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狂気じみた依頼

 ティアナは剣を寸止めし、首を回した。左斜め後方に視線を留める。そこには人影が立っていた。

 青年である。ティアナと年齢は近いか。


 ショートストレートの黒髪を持ち、ボタンダウンの襟付きシャツの上から、比翼仕立てのオーバーコートを羽織っている。スリムなパンツを穿き、金属製のリングを介してベルトを施したブーツを履いていた。背中には肩掛けの鞄を回している。この男、アーヴェントで見た記憶がないでもなかった。


「オスヴィン、戻れ」


 青年が命じると、狼がはっとするような素振りを見せた。青年の側に駆け寄り、前足と後足を平行に揃えながら腰を下ろす。その従順な様子から、ティアナは理解した。狼は野生ではなかったようだ。この青年に飼われていたらしい。


 だが、それはつまり青年が狼にティアナを襲わせたことになる。

 一体、なぜ? ティアナは緊張を取り戻し、剣を掲げた。


「剣を下ろせ。敵意はない」


 青年は淡々と言う。ティアナは呆気に取られた。


「ふざけてるわけ? 私をペットに襲わせといて、敵意がありませんなんて話が通用するわけないじゃない」


 言いながら、眼差しを尖らせる。


「試させてもらったんだ」


 怯む様子もなく、青年は返してきた。


「俺はラルフと言う。低湿地にいる亡魔を討伐してくれ──そう虚偽の依頼をしたのは俺だ。そんなことをした目的は一つ。オスヴィン──この狼とお前を戦わせるためだ」


「それが分かんないって言ってんのよ。なんで、私がこの狼と戦う必要が……」


「お前が〝依頼〟を任せるに足る人物かどうかを見極めたかったからだ」


「依頼?」


「そうだ。お前には目的地に到着するまで、旅の護衛を頼みたかった。そして、オスヴィンとの戦いを見て、護衛を任せるに値する人物だと判断した」


 ティアナは押し黙る。つまり、腕試しをされていたというわけか。


 苛立ちが募る。人を勝手に値踏みするな。依頼が骨折り損だったことも腹が立った。

 だが、その苛立ちがほどなく消える。直後に湧いた疑問に呑まれたのだ。


 この青年──ラルフは護衛など雇って、どこに向かおうとしている?


 周辺の巣か。だがティアナが亡魔を狩り尽くしたことで、アーヴェント近隣はだいぶ安全になっている。狼を手懐けているなら、なお問題はないはずだ。わざわざ、ティアナを雇う必要性が感じられない。


 ならば、より遠方か。しかし、この文明も秩序も崩壊した世界で一体どこに行こうとしているのか。


「旅の護衛って、どこへ……」


 ティアナは率直な疑問をぶつけた。

 ラルフは二、三度、瞬きをする。それから、決意を混ぜたような声で答えた。


「世界が悪夢に包まれるきっかけとなった場所、帝国の首都クリーゼルだ」


「は……?」


 ティアナは気が抜けた声を洩らす。聞き間違いはなかったか。ハインツェ帝国の首都クリーゼルに向かいたい──この男は、間違いなくそう言ったか。


「あんた、正気……?」


 自殺願望があるとしか思えなかった。


 ラルフの言うとおり、首都クリーゼルは悪夢の震源地だ。そこから、亡魔は大陸へ放射状に広がっていった。つまり首都に近づけば近づくほど、亡魔の数は増える。危険であることは言うまでもなかった。


「お前の気持ちも理解できる。ハインツェ帝国には──特にクリーゼルには、亡魔が蟻のように犇めいていることだろう。死と隣り合わせの旅となることは間違いない。だが、俺に死ぬ気はない。必ず生還してみせる。だから、護衛を雇おうとしたんだ。それも腕利きの護衛をな。それがお前だ、ファーレンハイト」


 ラルフは指差し、続ける。


「亡魔討伐を専門に請け、依頼を死なずにやり遂げる力を持つ女がいる──そんな話は、俺の耳にも届いていた。そして、亡魔を屠り続けるだけの実力があることは確認した。首都クリーゼルまでの道のりにおいて、お前ほど護衛として適任な者はいないだろう」


「それは、そうかもしれないけど……」


「もちろん、仕事に見合った報酬は用意する。護衛を務めるお前は、俺以上に危難に見舞われることになるだろうからな。だから、報酬は金貨百枚──これでどうだ?」


「金貨、ひゃく……?」


 金貨百枚といえば、放浪人が巣で半年以上生活ができるほどの貨幣量だった。

 欲が湧く。ティアナは首を縦に振りたくなる衝動に駆られた。


 だが、とっさに理性でその衝動を殺す。ここは一度、冷静になろう。


「ちょっと待ちなさいよ……疑わざるをえないわ。だって金貨百枚なんて報酬、そんな簡単に用意できるとは……」


 ティアナが疑うと、ラルフは無言で肩掛け鞄を前に回した。


 その鞄に収納されていたものが、地面にぼとぼとと落とされる。そこには、装飾が施されたナイフ、汚れているが生地は良さそうな布、分厚い書物などがあった。

 空になった鞄を掲げたまま、ラルフは告げる。


「俺は〝回収屋〟だ」


「かいしゅう、や……」


 その単語には聞き覚えがあった。

 クリーゼルの惨劇以降に生まれた生業である。廃村や廃都市に赴き、価値あるものを持ち帰り、巣で換金する──それが回収屋だったはず。


「そういう、こと……」


 ティアナは、その話から理解した。なぜ、ラルフが首都クリーゼルに赴きたいか──なぜ、ラルフが金貨百枚という大金を持っているか──その答えがそこにはあった。


 亡魔と遭遇する危険を無視すれば、回収屋は割のいい仕事だと聞いた憶えがある。一つの品が金貨十枚、二十枚になることは珍しくないらしい。であれば、ラルフが金貨百枚を持っていることは不思議ではなかった。


 くわえて回収屋であれば、クリーゼルに赴きたい理由にも予想がつく。クリーゼルに高値で換金できる品があるからだろう。それも、ティアナに渡す金貨百枚を余裕でペイできるほどの品だ。だが、それはなんだ?


「あんたが帝国の首都まで行って、回収したい品っていうのは──」


 ティアナが尋ねると、ラルフは顔を渋くさせた。


「──それはお前が依頼を受けるのに必要な情報か?」


 ティアナは尖った眼差しを浴びる。これ以上、踏み込んでくるな──そんな牽制が秘められたような眼差しであった。


「さぁ、必要なことは話したぞ。決断を聞かせてもらおうか。護衛を引き受けるのか、引き受けないのか。どっちだ?」


 ラルフは選択を迫ってきた。

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