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3話 バビブ三姉妹、降臨

「冷静になれ、冷静になれ……」

 俺は自分にそう言い聞かせた。足が震える。変態たちのあまりの迫力にビビってしまった。しかし、あんなものどうやって止めろと言うのだ。イメージとしては、奴らの勢いは完全に自動車だった。

 そりゃ、人の力で止めることなどできるはずもない。当たれば交通事故だ。


「──いや、違うか。何も体当たりで止める必要はないんだ」

 懐の拳銃を服の上から触る。そう、俺にはこれがあるのだ。冷静になれ。


 それより、考えるべきことがある。変態が二人現れた。これは一体どういうことだろう。考えられるのは、例のネットの掲示板に書かれたオフ会の参加者二人、もしくはどちらかが本物でどちらかは模倣犯という可能性だ。


 後者に関して検討してみる。まず、さっきも考えたように赤の全裸については明らかに体格が違うことから、本物ではないだろう。

 では青の全裸はどうだろうか。こちらもやはり本物とは体型が異なっていたように思う。資料を見る限り、【曇町のウグイス】の身長はそれほど高くない。一瞬の出来事だったため確証は持てないが、青の全裸はかなりの高身長だった。


 おそらく、両者とも本物ではないと思われる。そうなると、彼らの正体はオフ会の参加者なのだろうか。今回のことに、本物は全く関係がないのだろうか……? 考えても中々結論が出ないため、俺は一旦イブプロ先輩に連絡することにした。


「こちらカロナール。イブプロ先輩聞こえますか。どうぞ」

 酷いノイズの中から、息切れしている先輩の声が聞こえてくる。


「こちら……イブプロ。現在、変態を……追っている!」

 どうやら先輩は今まさに変態と追いかけっこを繰り広げているらしい。

「本当ですか!? どこです?」

「ハァ……ハァ……曇町、郵便局の辺りだ!」

「すぐ向かいます!」


 曇町に来るまでの新幹線の中で、この町の地図は頭に叩き込んである。俺は曇町郵便局へと駆け出した。


     〇


 郵便局の付近に到着したが、すでに変態も先輩もそこにはいなかった。歩道に顔を真っ青にしてプルプルと震える青年の姿があったので、声を掛けてみる。


「なぁ、今ここを全裸の男が通らなかったか?」

「……あ、あぁ。【曇町のウグイス】だ。【曇町のウグイス】が出たんだよ! 秋なのに! なんてことだ、温暖化の影響がこんなところにまで! あぁ、もうこの国は終わりだ!」

「落ち着け。そいつはどっちに行った?」

 青年は震える手でリンゴ川の方向を指差した。


「分かった。あ、それともう一つ訊きたいことがある。お前が見た男は何色の覆面を被っていた? 赤だったか? それとも青だったか?」

 困惑した顔で首を横に振ると、青年は「鮮やかな虹色だったよ」と答えた。


     〇


 遂に三人目が登場したらしい。いよいよ異常事態だ。リンゴ川に向かうため、曇町商店街を通った際には、町の人々がパニックになっている様子が確認できた。

 ある人は落ち着きなくオロオロと歩き回り、またある人は「地球温暖化とは、かくも恐ろしいものだったのか……」と絶望している。曇町は現在、かつてないほどの大混乱に陥っていた。巡回している警官の表情も硬い。


 情報を得るために、

「【曇町のウグイス】が出たというのは本当ですか?」

 と訊いてみると、警官は神妙な顔で頷いた。


「あぁ、そうなんですよ。それも現時点で三体のウグイスを確認しています。秋だってのに……どうしてこんなことに……。あなたもウグイスには注意してくださいね。見かけたら躊躇することなく通報してください」


 阿鼻叫喚の商店街を抜け、リンゴ川の河川敷まで出てきた。周囲を見渡すも、ウグイスの姿はない。一足遅かったか。と、そこでイブプロ先輩から通信が入った。

「こちらイブプロ。カロナール、一旦合流できるか? 場所はフクロウ駅前だ。どうぞ」

「了解。五分ほどで到着します」


     〇


 フクロウ駅前の広場で、イブプロ先輩は難しい顔でベンチに座っていた。俺に気づくと、先輩は顔をしかめながら、

「逃げられてしまった……」

 と報告してきた。

「仕方ないですよ。切り替えていきましょ」

「……あぁ」

 先輩は浮かない顔をしている。よく見ると、髪はボサボサになっており、ネクタイは曲がり、元々白かった靴は泥に塗れて汚くなっていた。

 全力疾走したのだろう、汗でシャツが背中に張り付いている。先輩はじっと地面を睨みつけていた。


「俺も遭遇したんですけど、逃げられました。どういうわけか、ウグイスは三体も出現しているみたいです。この調子じゃ、いつ四体目が現れるか分かったものじゃありませんね」

 俺がそう言うと、突然イブプロ先輩は怒りが爆発したように発狂した。


「そもそも町を裸で走り回るなんて、頭がおかしいじゃないか! なんだよ【曇町のウグイス】って。どんな風に呼んだところで所詮ただの変態だろうが。ふざけやがって!」

 そして手が汚れるのも厭わずに泥のついた赤い靴紐をきつく結び直し、勢いよく立ち上がると、再び叫んだ。


「組織の研究成果を盗んだド腐れ変態風情が! 絶対に捕まえてやる!」

「あ、ちょっと先輩! 報告したいことが……あぁ、行ってしまった」

 現れた三体のウグイスについて相談したかったが、あの様子では無理そうだ。


 イブプロ先輩は《トキシポイズ》の中で比較的会話が成り立つ人間ではあるが、組織に対する忠誠心が強すぎるあまり、こうして暴走することがある。まともそうに見える人間はいても、まともな人間など《トキシポイズ》にはいないのだ。


