マヤラト山ふもとの町へ
意識が戻った時、まず目に入ったのは薄い光だった。
それは、同調環だった。
空気の揺らぎが輪郭を作り、淡く、静かに漂っているような感覚。
あれだけ赤黒く濁っていたはずの光輪は、今は何事もなかったかのように整っていた。
身体は――動く。
吐き気も、頭痛もない。
骨が軋むような痛みもない。
あの地獄のような数分間が嘘だったかのように、俺は自分の手を握って確かめることができた。
ただ、胸の奥にだけ妙な余熱が残っていた。
火傷のような熱さではない、もっと曖昧で、もっと厄介な――「もう一度、今度はもっと上手くやれる」と囁くような、そんな薄い興奮だ。
「あら、起きたの?」
目の前で声がした。
声の主は見えなかったが、次第に空気が固まるように輪郭がはっきりとし始めると、それは人の形になっていった。
「お前、何やってるんだ……?」
「寝てた。だってあれ、疲れるんだもの。あなたの方が頑丈ね」
眠気を引きずるような、けれどどこか愉しげな声。
この機体――象徴機と呼ばれていたな――から現れた女の子は、ふっと笑った。
「頑丈だって? あんなボコボコにやられて無事な訳――」
そう言いながら体の不調を確認していると、起き抜けの鈍い感覚以外で不調と言った不調は特になかった。
敵の攻撃を受ける度に、肉が、骨が軋むような感覚があり、最後の同調の時は死んだかと思ったくらいだ。
「無事と言えるほど、無事ではないかもね。魂と身体の噛み合わせが悪くなるのが普通だし、あなたは……そうね、馴染みがいいっていうのかしら?」
馴染み――。
その言葉が、背筋に冷たい物を走らせた。
俺はこの機体に選ばれたのか、それとも移動要塞のアレのような都合のいい存在なのか……。
同調環の外――機体の視界を通して、水面に揺らぐ月が映っていた。
「ここ……どこだ?」
「マヤラト山の湖底よ。戦場を飛び出した後、相手国がこちらに起死回生の一撃を与え、両者痛み分け。私たちはその混乱に乗じて丸半日逃げ続けたの」
「そうか……終わったのか」
あの恐ろしい戦場から離れられたのが嬉しかった。
「少なくとも、今はね。あなたがあれだけ潰してくれたおかげで戦場がぐちゃぐちゃ。……賢い相手なら、危ない奴に構うより理解できる敵を選ぶんじゃない?」
賢い相手……。
良い方が妙に引っかかった。
まるで、「賢くない相手もいる」と言外に示しているようだった。
俺は一度、深く、深く息を吐く。
生き延びたが、次に何をするかは決まっていない。
ここに留まればいずれ増援が来る。
しかし、逃げようにも、どこへ逃げればいいか分からない。
「お前――」
「リリウスよ。わたしの名前」
「お前なんて、つまんない名前、嫌い」と面白くなさそうに呟いた。
「あなたの名前は、なんて言うの?」
今度は楽しそうに、まるで子供が友達を作るかのように聞いてきた。
「今矢蒼汰」
「ソータ、ね」
俺がリリウスに名前を教えると、同調環がヴンと反応した。
リリウスが俺を認識したからか、それともこの機体に「餌」として認識されたからか。
「次は、どうしようか……」
現状に理解が追い付いていないが、あの戦場から逃げられたことだけは分かった。
だからこそ、というべきだろうか、動かなければ恐ろしいことになるという考えが頭を支配していた。
俺の独り言に、リリウスは少し考えるそぶりを見せた。
「まずは隠す。あなたは今、あなたにとっても世界にとっても目立ちすぎる」
そう言われ、俺は自分が来ている服――高校の制服に目を落とした。
「この近く――山の麓に町がある。そこそこ、大きい町。そこで身なりを整えたら?」
目の前に簡易の地図が表示される。
道なき道を進むような道程だったが、目立つ象徴機で歩き回る――それこそ町の近くまで行くなんて自殺行為なので、道なき道でも歩くしかなさそうだった。
