尊大で傲慢で
ティアナは沈黙しながら、思考の海に潜る。
三年間、ティアナは亡魔と毎日のように死闘を演じてきた。幸運に生かされながらも積んだ経験は、ティアナを強き戦士に変えてくれた。いまならば、どんな数の亡魔に襲われても生き延びられる自信がある。
だが、それは自信があるだけだった。限度はある。
大勢の亡魔に襲われ、退路が塞がれれば、生き延びることはできない。元ハインツェ帝国領では、そんな状況が現実になる可能性が大いにあった。
尻込みをしてしまう。身が微かに震え出した。
だが、すぐにその震えは止まる。
「──いいわ、受けてあげる」
ティアナが口にしたのは、了承だった。
不安や恐怖が消えたわけではない。だが、ここで思い出したのだ。
ティアナは巣の捜索もふくめた長旅をする必要性に駆られていた。食料や寝具などの物資も揃えたかったが、資金の問題があった。しかし、金貨一○○枚もあれば十二分に物資が揃えられるだろう。
依頼を受けた理由は他にもある。
言うなれば、諦念か。
もはや、ティアナと亡魔は切っても切れない関係にある。亡魔との死闘の輪廻からは逃れられないだろう。だから、いずれ元帝国領に足を踏み入れることになりそうな予感はあった。きっと、いまがその機会なのだ。
そもそも、行く先々で亡魔を狩り尽くせと頼まれているわけではない。ラルフの命を守り抜けばいいだけ。ならば不可能ではない。やりようはあると思ったのだ。
「よし、決まりだ」
ラルフは淡々と言う。
そんなラルフを凝視しながら、ティアナは眉を寄せた。
「ただ契約関係を結ぶなら、先に済ませておかなきゃいけないことがあるでしょ? 私に謝ることがあるわよね」
「謝ること、だと?」
ラルフは首を傾げた。怒りが湧く。この男、本当に心当たりがないのか。
「私の力量を測るため、あんたは狼をけしかけてきたじゃない。私が大怪我でもしたら、どうするつもりだったわけ? 危ない目に遭わせた謝罪をしておくのが、筋ってもんなんじゃないの?」
ティアナは地面を足裏で叩き、苛立ちを表現する。
眉間に皺を深く刻みながら、ラルフは返した。
「──断る」
時間が飛んだような感覚があった。いまなんて言われた? 謝罪を断られたのか?
「なぜ、俺が謝罪をしなければならない。首都に向かうんだぞ? 雇ってみたら雑魚でした──それでは話にならない。実力を事前に見極めるのは当然だ。それと、オスヴィンは利口な狼だ。牙を寸前で引くことは造作もない。つまり、お前が怪我する未来はなかった。だから謝罪など必要ないし、そもそも謝罪なら俺がしてほしいくらいなんだが?」
「は……?」
「俺は後の依頼主になる男だった。どんな時代でも金を払う側が偉いのは常識だろう。にもかかわらず、お前は俺に剣を向けてきた。それに対して、お前から謝罪の言葉があるべきなんじゃないのか?」
ティアナは絶句する。驚き、畏敬の念すら覚えてしまった。傲岸不遜──この言葉がこんなにもふさわしい人間が世界に存在していたのか。
「なんだ、何かおかしなことでも言ったか?」
ラルフは真顔で尋ねてくる。逆だ。おかしなことしか言ってない。
「反抗的な目だな。俺が気に入らないのか?」
そのような態度で気に入られるとでも思ったのか。
ラルフは、ふん、と鼻を鳴らす。
「お前が俺を好こうが嫌おうがどちらでも構わない。お前は依頼を受け、俺は報酬を払う──それだけの関係だ。不平不満は呑み込め。報酬もそれなりの額を払うんだからいいだろう。これだけの金があれば、お前もあれをたらふく食えるんじゃないか?」
「あれ?」
「ベニエ」
「──っ⁉」
反射的に跳ねかけた。ベニエはティアナの大好物だ。それをなぜ知っている?
「数日前、巣で残ったベニエを袋ごと担いで、小屋に消えていったのはどいつだ? いや小屋まで待ちきれず、途中でつまみ食いもしていたな? いまだに脳裏へ焼きついているぞ。子ども以外に、あんな満面の笑みで菓子を頬張る者は久しぶりに見た」
「なっ──」
全身が湯を沸かすように、熱を帯びていった。
ラルフから姿を見られていたことに動揺はない。ティアナはアーヴェントでラルフを目撃している。当然、逆もありえるだろうと考えていた。
だがベニエを買い溜めし、ご機嫌に食べるところまで見られていたなんて。
心臓が羞恥心で弾け飛びそうになる。
「ハイエナだなんて恐れられている女が、随分と可愛らしいものを好んだものだ。ハイエナという異名はいささか不適切かもな。よし、俺が提案してやる。プードルやダックスフントに改名してみるのはどうだ?」
「~~~~‼」
ついに、声さえ出なくなった。熱は全身を巡り、耳まで赤くなる。
持ち前の反骨心が暴れ出した。言われっぱなしは論外だ、何かを言い返せ──心がそう執拗に急き立ててきた。
だが、大した反論は思いつかない。それでも、何かは言い返してやりたい。
ティアナはぐぐぐと拳を握り締める。そして、苦し紛れにこう叫んだのだった。
「かっ、咬みつくわよっ⁉」
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