5話 ナイトメア
バビブ三姉妹によって警察の魔の手から逃れることができた駆は、個室トイレに籠っていた。ここは協力者の経営している骨董品店のトイレだ。路地裏経由で裏口から入れてもらったため、他の人間には見られていない。
スッキリしてからトイレを出て、従業員用の通路を使って裏口から外へ向かおうとしたところで、店長が俺に気づいた。
「店長、ありがとう。ピンチだったから助かったよ」
「いいさ。まぁ、トイレを貸すくらいしかできなくて申し訳ないんだが」
「そんなことないよ。いざって時に逃げ込める場所があるのはすごく心強いんだ。店長がいなきゃ、俺はとっくに捕まっちまってる」
「……そうか」
店長は照れくさそうに笑った。それからスッと笑顔を引っ込めると、真剣な顔で訊いてくる。
「ところで、今日なんだろう? 決着は」
「ああ。その予定だよ」
頷いてみせると、店長は「頑張れよ」と言って、俺の背中を軽く叩いた。
「やり遂げてみせるよ」
そう返事をして、親指を立てる。店長に見送られながら店を出ると、俺はまた【曇町のウグイス】として走り出す。
「俺って、色んな人に支えられてここまで来たんだな……」
さっきの店長との会話で、それを改めて実感した。家族を失って、俺の人生にはもう復讐以外の何物も残されてはいないと思っていたが、仲間がいる。俺には頼もしい仲間がいるんだ。
彼らのためにも、俺は必ず成し遂げなければならない。絶対に勝ってみせる。
そう自分に言い聞かせながら足を動かしていると、前方の横断歩道が目に入った。道路の真ん中を歩いている重そうな荷物を持ったお婆さんが、点滅する信号を見て、絶望的な表情を浮かべている。
このままでは赤信号になっても車道に取り残されたままになってしまうだろう。俺の体は自然と動いていた。お婆さんに駆け寄り、声を掛ける。
「それ、俺が持ちますよ。一緒に渡りましょう」
「え? あぁ、これはどうもご親切にありがとうねぇ……ぎゃああ!」
振り返ったお婆さんは俺を見て仰天した。
「あ、あんた……【曇町のウグイス】かい?」
俺は頷き、手を差し出した。
「荷物持ちますよ。早く渡ってしまいましょう」
「あ、あぁ……」
渡り終え、荷物をお婆さんに返して立ち去ろうとすると、呼び止められた。
「待ちな。これ麦茶だけど、持っておいき」
そう言ってお婆さんはバッグの中からペットボトルを取り出し、俺にくれた。それを受け取ったタイミングで、サイレンの音が鳴り響いた。音はどんどんこっちに近づいてきている。
「ほら、早く行きな。捕まっちまうよ」
お婆さんがパトカーの方を見て心配そうにする。俺は麦茶の礼を言って、その場から立ち去った。
〇
俺は駅前でレンタルした自転車に乗って、変態を追いかけていた。相変わらずイブプロ先輩とは連絡が取れない。一人で暴走していなければいいが……。
それはさておき、自転車が楽しすぎてやばい。こんなに全力で自転車を漕いだのはいつぶりだろうか。俺が全速力で追いかけても、変態には悠々と振り切られるが、そんなことどうでも良くなるくらい楽しかった。
……そういえば、この町の人間は【曇町のウグイス】に対して憎悪を向けているわけではないようだ。考えてみれば、彼は別に誰かに危害を加えるようなことをしているわけでもないし、無害と言えば無害だ。もしかすると、彼はただ走るのが好きなだけの、純粋なアスリートなのかもしれない。そんなことを考えた。
あぁ、楽しい。自転車めっちゃ楽しい。どうにか組織を逃げ出すことができたなら、もう一度自転車の競技者を本気で目指したいな……。それが叶わない夢であることくらいは分かっているが、それでも簡単に諦められるものでもない。あぁ、諦めたくないなぁ。
「ヒュィイーン!」
心の中で夢を思い描いていると、真横を戦闘機が通過した。否、それは戦闘機ではない。そう錯覚するほどの速さであったが、町中の歩道を戦闘機が通過することなんてあり得ないのだ。では、その正体は……?