 俺はこの組織への不満を日々募らせている。今のイブプロ先輩の様子を見て、改めて思った。《トキシポイズ》はロクでもない組織だ。いつか絶対に逃げ出してやる。まぁ、今すぐにそれを実行するような勇気などないわけだが……。


 それはさておき、こうなると自分一人で考えなければならない。まずは状況を整理してみるか。


 そもそもの話、《トキシポイズ》のボスが【曇町のウグイス】を追っているのは、二年前に組織からとある薬が盗まれたことが原因だ。その薬には一時的に身体能力を飛躍的に向上させる効果があった。一度使う度に身長が1センチ縮むというとんでもない副作用があったため、商品にはならなかったが。


 これでなんとなく察しがつくと思うが、【曇町のウグイス】にはこの薬を使っているという疑惑がかかっているのだ。映像を見る限り、彼の身体能力は常軌を逸している。

 あれは薬の効果でもなければ納得できない程だった。まだ彼が薬を盗んだ犯人であると決まったわけではないが、ボスはどうしても薬を回収したいらしい。だから真偽を確かめるために俺たちが派遣されたのだ。


 このような状況であることを踏まえ、今回の出来事について考える。発端はネットの掲示板に書き込まれた文章だ。あのスレッドにはオフ会への参加意思を表明する者など、たった一人しかいなかった。それなのに今、曇町には三体の全裸ランナーが存在している。


 俺はもう一度例のスレッドを確認してみることにした。そして驚いた。オフ会へ参加すると名乗りを上げる者が複数現れていたのだ。


 しかし、よく書き込みを観察してみると、違和感を覚えた。書き込まれている文章がどうにも芝居がかっているのだ。作られた言葉であるという印象を受ける。全部セリフっぽいというか……。

 そう思って更に観察してみて、気がついた。このスレッドでは一見多くの人が様々な意見を述べているように見えるが、実際には四人の人間しか発言していない。


 このようなネットの掲示板では投稿者を識別するために『ID』というものがある。それが投稿されたものを見る限り四種類しかない。要するに、これらの投稿は自作自演だ。では、その目的は何だろうか。そして一体誰がこんなことをしているのだろうか。


 誰がやっているかということについては見当もつかないが、目的はなんとなく予想できる。おそらく本当の目的は別にあって、それを隠すためのカモフラージュだ。そうなると、本当の目的が何なのかと言う話になる。

 俺は考えを巡らせたが、どうしても分からなかったので、とりあえずさっきからその辺で走り回っている変態を捕まえることにして、ベンチから腰を浮かした。


     〇


「待てオラ! 止まれ変態! ふざけんじゃねぇぞボケェ!」

 背後で警察が発狂している。そう簡単には捕まらない。俺のことをパトカーで追えば、当然俺に追いつくこと自体は可能だが、追いついたとしても車から降りている間に俺は逃げる。

 走って追うにしても、俺は《トキシポイズ》から盗み出した薬でドーピングしているため、ただの人間如きに追いつかれようはずもない。


 過去三度、警察は様々な手段で俺のことを追ってきたが、俺は余裕を持って逃走に成功している。彼らと俺との間にある決定的な違いは、覚悟だ。俺は全てを失う覚悟で走っている。

 ……いや、違うか。俺はすでに全て失っている。俺の全ては妻と娘の二人だった。俺にはもう失うものなどないのだ。


 あるのは燃え(たぎ)る憎悪。かの組織への復讐心。そして、腹を刺すような激痛の伴う深い絶望だけだ。


「腹を刺すような激痛……か」

 俺は頭の中に浮かんだ表現に、顔をしかめた。それはまさに腹を刺すような痛みであった。

「クソ……凄まじい痛みだ。トイレは一体どこにある……いや、その前に警察を撒かねば……」


 致命的な誤算だった。俺が全裸で走る時、いつも町には麗らかな春の気配が漂い、花は咲き乱れ、空は晴れ渡り、穏やかな日差しが俺の心と体を温めていた。それが今はどうであろうか。


 町に漂う気配といえば、(きた)る冬への備え、燃えるように紅葉した葉はいよいよ散り始め、空にはうろこ雲。吹き渡るは寒々しい秋の風。天気がいいとはいえ、いい加減俺の腹は限界を迎えていた。

 端的に言うと、腹が冷えてトイレに行きたくなっていたのだ。間に合うだろうか。間に合ってくれ。この世に神がいるのなら、どうか俺をトイレへと(いざな)いたまえ……。


 こうして神に祈りを捧げるのは、三度目だった。十分前に一度目の祈りを、五分前に二度目の祈りを。そして今、三度目の祈りを捧げたにも関わらず、救いがもたらされる気配はなかった。あぁ、神は死んだのだ。

 俺が諦めかけたその時、背後に迫る警察が悲鳴を上げた。


「あ! あれは……!」

「間違いない……バビブ三姉妹だ! バビブ三姉妹が現れたぞ!」


 前方、五十メートルほど先に、覆面を被っている三人の老婆が立ちはだかっていた。彼女らは服を着ているが、俺の頼もしい味方だ。どうやら神は俺の願いを聞き届けてくれたらしい。

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