胸が上下し、心臓が正しく脈打っているのが分かった。
――俺はちゃんと生きている。
血と火と鉄の音が響いていた、あれほど濃密だった戦場の感覚が嘘みたいに遠い。
視線を巡らせていると、足元で動く気配に気づいた。
ベッドに腰掛け、足を組んだリリウスが居た。
朝の光が彼女の輪郭をなぞり、白く淡く浮かび上がらせている。
影は薄く、まるでこの部屋と乖離した、実在しない像のようだった。
一瞬、その姿が神様のように神聖なものに見えて思考が止まった。
一昨日、象徴機の中で感じていた禍々しさや嗜虐的な気配が全く存在せず、ただ静けさだけがあった。
あり得ない錯覚にも関わらず、目が離せないでいた。
「……なに、その顔」
リリウスが気だるげにあくびを噛み殺す。
その瞬間に、錯覚は壊れた。
「人間って、朝はそんな間抜けな顔になるの?」
「起きたばかりだから……」
俺は視線をそらし、頭を掻いた。
いつから起きていたのか、リリウスの身なりはすでに整っており――いや、昨日のままと言っても差し支えないくらいに整っていた。
「それより」
俺は、リリウスが持っている物に目を向けた。
「なに読んでるんだよ」
そこにあったのは小さな冊子――俺の生徒手帳だった。
うちの高校はこういったことに厳しく、生徒手帳の携帯は必須という古い考えの学校だった。
あの変な液体に漬かっていたせいで全体的にヨレてしまっているが、読めなくはないだろう。
「これ? あなたの記録」
「記録って……」
「名前、年齢、所属に顔の微細画まである。便利ね」
別にどこにでもある、中学生の時と変わりない生徒手帳だ。
「勝手に見るなよ」
「いいじゃない。減るものじゃないし」
リリウスは悪びれもせずページをめくった。
「これ、いつごろ描かれた絵なの?」
「絵?」とそのようなものを生徒手帳に描いた記憶が無かったのでリリウスの手元の生徒手帳に目をやると、そこには俺の顔写真があった。
「顔写真か……今年――二カ月くらいに前だな」
「今と少し違う」
「そんな馬鹿な……」と思うと同時に、その一言に胸の奥がざらついた。
確かに違う。
あの写真の俺は、異世界で人型兵器きを奪って逃げる未来なんて想像もしていなかった。
写真の中の俺は、無防備で平和だった。
「で?」
リリウスはいつもの嗜虐的な笑みを浮かべて、興味深そうに首をかしげる。
「あなた、どこから来たの?」
「……日本」
「にほん?」
発音を確かめるように、ゆっくりと口にする。
「国なの?」
「そうだ」
「変わった名前ね」
「そうだろうか?」と思ったが、否定せずに終わってしまった。
「逆に聞くが、この国の名前はなんだ? っていうか、何なんだ、あのロボットの軍団は」
「ハウゼール王国よ。ロボットは……知らないわ。あんな型、知らないもの」
「リリウスが居たあのデカいロボットは? あの袋の中身は、みんな人間なのか?」
「移動要塞よ。わたしのお家、わたしの祭壇。袋は、よく分からないけど、人が入っていたなら魔力を抽出する魔力袋ね。お家を動かすための燃料」
自分も入っていたから分かる、分かり切った答えが返ってきた。
あの胸の奥から吸い取られていた感覚は本物で、それが魔力だったという話。
「じゃぁ、あれ全部、人間だっていうのか!? リリウスの命令なのか?」
「わたしじゃないわ。寝てたし。わたしのお家を動かすために人間が勝手にやったこと」
分からないことだらけだったが、リリウスの命令で行われたことではないと分かり、少しだけホッとした。
それと同時に、鼻の奥でジトッとしたあの液体の臭いが沸き上がってきた。
いつ頃からの記憶が無いだろうか?
授業中だった気もするし、登校中だった気もする。朝食を食べている時だった気もする。
あの袋の数は、クラスメイトの人数よりもずっと多かった。
もしかしたら、全校生徒が犠牲になった……?
考えるだけでも恐ろしく、めまいがした。
「それより、もっと考えることがあるんじゃない?」
「もっと?」
こんな状況で何を考えろというのか?