決まっている。ウグイスだ。新たなウグイスが登場した。それも、これまでとは決定的に違うところが一点。奴は──自転車に乗っていた。しかし、いい加減驚くことに慣れていた俺はすぐさま追跡を開始した。
「待て! 逃がすか!」
全裸ライダーを追いかけ、全力でペダルを漕ぎ出す。
〇
その頃、ネット上では曇町についての話題が盛り上がっていた。秋であるにも関わらず彼が現れたことや、複数のランナーが存在することがネット民の興味を惹いているようだ。
そして、ウグイスの一人が横断歩道を渡っている重そうな荷物を持ったお婆さんを手伝っている姿が激写され、ネットに拡散されたことで、ウグイス信者たちが現れ始めていた。信者たちは考える。
「彼らはこの活動を通して何を伝えようとしているのか」
ウグイスたちの目的について、多くの人間があれこれ意見を交換し合っていた。
〇
全裸ライダーとの戦いは、あっけなく決着した。ものの十秒ほどで、彼は俺の視界から消え去ったのだ。負けてしまった。でも、めっちゃ楽しい。
俺はかなり愉快な気分で、ウグイスを追いかけるでもなく、のんびりと自転車を漕いだ。その時、イブプロ先輩から通信が入った。ミカン公園で合流とのことだ。俺は悠然と足を動かし、集合場所へと向かう。
到着して辺りを見渡すと、ブランコに乗ってゆらゆらと体を揺らしている先輩の姿が目に入った。
「イブプロ先輩。大丈夫ですか。顔色が悪いですけど」
「……ああ」
顔をしかめて、先輩は呻くように返事した。どうやら機嫌が悪そうだ。赤色のネクタイを何度も結び直している。
「先輩、相談したいことがあるんです。ご存じだと思いますが、ウグイスが複数発生しています。それに、先ほど俺の元に現れた個体は自転車に乗っていました」
「何だと? そうか……自転車に……。複数現れているという確証はあるのか? 一人が走ったり自転車に乗ったりして複数に見せかけているという可能性は?」
「同時に二人目撃したので、一人ということはありません。正確にどれだけの人数がいるのかは分かりませんが、自転車の個体を含め、現状だけでも四体を確認しています」
「……」
先輩は苦虫を噛み潰したような顔をする。そして顎に手をやってしばらく考え込むと、こんなことを質問してきた。
「それぞれの変態を識別する方法はあるのか?」
「覆面の色が違うので、それで判断できます」
「本物の【曇町のウグイス】と思われる個体はあったか?」
「虹色の覆面を被っている個体が、特徴としては近いように感じました」
「虹色、か……。俺は見かけていないな」
「現状発見しているウグイスについて、それぞれ特徴を説明しましょうか?」
「頼む」
俺は変態の特徴を書いたメモ帳を取り出した。
「四体、それぞれを特徴ごとにチータータイプ、ハイエナタイプ、パルクールタイプ、ライダータイプに分類します。
まず、チータータイプです。これが虹色の覆面をつけた個体で、【曇町のウグイス】本人である可能性が高いと思われます。
こいつはとにかくスピードが尋常じゃないほど速いですが、スタミナがないらしく、定期的に路地裏へと逃れて休憩しているようです。
次に、ハイエナタイプ。赤色の覆面です。こいつはスピードこそチータータイプに劣るものの、とんでもない体力で、長時間の走行を確認しています。
三つ目、パルクールタイプ。この個体はかなりアクロバットに動き回ります。パルクールのような動きで逃走している姿も目撃しました。
なお、全裸であるために受け身を取ったとしても少しずつ肌を擦りむいてしまい、微量の出血をしていることが確認できました。おそらくウグイスの中でも阿呆な個体でしょう。
最後に四体目、ライダータイプ。この個体だけは自転車に乗っての全裸爆走を行っています。脚力が凄まじく、俺も同じく自転車で追跡しましたが、まんまと逃げられてしまいました」
説明を聞き終えた先輩は「なるほどな……」と呟き、空を仰いだ。
「……虹色のウグイスが本物だと言ったな」
「可能性は高いと思います」
真剣な表情で俺の顔を見ると、先輩はブランコから立ち上がって指示をした。
「では、その個体を優先して狙う。自転車での追跡は効果的だったか?」
「未だ成果は上げられていませんが、やはり走るよりも速いので、効果はあると思います」
「よし、お前はその調子で続けてくれ。何かあったらすぐに連絡するように」
「了解です」
こうして俺たちは作戦会議を終え、またそれぞれ変態を追い始めたのだった。昼を過ぎ、小腹が減ったため、俺はコンビニでおにぎりを購入し、腹ごしらえをしてから行動を再開した。
〇
カロナールとイブプロの会話を、公園の茂みに隠れてニコチンは聞いていた。二人が行ってしまうと、彼は一人呟いた。
「今のところ、ちゃんと仕事はしているようだな。変態たちの特徴をメモしていたようだし。だが、まだ油断ならんな。カロナールはイブプロを欺くために仕事をしているふりをしているという可能性がある。少しカロナールの動向を探ってみるか」
ニコチンはミカン公園を出ると、カロナールと同じように自転車をレンタルするため、フクロウ駅へと向かった。
〇
イブプロ先輩と別れ、俺は自転車で町を走っていた。それからすぐに出会った。五体目の変態に……。いや、それどころじゃない。
「なんだアレは……嘘だろ……」
自分の目を疑った。目の前に信じられない光景が広がっている。
「ヒィーハァー!」
現れた五体目の変態は、馬に乗っていた。比喩表現などではない。本物の馬に乗り、「ヒィーハァー!」と叫びながら、手に持ったムチを振り回し、町中を駆けていた。
さながら、西部劇に出てくるカウボーイの様相であった。【曇町のウグイス】に対して憎悪の炎を燃やす警察も、流石にドン引きしている。
しかし、それだけではなかった。もう一人、新たに登場した変態がいる。彼の様子は、まるでマジシャンのようであった。というか、多分マジシャンだ。
「たらりらりら~。たらりらりらーららー」
と口ずさみながら、彼は被っていたシルクハットを脱いだ。ちなみに、当然覆面はしているので、彼は覆面の上からシルクハットを被っていた。例によってその他には、一切何も身に纏っていない。
「Ladies and gentlemen! It's show time!」
そう叫ぶと、彼はシルクハットの中から何やら大きめのボールを取り出し、バーストお婆ちゃんのように地面に叩きつけた。
バーストお婆ちゃんというのは、【曇町のウグイス】をサポートする謎の老婆のことである。他にもビーストお婆ちゃん、ブーストお婆ちゃんという人物がおり、彼女らは三人まとめてバビブ三姉妹と呼ばれる。
変態マジシャンの叩きつけたボールが炸裂し、周囲に花びらが飛び散る。それと同時に、まるで煙のように彼は姿を消してしまった。
「ヒィーハァー!」
向こうでは変態カウボーイが猛威を振るっている。
これは悪夢か?




