ハイエナ
ティアナは鋭い視線を返す。
巣の住人は萎縮するような素振りを見せ、散っていった。ティアナは袋を受け取り、場を離れる。そのまま、巣から与えられた小屋に向かった。
ハイエナ──これは、ティアナが巣の住人から付けられた異名だ。もちろん、その命名には理由がある。それは、ティアナの姿勢に所以があった。
巣が存続を望むなら、周辺を彷徨う亡魔の排除は避けられない。だが、亡魔の掃討を引き受けようとする者は少なかった。死あるいは亡魔化の危険が伴うからだ。
だが、ティアナは違った。みずから戦場に赴き、亡魔を屠ることを望んでいたのだ。
巣からすれば、ティアナほどありがたい存在はいないだろう。だが、そんな危険を顧みない姿勢はこう表現することもできた──狂っている。ゆえに、住人は嫌悪や軽蔑の感情を混ぜ、屍肉を漁る習性を持つハイエナの異名をつけたのだろう。
異質である自覚はあった。だが、どうしようもない。心に取り憑いた憎悪が、ティアナを飽くことなく駆り立てていたからだ。
「……」
懐を探る。布花で作られたブローチを取り出した。
ティアナには妹がいた。名前はヘラ。ティアナよりも年齢は二歳下だった。布花のブローチは、ヘラが誕生日に贈ってくれたものだ。
そのヘラはもうこの世にいない。クリーゼルの惨劇で命を落としてしまった。亡魔に殺された。見つけたときには遅かった。ヘラは亡魔の山に押し潰されていたのだ。
ヘラは唯一の肉親だった。ティアナが最も愛していた者だった。妹には輝かしい未来が待っていた。彼女は、これからたくさんの幸せを掴んでいくはずだった。
「けど亡魔はすべてを、ヘラから奪って……」
ティアナは亡魔に憎悪を抱く。だからクリーゼルの惨劇から生き延び、一時的に巣で身を落ち着けてから、亡魔に復讐する日々を過ごすようになった。
ティアナはその日々を遡っていって──ふいに自覚する。思考が負に傾きすぎていた。
歩みを速める。そして自分の小屋に入るなり、ベッドの縁に座った。そばに置いていた袋に手を忍ばせ、ドーナツのような茶色い塊を取り出す。
それは、ベニエという菓子だった。卵を混ぜた生地を揚げることで作れる。
数日前に買い溜めしておいた品だ。この品は蜂蜜の代わりに砂糖で甘みを添えるアレンジが施されていたが、これはこれで美味い。ティアナはこのベニエで、沈んだ気持ちを引き揚げようとした。
馥郁とした香りが漂う。
ティアナは口を開け、ベニエを存分に頬張ろうとした──が、とっさに手を止める。
「──?」
誰かが小屋にいる気配を察知したのだ。
瞬間、寝台の下や木箱の裏から、複数の人影が飛び出してきた。その者たちは武器を携えている。ティアナを襲撃する意思があるらしい。
ならば、迎え撃つべきところではあった。だが、それはしない。必要ないと言ったほうが適切か。呆れ顔を作りながら、ティアナはひょいと跳ぶ。
「うわっ!」
「きゃっ!」
その者らは同士討ちするように衝突し、騒々しい音を響かせた。
想像通りと言うべきか、そこには木剣を携えた子どもたちが倒れている。
「くそ~また失敗だ!」
「ちゃんと隠れてたつもりだったのに~!」
子どもたちは地団駄を踏んでいた。
「あんたたち……」
ティアナは嘆息する。
ここにいるのは、アーヴェントで生活する子どもたちだった。
数週間前、ティアナはこの子どもたちから声を掛けられた。その内容は、剣術の稽古をつけてほしいというものだった。
ティアナは難色を示した。だが最後は執念に押され、稽古をつけてやったのだった。
それからも、稽古は何度かつけてやる。
最近は培った実力を測りたくなったのか、勝負を挑まれるようになった。ただ、待ち伏せまでしてきたのははじめてだ。
頬を膨らませながら、子どもたちの一人が言った。
「ティアナお姉ちゃん、今度は勝つからね! だから、また稽古をつけてよっ!」
すごい理屈である。自分を襲おうとする人間に稽古をつけてやる者などいるのか。
ティアナは辟易する。だが、ふたたび稽古をつけてあげることは吝かでもなかった。我ながら、理由は単純。子どもたちに愛着が湧き始めていたからである。
だからこそ、懸念もよぎった。これ以上、この子たちと関わりを深めてもいいのか。
「あんたたちも知ってるでしょ?」
口から出た声は低かった。
「私がなんて呼ばれてるか──ハイエナよ? 獣みたいだって、嫌われてるの。みんなのパパやママも私といるところを見たら、きっと良い気分はしないわ。だから、もう私と関わるのは──」
子どもたちはきょとんとした顔を見せる。
「なんで、嫌われちゃってるの?」
「え? その、それは……」
言葉が詰まった。あまりにも純粋に疑問をぶつけられ、反応が遅れてしまう。
「それは、私が怖かったり、気持ち悪かったりするからで……」
顔を俯けながら、ティアナは言った。すると子どもたちは屈託のない笑みを浮かべ、元気な声で返してくる。
「怖くないよ! 気持ち悪くもない!」
「ティアナお姉ちゃん、優しいもん! 強いし、かっけーし!」
「私たち、ティアナお姉ちゃん好きだよ!」
ティアナは双眸を開き、硬直を余儀なくされた。
無垢とは、この子たちを形容するためにある言葉か──ふとそんなことを考えてしまった。
子どもたちは知識がないだけだ。悪夢のような世界で生きていることを知れば、そんなことは言えなくなる。大人のように、きっと冷たい視線を向けてくる。
だが、いまはすくなくとも親しみを持ってくれていた。ティアナを好きだと言ってくれていた。
それは事実だ。ならば、その気持ちには応えたい。
「──しょうがないわね」
微笑んだティアナは、両腕を腰に据えながら力強く言う。
「分かったわ。今日もビシバシ鍛えてあげるから、覚悟しときなさいっ!」