「一晩泊って、ご飯も食べた」
「そうか……」
リリウスに言われて思い出した。
あの魔力袋の中身のことで頭がいっぱいだったが、俺は今、無一文に近い状態でハウゼール王国から逃げなくてはいけなかったのだ。
そこで駆けこんだこの町で金を稼ぐために、昨日、冒険者ギルドに登録したのだ。
ポケットの中に入っている銀貨の残りを考える。
「あと一日が限界ってところ?」
ズバリ、リリウスが言い当てた。
「宿代は安くないし、食事も必要。人間って面倒ね」
直面している現実が重くのしかかってきた。
昨日からまともに食事をとっていなかったので、お腹も空いてきた。
「ギルドへ行く前に、何か食べよう」
「それが良いわ」
身体を伸ばし、少しだけストレッチをしてベッドから立ち上がった。
★
朝食は、安さ優先で買った堅く美味しくないパンと何の肉か分からない串焼きで済ませた。
リリウスに食事を勧めると、「わたしは魔力を食べているからいらないの。食事は趣味みたいなものよ」と返された。
体よく不味いパンを断られただけな気はするが、魔力袋を考えたら納得するしかなかった。
ギルドは昨日と違う空気をまとっていた。
朝の冒険者ギルドは静かで、酒の匂いはほとんど残っていない。
代わりに、紙と汗のにおいが濃い。
昨日、見た掲示板の前で足を止める。
「……昨日と変わっていないな」
「簡単な依頼は、すぐになくなるものよ」
仕方がないので、自分でもできそうな、簡単そうな依頼を手に取り受付へ持っていく。
しかし、予想に反して受付は首を横に振った。
「申し訳ありませんが、新人の方に単独の仕事は出せません」
言い切った。
「近くで戦争もしている。魔力反応も増えている。新人が怪我でもしたら、ギルドの責任になりますので」
正論だ。
反論する気は起きなかった。
「……魔力はありますか?」
「魔力……?」
象徴機を動かせたアレで良いのだろうか、とリリウスを見ると頷いた。
「あります」
「作業依頼ならあります。外壁修繕の補助。魔道作業機を監督の下で使う作業が――」
俺は一瞬考え、頷いた。
「それでお願いします」
リリウスが小さく笑う。
「いいじゃない。象徴機以外を知る良い機会よ」
★
作業現場は、町の外壁だった。
石積みの壁には、戦争の影響なのか、それともそれ以外なのか細かなヒビが走っている。
その前に鎮座していたのが、魔道作業機だった。
多脚の台座にクレーンゲームのようなアームが付いており、装甲は分厚く人型ではない分、鈍重そうだ。
「……これを操作するのか」
「補助だけだ。主操作は俺がやる」
現場監督らしい男が、簡易操作盤を示した。
反応は予想通り鈍く、思考と直結する象徴機とは違い、操作には必ず入力が必要になる。
「遅い……」
「安全装置が多いからな」
監督が肩をすくめる。
「確認することなく操作できるタイプもあるが、こういった公共の仕事は事故を起こさないことが優先されているから、こういった確認が必要になってくる」
「まっ、人を殺さないための機構だな」と、その言葉が妙な引っ掛かりを覚えた。
操作を続けるうちに感覚が掴めてきた。
象徴機と違い、こちらは俺がやっていたゲームと言うよりクレーンゲームなどの筐体系のゲームの感覚に近い。
考える前にやれてしまう象徴機とは全く違った。
「二足歩行のロボットの場合、操作方法は魔道作業機と同じ感じですか?」
「馬鹿いえ。こんなまどろっこしい入力なんかやっていたら、敵にやられちまうわ」
「ガハハ」と監督は笑った。
「なんだ? 二足歩行のロボットに興味があるのか?」
「すっ、少しだけ……」
「なら、工房街に行けばいい。見学くらいなら、好きにできるだろう」
「あそこだ」と、監督がアゴでしゃくった先は、外壁の内側にある商店街だった。
「見える範囲には多脚の作業機械しかないが、奥の方には傭兵が使っているタイプがあるはずだ」
軒先では、今使っている魔道作業機と同じタイプが修理されている。
奥とは裏通りとかのことだろうか?
「見に行くならこの仕事が終わってからだが、あんまし深入りするなよ」
そういうと監督は再び「ガハハ」と豪快に笑った。
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