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05.サ

挿絵(By みてみん)

 鉄平の話を聞いてから、楓は部屋中を丁寧に掃除し始めた。バスルーム、トイレは昨日掃除したばかりだが、時間をかけて掃除し直した。それが終わるとキッチンのシンクを磨き出す。


 忙しなく動く楓にイライラした鉄平が低く怒鳴る。

「うるせーな……大人しくしてろ」


「ごめん。……でも、これが報酬なんだけどな」

 解決策が明確になり、やる気スイッチが入っている楓は困惑し、ぶつぶつと反論した。


「まだ助かるって確定してねーだろっ」


 恩人確定の鉄平に対し、頭の上がらない楓はしゅんと小さくなる。止めていた手を静かにゆっくり動かし始める。鉄平から睨まられているのを視界の隅で感じ、いたたまれない気持ちを払拭するためにこれからのことを考えることにした。どれくらいの頻度で掃除しに来ようかと。毎日三食は無理でも、できる範囲で時間をつくろうと。


 楓の考えなど知る由もない鉄平は、楓に対する落とし所の定まらない感情を楓にぶつけ、そんな自分にまた憤慨する負のループに陥っていた。この苦しさから抜け出したいと思う反面、抜け出した後が自分にとってプラスになるとも思えなかった。刻一刻と過ぎていく一分一秒がもどかしい。


 京平は、鉄平が楓に顔を向けている隙に、ここぞとばかりにパソコン画面を見入る。桟敷(さんじき)との取引をこなしているPC画面を見て、なるほどー、と合点する。


(今、掃除し終えたら会う口実なくなっちゃうもんなー。鉄平ってば必死だなー)


 京平は、鉄平が鎮撫する頼みごとを楓にした。


「楓くん、晩飯の買い出ししてきてよ。おやつも買っていいから。あと明日の朝ご飯もよろしく―。ほら鉄平、楓くんにPoypoy(ポイポイ)で送金しろ」


 京平の言葉で部屋の空気が穏やかになったことを肌で感じ、楓は驚きを隠せなかった。はっと我に返り承服した楓は自分のスマホを鉄平に渡し、キッチンの掃除を簡単に済ませ出かける準備をした。鉄平の視線から解放された楓は、やっと深く息ができた。


 楓は、通電した心のネオンサインが煌々と輝いていることに気づかないふりをした。気づいてはいけないと、目を背けるのだった。


 鉄平からスマホを受け取る際、恐る恐る鉄平を見る。鉄平は楓を見ている。確実に楓を見ているが目が合うことはなかった。


 楓は鉄平が怒っている理由を推察しながら靴を履く。

(コルトル社からの依頼、相当やばい内容なんじゃ……?)

 これは年単位で家事をしなければならないと、自問自答し覚悟する楓であった。


 ドアノブに手をかけたところで京平に呼び止められる。


「これ俺の新作ガジェット。使ってみてレビュー頂戴」


 楓の手に渡されたのはワイヤレスのブルートゥースイヤホンだった。スマホとペアリングすると、スマホにある音楽リストを勝手にリミックスしてくれるのだと言う。


「マジ? すご」

 楓はさっそく耳に当てた。


「音量気を付けてね。車いないけどさ」


 京平が優しく注意すると、楓は親指を立てて了承のポーズをとる。


 少しして、二人きりになった京平がスマホ画面を鉄平に見せる。

「ほら、楓くんレーダー」


 鉄平は見透かされたことにムカついているのか、鼻を鳴らして煙草に火を付けた。


 一時間後、リュックからパセリを生やして戻った楓は、京平の新作ガジェットから流れる音楽に合わせて頭を小さく揺らしながら包丁とまな板の音を響かせた。

 ワンルームに煙草とカレーの匂いが重なり合う。




 その日の深夜、鉄平に連れられ三人で指定された場所へ向かった。色鮮やかな表通りから外れ、非常階段が外付けされたビルの前で鉄平が止まる。すると、京平が小さいカメラ付きドローンを浮かばせる。全く音を出さずに浮遊するドローンは非常階段を隈なく視察した。モニターを持つ楓の手に力が入る。

