4話 カロナール
バーストお婆ちゃん、ビーストお婆ちゃん、ブーストお婆ちゃんの役割は、駆がピンチになった時、どこからともなく現れ、警察を食い止めることだ。
彼女らは駆同様、《トキシポイズ》の被害者遺族である。孫の命を組織に奪われた彼女らは、駆の復讐に協力する決意をしたのだ。
バーストお婆ちゃんは大量の風船を持ち歩いている。それは忍者が使う煙玉のような物で、煙幕を発生させるのだ。風船を地面に叩きつけてバーストさせることで煙幕を張り、駆の逃走を補助するのが彼女の役目だ。
ビーストお婆ちゃんは鷹匠である。パートナーの鷹(名前はミカヅキ君)と心を通じ合わせており、ミカヅキ君との息の合った連携攻撃で警察を足止めするのだ。
バーストお婆ちゃんとの合わせ技で、バーストお婆ちゃんが高く投げ上げた風船をミカヅキ君が割り、劇の幕を下ろすように上から煙が降ってくるという演出をすることもできる。
なお、この演出には実用性がないため披露されたことは今までに一度としてない。
ブーストお婆ちゃんにはエンジンがついていて、高速移動が可能だ。彼女はローラースケートのような靴を履いていて、エンジンが搭載されている。
それにより凄まじい速度で走ることができるのだ。彼女は駆が警察に追い詰められた時、瞬時に駆けつけ、高速で包囲網を突破する。
以上三名を、通称『バビブ三姉妹』という。
〇
ビーストお婆ちゃんがこちらに向けてミカヅキ君を放つ。鋭い目つきのミカヅキ君は一直線に飛んできて、俺を素通りすると、後ろについてきている警察を妨害した。
俺が駆け寄ると、バーストお婆ちゃんが煙幕を張る。そして俺とバーストお婆ちゃんとビーストお婆ちゃんを乗せた台車を、ブーストお婆ちゃんが押して移動する。
ミカヅキ君は頃合いを見計らってビーストお婆ちゃんの元に戻ってくる。いつもの流れで、俺は警察を撒くことに成功した。
「助かったよ。トイレに行きたくなってたんだ」
強盗が被るような目出し帽で顔を隠しているバーストお婆ちゃんが、
「いいってことよ。慣れたもんさ」
と返事した。彼女らは三人とも目出し帽を被っている。
「しかし、今回は……ちと骨が折れるな」
ビーストお婆ちゃんが戻って来たミカヅキ君をグローブでキャッチしながら苦々しい声を出す。
「いつもはお前さんだけだが、今回はサポートせにゃならん奴が多すぎる。それにサツのレベルも年々上がっとるからな」
「ソノトオリ!」
ビーストお婆ちゃんが裏声の腹話術で言った。この人はミカヅキ君を人形役に見立てて、一人二役を演じるのだ。当のミカヅキ君は涼しい顔でじっとしている。
「今日で最後なんだ。なんとか乗り切ってくれ」
俺がそう言うと、バーストお婆ちゃんが「やれやれ」と言うように肩をすくめた。
「……さぁ、着いたぜ」
ブーストお婆ちゃんが人気のない路地裏で停車する。
「ありがとう。引き続き、俺たちのサポートをしてくれ」
バビブ三姉妹は黙って頷くと、あっという間に走り去っていった。
〇
「はぁ……。先輩には連絡つかないし、変態は速すぎて捕まえらんないし、嫌になるな。──先輩と変態って、語感が似てる。これは言語学的に重大な発見であるに違いない。次のノーベル文学賞は俺のものかもしれんな」
……あぁ、駄目だ。あまりの疲労感から、訳の分からないことを考えている。赤の覆面を被ったウグイスを追ううちに、フクロウ駅に戻ってきてしまった。一旦休憩するか。
俺は駅前広場のベンチに腰を落ち着けた。呆然と目の前の光景を眺めているうちに、自然と視線がある場所に吸い寄せられる。そこは駐輪場だった。たくさんの自転車がある。
「あーあ。俺、なんでこんなことしてるんだろ」
つい、ため息をついてしまう。その昔、俺は自転車の競技者だった。《トキシポイズ》に入る前のことだ。駅の駐輪場に止まっている自転車を眺めていると、あの日のことをぼんやりと思い出した。
〇
あれは間違いなく罠だった。俺が道幅の狭い道路を自転車で走っていた時のことだ。黒塗りの高級車と接触した。俺は真っ直ぐ進んでいたので、どう考えても向こうからぶつかってきた形だった。
俺は衝撃で自転車ごと地面に倒れ込んだ。車はすぐに停車し、運転席からサングラスをかけた男が降りてきた。
「おい。何ぶつかってやがるんだテメェ。ほら見ろよ。車体に傷がついちまったじゃねぇか。どうしてくれんだ。あ?」
物凄い勢いでまくし立てられ、ただでさえ混乱していた俺は正常な思考ができなかった。胸倉を掴まれ、無理やり立たされる。
「なぁ、こういう時はどうするんだ?」
明らかに相手の落ち度で起こった車と自転車の接触事故であるのに、サングラス男は一方的に俺のことを責め立てた。勢いに気圧され、俺は何度も謝ったが、男は決して許さなかった。
「こういう時はなぁ、謝罪じゃなくて弁償すんだよ。弁償。分かるか?」
「分かりました。できる限り弁償します。いくらお支払いすればいいですか?」
実際にはこんなに流暢ではなく、途切れ途切れに言葉を詰まらせながらではあったが、俺はそんな感じのことを訊いた。そして俺の問いに答えた男が提示した金額は、あまりにも法外なものだった。
「は、払えませんよそんなの……」
「は? 人の車に傷つけといてそりゃねぇだろ兄ちゃん」
「でも……」
俺が答えに窮すると、男は大袈裟にため息をついた。
「分かった。じゃあこうしよう。お前、うちで働け。仕事させてやるから、それで修理費払ったことにしてやるよ」
それから俺は名前も住所も電話番号も書かされ、逃げられなくされたあげく、無理やり連行され、契約書にサインさせられた。それが組織に入った経緯だ。
このような方法は組織の常套手段で、《トキシポイズ》の下っ端の内、三割ほどは俺みたいに脅されて組織に入らされた者たちだ。
確かイブプロ先輩も同じような感じだったらしい。それなのに、あの人は組織に忠誠を誓っている。それだけ組織の洗脳は凄まじいのだ。早く逃げ出したいのだが、個人情報を押さえられている以上、簡単には逃げられない。
呆然とそんなことを考えていると、レンタル自転車を貸し出しているのが視界の端に映った。吸い寄せられるように近づいて、説明の書かれた看板を見る。一時間五百円。俺は迷わず財布を取り出した。
〇
曇町に派遣された《トキシポイズ》の社員は、カロナールとイブプロだけではなかった。二人のことを、組織は信用していない。イブプロは洗脳が完了しているものとして考えられているが、問題はカロナールだ。彼は組織に対して負の感情を持っている。
それ自体は別に珍しいことでもないのだが、彼の場合、それを行動で示すことがあった。指示に従わないこともあれば、独断行動をすることもある。
そのため、組織は監視役としてもう一人の社員『ニコチン』を密かに派遣していた。もちろん、そのことを二人は知らない。
「こちらニコチン。現場に到着しました」
「了解。任務に当たれ」
電話を切ると、ニコチンは不気味に口の端を歪めて微笑んだ。
「もしあいつらが組織を裏切るようなことがあれば、こいつで……」
ニコチンの手に握られているのは一丁の拳銃。装填されているのは実弾だった。




