6話 虹色ウグイス
遂に起こった変態の大量発生は、いよいよ曇町を混沌へと誘った。
五体目のカウボーイタイプ、六体目のマジシャンタイプの登場を皮切りに、曇町の各所で一斉に変態たちが活動を開始した。その数、驚異の二十余名。
多くはチータータイプに分類されるウグイスであったが、パルクールタイプやライダータイプ、ハイエナタイプも複数確認。
カウボーイタイプとマジシャンタイプはそれぞれ一名ずつしか確認されていない。
これより便宜上、チーター、ハイエナ、パルクール、ライダータイプを通常個体。その他を特殊個体と呼称する。
解き放たれた全裸の男共は、縦横無尽に曇町を駆け巡る。その様はこの世の終わりを連想させた。怯える少年、泣き叫ぶ少女、写真を撮る若者、神に祈る老人。
まさに阿鼻叫喚の地獄絵図と化した曇町の空は、それでも抜けるように青く、耳を塞いで上だけ見ていれば、ごく平凡な日常のようにも思われた。しかし首が疲れたと視線を下ろせば、そこに広がるのは非日常。
我が物顔で変態が闊歩するカタストロフィである。
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地獄を走る駆は、覆面の下でニヤリと笑う。仲間全員が活動を始めた。仲間たちの逃走を補助しなければならないバビブ三姉妹の負担は凄まじいだろうが、それは警察も同様だろう。今までにない事態だ。
混乱により機能が麻痺してくれれば万々歳であるが、そこまでいかずとも冷静さを失わせることさえできていればいい。
本命は、注目を集めることだ。今、この事件に対する世間の注目度は最高潮に達しているだろう。これが大事なのだ。
注目を集めること。そして興味を持たれること。皆が話題にし、関心を持つようにすること。そのために二年間かけてきた。これまで打ってきた布石が、ようやく役立つ時が来たのだ。
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カロナールは地獄に虹を見いだすため、自転車を漕ぎながら町のあちこちに目をやっていた。
「駄目だ。全然いない。困ったな……」
俺はその他の個体を無視して、ひたすらチータータイプのウグイスを探し回っていた。
もう少し詳しく言うと、虹色の覆面を被ったチーターのウグイスを追っていた。
数いる変態の中でも、虹色の覆面を被っているのは一体だけであった。あとは通常個体特殊個体含め、全員単色の覆面だ。やはりあの個体だけは特別な存在らしい。そのことも、虹色覆面が本物のウグイスであるという根拠だ。
この騒動は確かに異常だが、目的はあくまでも【曇町のウグイス】本人のみである。彼さえ捕まえれば、後のことなど知ったことではない。しかし、俺が先ほどから遭遇するのは単色の通常個体ばかりであった。
「あ、変態。なんだ、赤色か。お、変態だ。……ハァ、なんだよ。また赤色か。ハズレだな……」
全裸ランナーの存在に全く驚かなくなってきている自分に若干恐怖しながら、俺は町を徘徊した。
「また全裸だ。しかもライダータイプ。レアといえばレアか。でも俺が探してるのは激レア個体なんだよなぁ……。あ、またいた。なんだ、通常個体の虹色覆面ウグイスチーター全裸爆走変態ランナーか。ん? ……いたぁ!」
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油断していたところに標的を発見し、俺は綺麗に二度見した。だが、ボーっとしている暇はない。すぐにハッとして虹色ウグイスを追い始めた。
相手は脱兎の如く猛然と逃げる。その時、俺は気づいた。この区域は閑静な住宅街で、もう少し行ったところには小さな空き地があるはずだ。そして相手はその方角に向かっている。
「だけど、この先は空き地で行き止まりになっているはずだよな。逃げ場がなくなるじゃないか。何故わざわざ自分の首を絞めるようなことをしているんだ?」
その理由はすぐに分かった。ここは一本道になっているのだ。俺が相手を発見した時、相手は空き地側にいた。それから俺が追いかけたので、当然相手はあっちに逃げるしかない。位置が悪かったのだ。
