ポケットの中
───幼い頃から、彼女はいつもとなりにいた。
幼稚園の頃は、彼女のことを“うるさいヤツ”だと思っていた。
なんでもかんでも仕切りたがって、やたらと俺に勝負を挑んできては、負けると泣いて、勝ってもなぜか泣いて。
家が近所なこともあり、小学校の頃は毎日のように遊び、秘密基地を作ったり、お互いの家で勉強したりしていた。
変わらず彼女に振り回されることが多かったが、それでもその時間が楽しかった。
秘密基地に行ったり、お互いの家に遊びに行く際には、僕と彼女の「おやつ持参ルール」があった。
でも、彼女はそれをいつも破っていた。
持ってくるはずのお菓子を忘れてきて──
「……半分やる」
そんな彼女に、俺はポケットからチョコをふたつ取り出して、その内のひとつを渡した。
「え、いいの?ありがとう!」
「仕方ねぇからだよ。
別に、お前のためじゃないからな」
口ではそんなことを言いながら、気づけば俺は、彼女が困っているときはいつもそばにいた。
───それから年齢を重ねるにつれ、彼女はどんどん勉強にのめり込んでいった。
勿論それはいいことだ。
しかし、まるで別の世界に行ってしまったような感覚に、何度も心を置いてけぼりにされた。
それでも一緒にいることをやめなかったのはなぜなのか
──そんなもの、俺にはわからなかった。
今、俺と彼女は同じ高校に通っている。
机に広がる、数冊の書籍やノート。
カリカリと心地よいペンの音。
──カーテンの隙間から差し込む光の加減で、伏せられた彼女の睫毛が長く見えた。
「おい、目ぇ悪くなんぞ」
ぶっきらぼうに放った俺の声に、彼女は一瞬だけ顔を上げ、少しだけ笑ってまたノートに目を戻す。
「うん、わかってる。
でも、もうちょっとだけ。
気にかけてくれてありがとうね」
「……別に、そんなんじゃねえけど」
そう言いながら、俺はごまかすようにスマホを手に取った。
彼女が再びノートに没頭する音と、部屋の静けさ。
彼女の髪がさらりと揺れるたびに、俺はなんとなくそちらを見てしまう。
「別に、お前が何やってるかなんて、どうでもいいし……」
小さな声でそう呟いた俺に、彼女はちらりと目を向けて笑った。
「ふふ。ありがとうね。
昔から君は、そうやってわたしのこと気にかけてくれるよね」
「ばっ…ちげーし!」
「またそうやって照れる」
「照れてねぇ!!」
反論する俺に、彼女はノートを閉じて静かに言う。
「─休憩しようか。
なんか急に思い出しちゃった。
あの頃、毎日一緒に帰ってた日とか、基地の中でくだらない話してたこととか」
そして、そっと俺の隣に座った。
近い──いや、昔もこれくらいの距離だったはずなのに、今はなぜかこの距離が落ち着かない。
それだけのことで、やけに心臓がうるさい。
「……お前が勝手に騒いでた記憶しかねぇけどな」
「えー?そうだった?
わたし結構、控えめだったはずだけど」
「どこがだよ。
声はデカいし、菓子は忘れるし……」
「……でも、君はいつも半分くれたじゃん」
「………」
不意に、あの頃の空気が蘇る。
口では文句を言いながら、差し出した手。
彼女の笑顔。
どれも子どもすぎて───だけど眩しかった。
「───今でもさ」
「ん?」
「──お前が忘れるんなら、半分くらいは、くれてやってもいいけど」
「……え?」
「仕方ねぇからな。べ、別に、お前のためとかじゃなくて……」
そう言いながら、俺は彼女から視線を逸らす。
それでも、ちらりと横目で見ると、彼女はあの頃とまったく変わらない笑顔を浮かべていた。
───あの頃。
俺は決まって毎日お菓子を持って行っていた。
─「どうせ、またこいつ忘れてくるだろ」って、わかってたから。
しかも彼女が好きなやつばかり。
──そんなこと、もちろん言ったことはない。
ポケットから取り出して、半分こ。
半分こできないやつはほとんどあげてたような気がする。
─彼女が嬉しそうに笑ってくれるだけで、なんか、それでよかった。
あの頃と同じだ。
今日も、俺のポケットの中には甘いチョコが入っている。
──彼女の好きなやつ。
ちゃんと、ふたつ。
そんなルールも約束ももうないのに、彼女がまた忘れてきても大丈夫なように。
今日も、こっそり用意しておいたことは──きっと、これからも秘密のままなんだろう。
「……はい、休憩終わり。そろそろ続き、やろっか」
彼女の声に小さく頷いて、俺はスマホを伏せ、ペンを手に取った。
ポケットの中のチョコはいつ彼女に渡そうか。
──別に、お前のためじゃないけどな。
そんな言い訳と一緒に、俺はペンを走らせた。
『ポケットの中』
チョコレートも、気持ちも忍ばせている場所。
高校生だし、最後お菓子を入れてるのは鞄の中にしようかなと思ったのですが、このタイトルが思いついたのでポケットにしました。