トイレの名前が変わります
みんなのトイレの名前が変わる。
これに先立ち会議が開かれることになった。
(ブレストは好き。自由に意見が言えるから)
私はるんるん気分で会議室に足を踏み入れる。
「あ来られた。今日は書記係をお願いします」
ちょっとショック。
(プレゼンはめんどくさいのよね)
すでに与えられた情報をわかりやすくまとめる。
(論理的にまとめるのって疲れちゃうからなあ)
私は大きく息を吐く。
そしてこれも仕事と割り切る。
「わかりました。お受けします」
私がそう言うと人が集まりだした。
「現在現場ではラベルを貼って対応しています」
会議が厳かに始まる。
「このラベルをはがそうとする人がいました」
進行役が淡々と説明していく。
「再発防止や顧客満足度向上を考えるのが狙いです」
私は説明をパソコンにまとめホワイトボードに映す。
「名前の部分をスライド式に変えるのはどうだろうか」
誰かが発言する。
「いいですねそれ」
どこかから賛同の声が上がった。
「このトイレの名称変更は度々行われてますから」
「直接書くとつど帰るのはコストがかかりますし」
「利用者からの声もありますしこれが最善ですね」
ピンときた。
(答えありきで誘導しようとしてる……?)
スライド式に変更の口調は強く会議室は鎮まる。
「ほかに意見はありますか?」
嘆きにも似た進行役の声が会議室に響く。
「自由な発言。それがブレストですよ」
進行役の声に会議室は静寂を返す。
「ひとつの意見で決めるのはいささか早急かと思う」
年配の役員が口を開く。
「部署を超えた意見交流の場と考えてほしい」
なおも会議室は沈黙を続ける。
(派閥の板挟みかな、これは)
書記役の私はぼんやりと状況を眺めていた。
「スドウさんなにかありますかね?」
名字を呼ばれてびっくりする。
なにか言ってくれと進行役の目が語っていた。
「そうですね……」
当てられたので少しだけ口を挟むことにする。
「みんなのトイレの名称変更って多いんですか?」
会議室の静寂がほぐれた気がした。
「施設課のオノです。回答していいですか?」
手を挙げた男性が進行役に許可を求めた。
「みんなのトイレの前は多目的トイレの名称でした」
進行役が認めるとオノさんは答え始める。
「ちなみにその前は――」
「おっとストップ」
誰かが重ねようとした説明をオノさんは止める。
「多目的の前の名称は必要ですか?」
自分たちの代でとどめておこう。
そんな思いがオノさんの声からくみ取れた。
(気になるなあ)
そんな思いを仕事と割り切って話を続ける。
「ところでどうして名称変更なのでしょうか?」
「そりゃ国がそういったからだろ?」
イライラした声で最初の発言者が言う。
「そうですね。スライド式にするのは概ね同意です」
営業の意見を受け入れて私は答えた。
「ならなにが問題なのかね?」
「その前に利用者の声のデータって今あります?」
私は質問を質問で返す。
(相手を認めて自分の考えを認めてもらう)
そのために同じものを共有することが大切と思う。
営業の人からデータが手渡される。
それをもとに私は円グラフを作成していく。
「我々に対する名称変更を求める声のグラフです」
グラフのおかげか皆の理解が進んだ気がした。
「次にキッズルームがある場所に限定してみます」
私は条件を絞り込んでもうひとつグラフを作る。
「結構多いですね」
「だからなんだというのだね?結論を言いたまえ!」
(あれ?子どもがいるならわかるはずなのに)
結論を急ぐ営業の声に私は落ち着いて考えていく。
(ひょっとして独身なのかな――っと)
私は考えを止める。
(結婚指輪や家族写真を見せるだけでパワハラ、か)
「乳幼児用の補助便座があると便利な気がします」
「補助便座?」
「トイレトレーニング中の子もいると思いますから」
現状のみんなのトイレの画像をボードに映す。
続けて乳児用補助便座の写真を表示する。
「今あるのはオムツ交換台とシャワーヘッドだけか」
画像のトイレには手洗いがふたつあった。
そのうちひとつはシャワータイプ式で伸縮できる。
(これだけでもおむつ後にお尻を洗うのに便利よね)
と思っていると誰かの雑談が聞こえてきた。
「オストメイト用のトイレがあるし立派だろ?」
「オストメイトってなんだっけ?」
「人工肛門や人工膀胱の方々だよ」
「ああストーマの方々か」
(え?そうだったの?)
初めて知り恥ずかしくて顔を伏せる。
「補助便座の設置は盗難防止を考えることになるな」
「紐かなにかでつないでおきます?」
営業の声に誰かが答えた。
「首に絡むか自死の場所に選ばれるだろうが!」
(そこまで考えるの?)
