04.ブ
「楓くん、おはよー」
京平の優しい声で目が覚める。うずくまって寝ていたようでベッドの半分が空いていた。目尻から頬にかけて皮膚が突っ張る。どうやら寝ている間に泣いてしまったらしい。楓は咄嗟に枕が濡れていないか指で確認する。
涙の跡がバレないよう袖で目尻をこすってから起き上がって見下ろすと、床で眠る鉄平は何もかかっていないため寒そうに丸まっていた。楓は鉄平にそっと掛け布団をかけてやり、バスルームであちこち跳ねる毛先をなだめ、朝ご飯を作るためキッチンに立つ。
手際よく簡単にこしらえた朝食をテーブルに置く。ホットサンドとスクランブルエッグから湯気が立ち上がっては薄れていく。バターの香ばしい香りを吸い込んだ京平が、いただきまーすとホットサンドを手に取る。
「これからどう進めていけばいいんですか? ねーちゃんが誰と会ってたか知らないし、スマホも持っていってるから探せないし。そもそも、ねーちゃん自分の居場所がばれないように徹底してたんで、俺のスキルじゃ……」
不安を言葉に出す楓をよそに、ホットサンドを頬張った京平がもごもごしながら言う。
「もう、あらかた目星はついてるよ」
「え……?」
「あー見えて、鉄平クソ頭いいんだよ。俺の知る限りでハッキング能力でいったら右に出るやつはいないかな。鉄平敵に回したら、ジ・エンド」
「……えぇー?」
驚いて横で眠る鉄平を見張る。楓の心にあるネオンサインに微弱の電流が流れ、ちかちかと音を立て始めた。
「鉄平さんもハッカーだったなんて……でも、調べてる時なかったですよね?」
「可愛い楓くんのために徹夜したんでしょ」
京平が顎で指す先には、昨日の夜、綺麗にしたはずの灰皿に吸殻の小山ができていた。
(酔っ払って寝落ちするって相当酔いが回ってるはずじゃ……)
床に置かれた空き缶を数えようと持ち上げると、どれも半分以上中身が入っていた。
心がざわつき始めた楓だが、頭が追いつかず信じられずにいた。
「そんなに凄いならもっといいとこに住めそうですけど? 家賃だって……」
「表向きの本業で稼いだ金で生活してるからね。ほら、役所は平等でクリーンだから」
「きょ、京ちゃんもハッカー……なの?」
ぎこちなく名前を呼ぶ。
「俺はガジェットとか発明する方。ちゃんと届出してるから徹平よりは稼ぎはいいかなー」
楓の瞳がキラキラと輝き出す。
人は、自分にはない部分に惹かれるものである。ハッカーである姉の姿を見て凄いと憧れていたが、それを遥かに上回る最強の人物だと言われたら尊敬の念を抱いてしまうのは必然と言えるだろう。
そして、人が見ていないところでさり気なく事を片付けようする徹平の一面を知り、純粋にかっこいい、と楓は思った。
「鉄平が、こんなに優しい奴だったとはねー」
スクランブルエッグを口にしながら京平が棒読みで褒める。
美味しそうな匂いにつられて目を覚ました鉄平が、横になったまましゃがれた声で口を挟む。
「俺の悪口だったら許さねーぞ」
「お、おはよーゴザイマス」
急に鉄平に対してよそよそしくなる楓。
上半身を起こし、目の前に座る楓を眺めて鉄平は感想を述べる。
「何だ、お前。朝から可愛くてむかつくなー」
平常運転の鉄平に、尊敬の念が消えそうになる。
「……やっぱ、きもい」
立ち上がった鉄平は、空き缶を片すついでに壁型ロボットに珈琲を入れるよう指示する。流れるような動作で珈琲が出来上がる。
「ぬるっ……おい、京平。こいつどうにかしてくれよ」
いつまで経っても適温にならない珈琲に滅入る。
自分でどうにか出来る術を持ち合わせているくせに、と言わんばかりの脱力した表情を向けてくる京平に鉄平はあくびを返す。楓は二人の表情を行き来して無言の会話が成立していることに気付く。
次の瞬間には、二人は違う方向を向いている。鉄平は煙草の箱に、京平は朝食に。
煙草に火を付けた鉄平に京平が怒る。
「せっかく楓くんが作った朝食を目の前にして、煙草かよ」
「うっせ。まだ寝ぼけてんだよ」
「俺が代わりに食ってやる」
鉄平の分のホットサンドへ伸ばす。
と、京平の手に煙草の赤い火が近づく。
「あっつ!」
「灰皿かと思った」
鉄平の言い訳はなんとも幼稚である。
京平は手を引っ込めて大事そうに甲をさする。怒った顔から、ニヤニヤした表情に変わる。
「あぁ〜、目ぇ覚まして、しっかり味わって堪能したい訳だ」
尊敬する人にどんな形であれ認めて貰うのは嬉しかったが、それ以上にこの二人やりとりが楽しかった楓は、声を出して明るく笑った。
自分の笑い声で、心のネオンサインに完全な電流が走った音に楓は気付かなかった。
その日の午前中も二人の仕事を横目に本を読んだり筋トレをする楓だが、最強のハッカーと謳われる鉄平のことが気になって仕方がなかった。つい、マウス操作やキーボードを打つ後ろ姿に見入ってしまう。
昼過ぎ、スマホを手にした鉄平は家賃払ってくる、と部屋を出た。
戻ってきた鉄平からはピリついた空気が漂っていた。楓には声をかける勇気はなく唾を飲む。
鉄平はお茶をコップに注いでから一気に飲み干し、キッチンの壁を見つめたまま話し出す。
「楓。お前のねーちゃんがやらかしたのは、コルトル社の口座暗証番号を勝手に書き換えたことだ」
京平が反応する。
「コルトル社って、零細企業としてちょっと前に開業した会社だよな」
「その会社の代表は、桟敷だ」
「……あーらら」
二人の会話から、手を出してはいけない所にハッキングしてしまったのだと察した。手が震える。
「たぶん、取引の隠れ蓑として作った会社。零細だが、裏で動かしてる金は巨額だ」
「もしかして、もう天国いっちゃってる?」
京平らしく優しく言っているが、全くオブラートに包めていない。
「……っ」
楓の脳裏に今までのこと、これからのことが秒で流れ、心に底なしの穴が開いて息が詰まる。
「泣くな」
鉄平にしては珍しく、短いが優しい言い方に感じられた。
「桟敷から、コルトル社立上げの前にしつこく依頼を受けてたんだが断ってた。だから、一回だけ……楓のねーちゃんの解放を条件に一回だけ協力すると申し出た。パスコードを更に強化したやつに変更してやるっておまけ付きで」
「わお。愛されてんね、楓くん」
楓は即座に立ち上がり、鉄平の背中に頭が凭れるか凭れないかギリギリの位置で深くお辞儀する。
「マジでありがとうございますっ!!」
「離れろ。きもい。男に寄り添われても嬉しくねー」
「ごめ……っ、動揺して……」
しつこく好意を寄せてくる鉄平のまさかの拒絶に、ショックを隠しきれない楓の頭を京平がぽんぽんと撫でる。
「可愛い顔で真正面から抱きついてこい」
しれっと欲求をぶつけてくる鉄平に安堵する。
「あはは……やっぱきもい」