俺たちが空き地のある方角からあと十メートル手前で出会っていれば、十字路があったため、奴は逃げることができただろう。しかし、俺が発見した時点で奴は袋小路に入っていたのだ。周囲には俺と虹色ウグイス以外誰もいないようだった。
やがて俺たちは空き地へと辿り着く。塀に囲まれた空き地には、背の低い草が少々生えているくらいで、他には何もなかった。
相手がこちらに振り返る。俺は自転車を降り、取り出した銃を構えた。集中して狙いを定める。奴は俺のことをじっと見つめていた。緊張で喉が渇く。ゴム弾であるから、狙う場所を間違えなければ相手の命を奪うような事態にはならない。
そうは言っても、銃口を人に向けて平然としていられるほど、俺は非常識ではなかった。
「大丈夫、撃っても死ぬことはない。大丈夫だ……」
自分に言い聞かせるように小声で呟き、俺は引き金にかけた指に力を込めようとした。その時だ。
「ヒヒーン!」
空き地を囲む塀を飛び越え、馬に乗ったカウボーイが登場した。その姿は優雅なもので、神々しくさえ見えた。
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「ヒィーハァー!」
突然のことに動きが止まった俺の手を、カウボーイがムチで正確に捉えた。痛みで銃を取り落としそうになったが、なんとか耐える。
再度銃を構え、今度はカウボーイに標準を合わせた。しかし、引き金を引く前にカウボーイのムチが俺の手首を掴む。
「HAHAHA!」
欧米風の笑い声を上げながら、カウボーイは物凄い力でムチを引っ張る。俺は前方に転倒し、銃を落としてしまった。
虹色ウグイスがここぞとばかりに走ってくる。銃を奪うつもりだと悟った俺は、虹色ウグイスが駆け込んできたのと同時に、手首に絡みついたままのムチを力任せに引っ張った。
ムチがピンと張り、それに引っ掛かってウグイスが転ぶ。俺は手首のムチを外すと、這うようにして移動し、銃を手にした。
カウボーイがもう一度ムチを放ってきたが、後方にジャンプして避け、立ち上がろうとしている虹色ウグイスに銃口を向ける。今度こそ俺は引き金を引いた。
ゴム弾は虹色ウグイスの腹に命中し、彼は撃たれた場所を手で押さえながら地に伏した。
「Oh……bad boy」
カウボーイが俺に向かって呟く。そのカウボーイのことも撃つべく、銃口を向けようとしたところで、突然何かが俺の目の前に現れた。
かと思ったら、次の瞬間には銃を落としていた。銃を持っている手を攻撃されたのだ。一体何に攻撃されたのか。その正体はすぐに分かった。鷹だ。
背後を振り返ると、ビーストお婆ちゃんの元に戻っていく鷹の姿が見えた。ビーストお婆ちゃんの傍にはあと二人いる。バビブ三姉妹だ。
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バーストお婆ちゃんが手品師のように風船を取り出す。俺の視線はそれに釘付けになった。プロだ。魅せ方が上手すぎる。視線誘導の術を心得ているのだろう。
彼女は弄ぶようにゆっくりと手のひらの中で風船をころころ転がしている。そして、唐突にそれを空高く放った。つられて俺も視線を上げる。投げ上げられた風船に、ビーストお婆ちゃんの鷹が突進した。緊迫感に満ちた光景に、目が離せなくなる。
鷹は風船をくちばしで割り、空中から煙幕が降りてきた。なんだか、美しい光景だ……。
──ハッとした。ブーストお婆ちゃんがいない。咄嗟にさっきまで虹色ウグイスがへたばっていた方に振り返ると、残像が見えた。
まるでケミカルライトを振り回した時のように、視界の隅で残像が軌道を描いていた。
虹色ウグイスの姿はない。カウボーイもいつの間にか消えている。バーストお婆ちゃんとビーストお婆ちゃんがいる方をもう一度見てみると、台車に乗った虹色ウグイスと、その台車を押すブーストお婆ちゃんの姿があった。なんて速さだ……。
大きな台車に、バーストお婆ちゃんもビーストお婆ちゃんも乗り込んでいる。俺は慌てて銃を拾い、彼らに向けた。
「ま、待て!」
しかし、ブーストお婆ちゃんは「フン! 待つもんかい」と吐き捨てると、急発進して走り去ってしまった。