いろんな状況考えてるなと心の中で思う。
☆ ☆ ☆
「ブレストは意見を出し合う場だ」
年配の役員が言葉短く口をはさむ。
「そうですね。議論は次の時間にお願いします」
進行役が続き私は再度意見を出す。
「トイレットペーパーが右側だけなのも気になります」
「右側だけだとなにか問題があるのですか?」
施設のオノさんが私に聞いてきた。
「右手にマヒがある人が困るかなって」
思ったことを素直に口にする。
「俺なら左手にぐるぐる巻くな」
誰かが私の意見に賛同した。
「それやられるとトイレが詰まる!」
「水量や水圧でなんとかならんかね」
「水道代も考えてください」
誰かの助け舟に経理の人が答えた。
「左側にも置くとトイレ用の手すりをどうするかだな」
「スペースがなあ……この際新しく作るか?」
「トイレの数も水圧も建築基準法で決められてます」
初めて知ることをオノさんが話す。
「そうなのか?」
「はい。ウオシュレットの水もそうです」
営業の質問に施設のオノさんは答える。
「以前はトイレの水を直接使ってました」
マジか。
「トイレの水も水道法に基づいて検査してます」
私が驚いている中オノさんは話を続けていく。
「法改正により手洗いの水を使うことになりました」
少しほっとした。
「断水のお知らせとか配ってたのはそのためか」
「あの節はお世話になりました」
オノさんが営業の人に頭を下げる。
「洗面場下に止水栓があればそのまま使えたんです」
(ひょっとして手洗いの水を伸ばしたの?)
配管どうやって引いたんだろう。
会議終わったら聞いてみたくなった。
「同じ注意をさせるのは社会人としてどうだろうな」
年配の役員が口を開く。
ざわついていた会議室がしいんと静まり返った。
「意見はまだありますか?」
進行役が私に聞いてくる。
「大丈夫です」
意見を入力する手を休め私は答えた。
「ならブレストは以上で終わりにします」
いいですよね、と進行役は役員の顔色をうかがう。
「いったん休憩に入ります」
首肯くのを見てから進行役は会議を進める。
「休憩時間は少し多めで頼む」
年配の役員が割って入った。
「施設課のオノ君」
「はい」
「トイレの個数や水圧、水道法についての資料を」
「かしこまりました」
「施設課の手に余るなら見積もりも頼む」
「承知しました」
営業とオノさんの声が重なる。
「休憩後は問題点を洗いざらい見つけ出す」
(ブラッシュアップをわかりやすく言い換えてる)
「そもそも」
年配の役員の言葉に全員が耳を傾ける。
「この会議の目的には顧客満足度の向上にある」
そして年配の役員はこう締めくくった。
「全員熟考して会議を進めてくれるよう願う」
☆ ☆ ☆
(早く休憩に入りたい)
私は会議の議事録に四苦八苦している。
「すまんな。我々の会社はブレストを始めて日が浅い」
顔を上げると年配の役員が私に話しかけられた。
「だから強弁詭弁や根回しを行うものが未だにいる」
最初の人たちの発言を思い出す。
「議事録は重要なところを書くのがコツだ」
私は気の抜けた返事をする。
「なんの目的で議事録を書いている?」
「会議内容をまとめるためにです」
「誰のために?」
「参加した人の復習用にです」
「それだけかね?」
思考が浅いといわれている気がした。
「あとは……そうですね……うーん……」
回答につまり答えを探す。
「全体を見たまえ。議事録は誰が見る?」
「だから参加した人――」
同じ回答をしようとしてると私は気づく。
(見落としているものがある?)
先ほど熟考するよう言われていた。
同じ失敗をするのは社会人としてどうかとも。
「社員全員ですか?」
思考を深めて私は答えた。
「もう少しだな」
その言葉に私はさらに思考を深めていく。
「降参です」
私は白旗をあげた。
☆ ☆ ☆
「そうか。議事録は一種の記録なのはわかるね?」
「はい」
「ならばいつどこでだれが見ると思う?」
年配の役員の言葉に私は三度考える。
(だれがは社員全員よね)
どこでどいえば保管室。
なら、いつが問題なのだろう。
いつに絞ってみるとある回答が閃く。
「ひょっとして未来の社員ですか?」
「そう」
年配の役員が満足そうに言う。
(そういえば施設のオノさんが言ってたな)
『みんなのトイレの前は多目的トイレの名称でした』
『多目的の前の名称は必要ですか?』
「書くことを絞るということですか?」
出てきた答えを年配の役員に伺い、確認をとる。
年配の役員がほほ笑む。
「なら私は重要そうなとこを書けばいいんですね?」
「そう。だからスドウ君を書記役に選んだ」
「私を指名?」
「ここだけの話にしほしいて聞いてほしい」
年配の役員の言葉に興味を覚える。
「細かい所に気づくスドウ君だからこそ指名した」
そういわれて少しやる気が出た。
「わかりました。期待に応えます」
「ああ。よろしく頼むよ」
そういうと年配の役員は私に背を向ける。
「あの、どちらへ?」
「トイレだよ。この歳になるとトイレが近くてね」
年配の役員のおっしゃる言葉の裏が読めた。
「そうですね私も行ってきます」
「休憩時間だから混んでるかもな」
「その時は多目的トイレを使いますよ」
私は入力を止めて立ち上がる。
「ご指導ありがとうございます」
「後半はしっかりな」
年配の役員の言葉を背に私は走り出す。
(みんなのトイレの使用感を確かめてこよう)
次の世代や将来の人たちのためになにができるだろう。
そのためには何をどうしたらいいんだろう。
私は歩きながらそんなことを考えていた。