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2話 絶望

 俺が走るのは、(かたき)を取るため。あの組織への復讐を果たすためだ。今でも思い出す。太陽のような笑顔がトレードマークだった娘の変わり果てた姿。娘の仏壇に手を合わせる、憔悴しきった妻の横顔。


 俺はあの組織を……《トキシポイズ》を絶対に許さない。二年かけて様々な布石を打ち、遂にこの秋、準備が完全に完了した。いよいよだ。あの組織に一矢報いる時が来た。


 見事な秋晴れの空の元、橋の上を走り出した仲間のことを、全裸駆は決意に満ちた目で見つめていた。


     〇


「追うぞ!」

 あまりに唐突なことで呆気に取られていた俺は、イブプロ先輩の怒号のような声でハッとした。

 すでに駆け出しているイブプロ先輩に追いつくと、

「でもあいつ、資料で見たのと少し違いませんか? あんなに痩せてました? もう少し体格が良かった気がするんですけど」

 走りながら先輩に問う。


「だとしたら、やはり奴に触発された模倣犯かもしれんな。しかし、それは本人に直接問い質せばいい。とにかく捕まえるぞ!」

「はい!」


 もうどこかからサイレンが鳴り始めた。とんでもない対応の速さだ。俺たちが河川敷から土手に上がった頃には、変態はすでに橋を渡り終え、対岸の道路を走っていた。サイレンの音が近づいてくる。

 季節外れの変態の登場に、町は騒然とし始めた。俺たちが橋の半分くらいに差し掛かった頃、変態は平然と路地裏へと逃げ込んだ。かなり遅れて、俺たちも路地裏の入り口へと到着する。


「先輩、どうします?」

 肩で息をしながら訊ねる。先輩は息一つ切らすことなく冷静に答えた。

「あの走力を見ただろう。単純な追いかけっこで捕まえることは、まず不可能と考えていい。二手に分かれて、インカムで連携を取りながら挟みうちにしよう」

「了解です」


 俺たちは路地裏に突入し、それぞれ別の道を進んで変態を捜索した。曇町の路地裏は、まさに迷路と形容するにふさわしい複雑さだった。異世界に迷い込んでしまったような錯覚に囚われる。ずっと同じ場所を堂々巡りしている気がしてならない。

 インカムで先輩と連携を取ろうにも、自分の位置を相手に伝えることが困難を極めるため、路地裏内で合流することは不可能であった。


 どの方向に進んでも、似たような景色が広がるばかりで、来た道を戻ることすらままならない。もはや変態を捜索するどころではなかった。

 結局、俺も先輩も変態と一度も遭遇することなく路地裏から脱出した。


     〇


 合流すると、先輩は苦々しい表情を浮かべていた。

「クソ……。逃げられてしまったか」

「仕方ないですよ。警察だってこんなに苦労しているんですから」

 騒々しくサイレンを鳴らしながら、パトカーが猛スピードで道路を走っている。先ほどからあちこちでサイレンの音が聞こえてきていた。


「隠れても無駄だ! 今日こそ捕まえてやる、この変質者め! 日本の警察を舐めんなよ! 俺たちの底力見せてやる!」

 拡声器で増幅した警察の怒号が町中に響き渡っている。


「俺たちは警察よりも先に奴を捕まえなければならない」

 先輩が赤いランプを光らせているパトカーを見つめながら言った。

「機動力や数で負けている以上、俺たちが警察に勝つためには警察が積極的に使うことができない手段を取るしかない」

「これですね?」

 懐から取り出した拳銃を見せると、先輩は重々しく頷いた。


 この銃は組織から支給されたものだ。弾はゴム製である。殺傷能力はないが、かなりのダメージを与えることができるはずだ。ボスは「死んでさえいなければどんな形であっても構わないから必ず連れてこい」と俺たちに命じた。