「分かった。いったん、外に出たいんだけど」
「わかったわ」
機体が起き上がる感覚がすると、湖底を歩き、岸へとたどり着く。
胸部装甲が開くと、俺の目の前は意識が落ちたかのように暗転し、次の瞬間には外に立っていた。
「外……」
感覚では1時間程度。
実時間でも半日ぶり程度の外の空気だというのに、まるで何年も閉じ込められていた牢屋から出た気分だった。
「あら? ずいぶんと気持ちよさそうじゃない?」
気づいたら、リリウスも隣に居た。
「リリウスまで外に出たら、象徴機は誰が動かすんだ?」
「そんなの簡単よ」
そういうと、象徴機は自動で胸部装甲を閉じ、ひとりでに湖へと戻っていった。
月に照らされている黒い湖面に黒い装甲が呑み込まれ始め、最後に角のような突起が一瞬だけ月光を反射し、それも消える。
水面は、何事もなかったかのように静まり返った。
俺は、その場に立ち尽くした。
戦場のど真ん中に立たせた存在だというのに、守られていた、守ってくれていたような存在でもあった象徴機が消えたせいで、足元が急に不安定に感じた。
巨大な何かを失った安心と同時に、取り返しのつかない物を預けたような不安。
「……本当にこれで大丈夫なのか?」
「少なくとも、今日は見つからないわ」
今日は
その言葉の含みを、俺はあえて追及しなかった。
そこから山道を下った。
「夜目が効く」とリリウスは言い先を歩いてくれたおかげで、道に迷うことなく歩くことができた。
不安に感じていた獣道だったが、意外にも整備とまではいかないまでも、道は存在していたので歩きやすくあった。
空が紫になり、朝陽が上り始める。
それに伴い、足の疲れが増していき、時間の経過を教えてくれる。
戦場の臭いは薄れ、代わりに土と草の匂いが濃くなっていった。
やがて畑が見え始め、その奥には石壁に囲まれた町が見えた。
小さな町だったが、ひとの気配がある。
声がある。
生活がある。
漫画や小説では門番が立っていて、町に入るためのお金が必要と言われるシーンだろうが、堂々とした様子のリリウスに付いていくと、問題なく町に入ることができた。
門をくぐる――いや、門をくぐる前から、やはり視線を感じた。
汚れていなくても、制服は目立つ。
視線が痛い。
でも、敵意はない。
ただの好奇心の目だ。
「まずは、服が必要ね」
「金がないけど」
「その服を売ればいいじゃない」
「これは……」
学校の制服を売れと言われ、正直、俺は戸惑った。
この制服に価値があるわけではないが、これを手放すことで、元の世界から遠ざかってしまうんじゃないか、と考えてしまったからだ。
「イヤなの……? じゃぁ、他に何か――その指輪とか良いんじゃない?」
指にはまっている指輪をリリウスが指さした。
この指輪は意匠が気に入って、バイトをしてやっと買ったものだ。
思いいれは制服なんかよりもあるが、さっきのことを考えれば制服よりも手放しやすかった。
露店が並ぶ通りで、金物を扱っていそうな店に入る。
そこで店主にシルバーリングの買い取りをお願いする。
「これ、買い取ってもらえますか?」
店主は指で指輪を回し、細工を確かめていると目つきが変わった。
「……いい仕事だな。こっちの流行じゃないが、価値はある」
提示された金額は、銀貨五枚だった。
それが、この指輪の価値として相応しいのか分からなかったが、俺にはそれが分からないし、リリウスも特に何も言わなかったので交渉成立となった。
その金を元手に服屋に寄った。
既製品などはなく、服はオーダーメイドか中古の服が普通だという。
銀貨一枚で中古の中でも質がよさそうな物を見繕ってもらい、俺は簡素な上着と動きやすいズボン用意してもらった。