 所々消えかけ不定期に点滅するネオン看板の下に位置する非常階段の踊り場で目隠しされ手を背中で縛られた人影を見つけると、楓は一目散に階段を駆け上り走り寄った。鉄平と京平も後を追う。


 その人物は、髪が乱れ上着には足跡が見て取れた。殴られたらしく切れた口角から血が滲んでいる。

 目隠しを解いた顔を見て、鉄平と京平は絶句した。


 楓とそっくりな分厚い唇。だが、鼻筋が高く、顎が骨張っている。よく見ると首筋、喉仏がしっかりと見て取れた。余裕のある上着を着ているが、そこそこ肩幅があるのがわかる。


 楓のねーちゃんは男だった。


 意識を取り戻した男のねーちゃんは、楓を見るなり抱きしめた。開口一番、くっさ! とヤニ臭さに毒突くも、怪我をしていないか、危険な目にあっていないか、矢継ぎ早に確かめる。

 安否確認を終えて、横に立つ鉄平と京平にやっと気づく。


 誤解を招くまいと、楓が早口に説明する。

「この二人が助けてくれた! 命の恩人!」


「……」

 鉄平は無言のまま立っている。ネオン看板がちらついて、表情がいまいち見えない。


「か、楓く〜ん? せ、説明して〜?」

 無言のままの鉄平から発せられる狂気を感じ取り、顔を向けられず楓に弁明を求める京平。


 楓もただならぬ鉄平の様子に焦る。

「か、帰りましょう! い、一旦鉄平さんちにっ」


 挙動のおかしい楓を心配しつつ、ねーちゃんこと(はやて)は、鉄平と京平に土下座して謝罪と感謝を述べた。


「申し訳ありません! 兄である僕の失態で楓を危険な目に合わせてしまうところを保護して頂いて。更には自分の身まで助けて頂いて、本当にありがとうございますっ!! この御恩は必ずお返ししますので!」


 無事に見つかった兄のことを放っておけないが、一言も発することなく微動だにしない鉄平のことが気がかりでどっちつかずの楓だったが、

「荷物とかあるし……鉄平さんのところに一旦戻ってから帰る。一人で歩けるよね?」

 と、鉄平を優先した。


 まさかの唯一の家族を差し置いて無傷の恩人を優先した事にショックを受け驚いたが、他人がいる手前、平然を装い兄は腰低く何度も鉄平達にお礼の言葉を挟みつつ明るくなってから取りに行けば良いと楓を説得した。

 しかし、楓は頑なに優先順位を変えなかった。仕方なく兄が折れ、楓は鉄平たちと戻ることとなった。


 帰り道、無言の鉄平の後ろを歩く楓は、彼の服の裾をつまんで離さなかった。京平も何も言わず、隣を歩いた。




 鉄平の部屋は誰もいないかの如く静まり返っていた。重たい空気が流れている。


 俺の視界に入ってくんな、と恐ろしいほど低い声で冷静に突き離された楓は、鉄平の視界に入らないベッドの上で正座して謝罪した。


「ねーちゃんは嘘だ。ほんとはにーちゃん……ごめんなさい……です」


 京平が助舟を出す。

「楓くんはさ、何で嘘ついたの?」


「女限定って『万華鏡』の注意書きにあった……から。だけど、ちゃんと自分の立ち位置を持ちたかったし、対等とまではいかなくてもお荷物になるのは嫌だったのが一番の理由」


 的を得ない理由に苛立った鉄平は、灰皿に勢いよく煙草の灰を落とす。


 正座していた楓が移動する。

 ベッドを背もたれにして立てた膝に腕を乗せて煙草を吹かす鉄平のことを、ベッドの端に座り直した楓が足で挟む。


 心のネオンサインの光が眩しくて仕方がなかった。目を背けても煌々と照らされ、認めざるを得なかった。楓は、兄より鉄平を選んだ自分の気持ちを鉄平にぶつけることにした。


「もう一つ嘘がある……」


 楓が切り出した言葉に、鉄平は大きく煙草を吸って吐き出す。

 京平は窓の外に広がるサイバーネオン街に視線を向け、楓の次の言葉を静かに待った。




「俺は……女だ」


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