「しかし、気を付けろよ。これを使っているところは、絶対に人に見られるわけにはいかん」

「分かってます」

 それから俺たちはまた二手に分かれ、変態が飛び出してきそうな路地裏への入り口を見張ることにした。すでに警察が立ち塞がっている場所も多い。


 彼らがいるところで拳銃を使うわけにはいかないので、離れたところにある人気(ひとけ)のない路地裏を見張ることにした。


     〇


 娘は《トキシポイズ》が秘密裏に行っている人体実験の犠牲となった。彼女は息を引き取る時、俺の手を握って微笑んだ。あの弱々しい笑顔が脳裏にこびりついて離れない。妻は娘が亡くなったことに耐えられず、急速に憔悴し、娘の命日から一年と経たずして彼女に会いに行ってしまった。


《トキシポイズ》は表向きただの製薬会社だが、その実、非道な人体実験を繰り返す恐ろしい組織なのだ。奴らは法律を守らず、どれだけ卑怯で卑劣で残酷なことでも、それが利益を生むのなら嬉々として実行する。


 そんな相手を敵に回すというのなら、こちらも法の外に出るしかない。もはや真っ当な手段で奴らに復讐することなど不可能だ。故に俺は二年前、美しく桜舞い散る春のあの日に、文字通り己の全てを(さら)け出す決意をした。


「これをするのも、四度目になるな……」

 駆はネクタイを緩めながら苦笑した。

「計画が成功すれば、この町ともお別れだ。迷惑をかけたな、曇町よ」


 服を脱ぎ捨てると、ズボンを下ろし、パンツも脱ぐ。虹色の覆面を被り、ランニングシューズの赤い靴紐を結び直す。入念に準備運動を済ませ、一度大きく深呼吸した。

「さて、行くか。今日こそケリをつけてやる」


     〇


 ずっと路地裏を見張っていることに飽きた俺は、もう一度組織から配布された資料を確認することにした。今年の春に撮影された写真を見る。

 美しいフォームでパトカーから逃走する【曇町のウグイス】が履いているのは、白いランニングシューズだった。二年前に初めて現れた時から、彼は必ずそれを履いて走っている。


【曇町のウグイス】を警察が捕まえることができない原因について、ニュース番組で様々な人が様々な意見を述べたが、専門家の多くは靴の性能に秘密があるのではないかと考察していた。

 彼の履いているランニングシューズはごく普通の市販品であったため、誰でも簡単に入手することができ、彼の正体を特定するための材料にはなり得なかったが、彼の影響で商品の売り上げは飛躍的に向上した。


 今では『ウグイスシューズ』という愛称で親しまれる人気商品となっている。町で無作為に十人選んだら一人は履いていると言っても過言ではない程に人気があるというのだから、彼の影響力は凄まじい。


 一説では、【曇町のウグイス】はシューズメーカーの差し金であるとも言われている。ちなみに、今日は俺も先輩もウグイスシューズを履いてきている。今や運動をする時にはウグイスシューズを履くというのが一種の願掛けのようになっているのだ。


 彼の被っている覆面は熟れたリンゴのように鮮やかな赤で、かなり目立つ。しかし目立つのは色ばかりで、形状に特徴はない。彼の体格はかなりがっしりとしていて、先ほど見た変態はどちらかと言うと痩せ型であったため、やはりあの変態は【曇町のウグイス】本人ではない気がする。


 靴や覆面は同じだったが、あれは模倣犯と見て間違いなさそうだ。そう結論付けた俺の目の前を、一陣の風が吹き抜けた。


 ヒュンッ……! と、音がした気がした。奴はそれほどまでに勢いよく、俺の目の前を通過したのだ。


「嘘だろ……」

 駆け抜けていった全裸の男が被っていた覆面の色は──青だった。パトカーが青の覆面全裸を猛追する。

 あまりの衝撃に足が動かず、呆然とそれを見ていると、向こう側から今度は赤の覆面全裸が走ってきた。彼らはすれ違いざま、お互いの顔を見て頷き合った気がした。


「二人の……変態……?」

 迫りくる赤の全裸を前に、俺はそう呟くことしかできなかった。俺の真横を赤の全裸が駆け抜ける。


 ヒュンッ……! と、今度は確かに音がした。

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