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壊れた世界で

 一向に慣れる気がしなかった。


 それは、ウェッジという種別に分類されるテントだった。広さや頑丈さを犠牲にする代わりに布を一枚かけ、折り曲げるだけで雨風を凌ぐことができる簡便さを手に入れた、三角形のテントである。

 そんな手狭なテントで、直立しながら両腕を地面と平行に伸ばす者がいた。


 蒼玉サファイアのような碧の瞳を持ち、檸檬色の髪を二つに結った少女──ティアナ・ファーレンハイトである。


 ティアナは半裸だった。ブレストプレート、ポールドロン、ガントレット、グリーブを外し、ワンピースも脱いでいる。胸と腰だけが覆い隠された、下着姿になっていた。


 着替えているわけではない。湯浴みをしようとしているわけでもない。

 ならば、なぜティアナは半裸になっているか。それはティアナの前方にいる、ショートヘアの赤髪を持つ、三十代ほどの女に身体を観てもらうためだった。


 断っておくが、ティアナに同性愛かつ視姦に興奮するような傾向はない。これは()()()()()()()()()()を確認するために必要なことだったのだ。


 それでも、肌を至近距離で見つめられることはむず痒い。だから、これだけは一向に慣れる気がしなかった。


「問題ない。服を着て、門を通っていいわ」


 女は淡々と言い、テントから去る。


 感じが悪かった。だがティアナは深く気に留めることなく、ワンピースと甲冑を着直す。それから布を押し上げ、テントを後にした。


 外に出ると、そのテントと向かい合うようにして建てられた、別のテントが目に入った。見た目はほぼ同じだが、天幕の高さに差がある。向こうがやや高くなっているのは、あちらが男性用だからだろう。


 ティアナは視線を動かす。そして、今度は鉄屑を掻き集めて作った門扉を捉えた。

 その門扉は櫓に挟まれている。櫓には、左右それぞれに屈強そうな男性が控えていた。どちらも警戒するような眼差しで周囲を見渡している。


 荒っぽい声が響いたのは、そんな二人に目を向けていたときだった。


「──やっぱりじゃねえか!」


 その声は、無精髭を蓄えた中年が発していた。中年の視線は、茶髪の青年に向けられている。突き飛ばされたのか、青年は地面に尻餅をついていた。

 顔をしかめながら、中年は続けて叫ぶ。


「頑なにチェックを拒んでくると思えば、お前咬まれてるじゃねえか!」


「ち、違うんだ! 待ってくれ!」


 青年は両手を泳がせた。


「こ、これは野犬に咬まれたんだよ! 神にだって誓える! だ、だから、これは断じてアイツらの仕業じゃ──」


 青年は必死に弁解している。だが、それでも中年は顔色を変えない。


「あぁ、そうかもな。だが、そうじゃないかもしれねぇ」


「え──」


「わずかにでも可能性があんなら、通すことはできねぇ。お前が〈亡魔もうま〉になっちまったら、アーヴェントは一巻の終わりだからな。本来なら、こうやって会話をしてることすら危ねぇんだ。この理屈、お前も分かるだろ? 分かるなら、さっさと去りやがれ」


 中年は突き放すように言い捨てる。


「そ、そんな……」


 青年は両腕を地面につき、がくりとうなだれた。


 ティアナは青年に同情する。かと言って、中年に抗議する気にもならなかった。中年の判断はひどく理に敵っていたからだ。


 話は三年前に遡る。


 ティアナが立つツヴァイク大陸──ここは当時、六つの国家に領土が分割されていた。

 ハインツェ帝国、ポッサート共和国、レングナー共和国、ビンツス王国、リューデル王国、エルスター公国の六国家である。


 その中で最も広大な領地を誇っていたのが、ハインツェ帝国だった。そんなハインツェ帝国の首都クリーゼルが、三年前に突如として壊滅した。この事件は現在、〝クリーゼルの惨劇〟と呼ばれている。


 内紛が勃発したわけでも、隣国から戦争を挑まれたわけでもない。

 クリーゼルは、突如として現れた亡魔という存在によって壊滅させられたのだった。


 亡魔とは何か。その正体に関しては明らかになっていないことも多いが、一つだけ確かなのは、彼らがかつて普通の人間だったということだ。


 だが、普通ではなくなってしまった。彼らは理性を失っているのだ。涎を垂らし、酩酊したように徘徊し、鼻を捻じ曲げるような異臭を撒き散らしながら、獣のように生者の肉を貪る。


 そして、狂気を感染させる力を持っていた。咬まれたら最後、その人間は亡魔に変貌してしまうのである。


 そんな脅威的な性質ゆえ、事件直後に大陸はすぐ亡魔で溢れ、国家の文明や秩序は崩壊してしまった。


 かろうじて生き延びた人間は〈ネスト〉という拠点を築き、自給自足の生活を送っている。ティアナが訪れている、ここアーヴェントも巣であった。


 アーヴェントは、一般的な農村ほどの広さがあった。頑丈な木柵や鉄柵で囲まれ、急拵えの木造小屋が建ち並んでいる。ほとんどの小屋は住居だが、鍛冶をするための金床や火炉があったり、パンを焼くための竈を据えている小屋もあった。


 巣の面積の半分以上を占めているのが畑だった。畑は耕作地と休作地を分ける二圃式を採用しているらしい。作物は小麦、豆や野菜や亜麻などを栽培しているようだ。

 生存者は、こういった巣に属していることがほとんどだった。だが特定の巣には所属せず、各地を渡り歩きながら身過ぎする人間もいる。


 彼らは〈放浪人ヴァンデラー〉と呼称された。ティアナも、その放浪人の一人である。


 放浪人に対する処遇は巣によって異なるが、アーヴェントは巣に利益をもたらせば食事と寝床を与える方針だった。


 ちょうど、ティアナは巣から任された依頼を果たしてきたところだ。その依頼の内容は、亡魔の討伐だった。


 門扉を通り抜けたティアナは巣を進み、屋台でふんぞり返っている男に話しかける。彼は放浪人に任せた依頼を管理する者だった。


「デリア峡谷の亡魔は片付けたわ。報酬をもらえる?」


「──」


 無言で報酬の袋を渡す男の視線は、ひどく冷たい。


 そんな視線が生む寒さは、胸だけではなく背中にも広がる。そこから、ティアナは同様の視線が後ろからも注がれていることに気付いた。

 振り返ると、口に手を翳しながら、ひそひそと会話する巣の住人たちがいた。


 会話は聞き取れないが、そのなかで風に流され、一つだけ耳に届いた単語があった。


 ──ハイエナ。

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