鏡は高級品で貴族しか使わないらしく自分の姿を確認することはできなかったが、リリウスが言うには「ようやく人間側ね」ということらしかった。
その言い回しに、「そうか」としか返すことができなかった。
服屋を出る前に、俺は店主に尋ねた。
「この町で働くには、どうしたらいいですか?」
「冒険者ギルドだね。一番、早い」
街の静かな活気を横目にリリウスと連れ立って、教えられた方向へ向かう。
石造りの建物で、扉は開け放たれ、中から人の声と酒の匂いが流れてくる。
「あら、ここは……」
「知ってるのか?」
「はい」とも「いいえ」とも言わずに、リリウスはツカツカと遠慮なく冒険者ギルドへと入っていく。
俺もその後ろを、|下手な行動を打たないように《・・・・・・・・・・・・・》受付へ向かい歩いていく。
「……ここ、昔は貴族の私兵詰所だったはずだけど」
リリウスが、受付の目の前で建物を見上げながら首を傾げた。
石材の積み方、門の位置、内側へ続く動線。
――確かに、ただの民間施設にしては、無駄に頑丈そうな内装だ。
「それ、三百年くらい前の話ですね」
受付の男は、書類から目を離さずに答えた。
慣れた口調だった。
こういう古い知識を披露する客は少なくないのだろう。
「今は冒険者ギルドです。貴族の私兵も、今じゃ雇われ仕事に名前を変えただけですよ」
軽い冗談めかした言い方だったが、その裏には現実が透けていた。
時代が変わり、役割が変わり、名前だけが残る。
――そういう場所だ。
「それで、本日はどのようなご用件で?」
「仕事が欲しい」
「戦闘職――ではないですね。一般職で?」
「一般職?」
話を聞けば、戦闘職は読んで字のごとく戦うことを生業とする人間のことで、つまり、本やアニメで見る冒険者らしい冒険者のことだ。
一般職と言うのは、荷運びや倉庫の整理、夜警と言った戦闘に従事しない仕事のことをいう。
掲示板に目を向けると、紙切れが何枚も打ち受けられ、文字の癖も内容もバラバラだ。
そして、「少ないのでは?」と思った一般職も内容は多岐に渡るがあった。
一般職の方で簡単な登録を済ませる。
名前、年齢、得意なこと。
深くは聞かれない。
それが逆に、この場所の性質を物語っているように思えた。
「これなら、何とかなるな……」
渡されたギルドカードを見つめ、この世界に馴染む第一歩が踏み出せたようで少しだけ安堵した。
「他に何かご用件は?」
「今日、泊まれる場所が必要で」
俺がそういうと、受けつけの男は少しアゴに手をやり考えた。
「なら、裏の通りにある銀亭という宿ですね。安いし、大所帯がはけた後だから今夜は空いているはずです。運が良い」
受付に礼を言い、キョロキョロと掲示板に貼りつけられている仕事の紙や、昼間から酒を飲んでいる酔っ払いを見ているリリウスに声をかけ教えてもらった銀亭へ向かう。
銀亭はすぐに見つかった。
一晩、銀貨一枚。
重くも軽くもない、ただの鉄の塊のような鍵を渡される。
それが妙に頼もしく感じられた。
宿は質素だった。
廊下は狭く壁も薄かったが、それでも扉を閉めれば外の喧騒と少し離れられ落ち着くことはできた。
部屋の中はベッドだけという、本当に「寝るだけ」の場所だった。
それでも、腰を下ろした瞬間、体の奥から力が抜けていくのが分かった。
「――今日はよく眠れそうだ」
「えぇ。今日は、ね」
リリウスの声がすぐ近くで静かに響く。
その、「今日は」がどこを指すのか考えないようにした。
靴を脱ぎベッドに横になると、天井のシミをぼんやり眺めながら静かに目を閉じた。
嵐の前の静けさだったとしても、今は眠りたかった……。
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