01.電
近いようで遠い未来。人類とロボットが半々な時代。
二〇五五年、公共事業は対人ロボットを含めた機械が全て担っている。そのため横領や談合などが横行することなく、クリーンで平等すぎる公益運営がなされている。
人間はどうしているかと言うと、法人企業か個人事業が主となり『役所勤め』は死語となった。
少子化が止まらず、日本は都心部に全てが集中した。そのうちの一拠点である東京、ここ秋葉原は電子機器の改造などデジタルに特化した個人事業主が支配しており、電線が蜘蛛の巣のように張り巡らされたサイバーネオン街に進化している。秋葉原中心は全面車両進入禁止区域となり、車道だった場所に進行方向を示す形の巨大磁石が埋込式で設置され、風を噴出する電動キックボードや一人用ミニバイクで移動する。そのため信号機は健在だ。
迷宮と化した秋葉原で配送業を生業としている個人事業主は複数いるが、根強い顧客を持ち、じわじわと顧客数を増やしている事業主がいた。裏稼業として、『万華鏡』という名の万事屋をやっている。その男の名は鉄平。
まだネオンが残る早朝に、相方のつくった試作ガジェットが勝手に搭載された無駄に高機能な目覚ましに、半ば無理やり起こされた鉄平は、苛立ちながら壁型ロボットの淹れた珈琲を飲む。
「あっつ! いつになったら適温で出してくれんだよ」
鉄平は、珈琲の入ったコップをテーブルに置く。不揃いな黒髪を手櫛で後ろに流し、筋トレで筋肉痛になった腕を回す。肩にまでかかる背中の傷が筋肉の動きに沿って波打つ。
灰皿から吸殻を選び取り再び火をつけると、コンパクトで最適が売りのボックス型ワンルームに珈琲と煙草のにおいが入り混じった。
依頼の配達リストを眺めていると、ドアのチャイムが鳴る。
標準ではないモニター画面に真正面、右横、左横、下からのアングルで、ストレートの長髪を下ろしキャップを被った整った顔が映る。三秒凝視して「合格」と独り言をつぶやき、ドアを開ける。
キャップによく合うオーバーサイズのパーカーに秋葉原で出回っている通行証の腕章をくくりつけ、キックボードの起動バーコードパスを首からぶら下げている。化粧っ気のない顔だが、分厚い唇がそれを補っていた。
『万華鏡』の依頼だとわかる鉄平の部屋を示すナビゲーション画面が映し出されたスマホを掲げる。
顔をよく見ようと鉄平がキャップを取ると、ストレートの長髪がずるりと落ちる。隠れていた耳までかかる短髪の隙間から軟骨ピアスがきらりと光った。
「おっと、カツラか。ショートヘアもいいね。可愛い子は短くても可愛い」
鉄平は、外したキャップを後頭部にかかる程度に浅く戻した。依頼人はキャップのつばを持ち、ぐっと深く被ると自ら受け止めた長髪のカツラをぐしゃっと握った。
カツラで変装していたことに全く動じない鉄平に対し、苛立ちと一緒に吐き捨てるように言い放つ。
「俺は女じゃねー」
「……は?」
鉄平の目つきがはっきりと変わる。
「ンなら、とっとと出てけ。俺は可愛い女の子の依頼しか受けねーの」
「報酬ならある」
「うっせ。帰れ」
「ここまで来たんだからいーだろ」
「お前が決めんな」
押し問答しているとドアが開く。
「……あれ、お客さん?」
市販品とは異なる形状のヘッドホンを耳にあてた男が入ってきた。髪の毛が肩まで伸びており、後頭部で結っている。切れ長の目で二人を交互に見る。
「京平、こいつ外に出せ」
ヘッドホンを耳から浮かせて聞き返す。
「ん? なんか言った?」
「どいつもこいつも、――あっつ!!」
鉄平は右手を大きく振り払う。煙草の火が指まで到達したのだ。
「だぁーーーーもうっ!」
――ドスッ
怒りの沸点が低い鉄平が依頼人を足でどつく。
「……うっ!!」
依頼人は、腹を蹴られて後ろに倒れ込み、京平にぶつかる。
急な衝突によろめきつつも京平は依頼人を受け止める。と、同時に依頼人が大きく咳き込む。
京平は依頼人をそっと座らせてから、鉄平をねめつけて怒鳴った。
「ちょ、バカか? 初対面の人に暴力振るうやつがあるかバカ!」
新しい煙草に火を付けて一服し、仕切り直した京平が口を開く。
「どタイプが男だったからって八つ当たりするなっての」
依頼人は京平のすぐ横で胡坐をかいて座り、苦い顔をして蹴られた腹をさすっている。
と、同時に鉄平に対し不信感を露わにした顔を向ける。
対面する鉄平は、配達リストを眺めたまま答える。
「は? うるせー。男の依頼は受けねー」
「徹底的に男を排除しようとするのやめろ。ちゃんと謝れよ」
京平の指摘に鉄平は聞こえるように舌打ちする。
だらりと立ち上がり依頼人の前に来ると、すとんっとしゃがみ込み、至近距離で垂れ下がった前髪をかき上げて向き合う。依頼人は反射的に仰け反った。
「鉄平、それ近すぎ。今度は手を挙げられるかと怖がるに決まってるだろ?」
京平の冷ややかな視線と言葉に動じることなく、まっすぐ依頼人を見つめる鉄平が口を開く。
「ごめんな。大丈夫か? 腹」
圧倒的な謝罪に押し切られた依頼人は小さく答える。
「……はい」
鉄平は踵に尻を乗せつま先で体を支えたまま、腿の上に両腕を置き体制を留める。
「まずは名前聞こうか。ちな、俺は京平。目の前のバカヤローは鉄平」
鉄平から視線を外せないまま京平に返事をする。
「俺は楓」
「楓くん。で、依頼は何?」
「俺のねーちゃんが消えた」
「あっそ」
すかさず鉄平が断りを入れる。
「助けてほしい」
「警察に頼め」
「無理」
「じゃ諦めろ」
京平が呆れて仲裁に入る。
「もー何なの? 君らは。楓くん、何で警察に頼めないの?」
楓が俯く。
「ねーちゃんハッカーだから」
京平は短くなった煙草を灰皿で潰し、煙と息を長く吐き出す。
「そうきたか」
しばしの沈黙を経て、立ち上がった鉄平が背を向けてぶっきらぼうに問う。
「弟のお前がそんなに可愛いなら、ねーちゃん美人?」
「……きもい」
楓の応答に鉄平の怒りが沸点に到達する。振り返り掴みかかろうとする鉄平を必死に押さえる京平。その京平の後ろに隠れた楓が小さく言う。
「美人に決まってんだろ」
ベッドに勢いよく腰を下ろした鉄平は、遣り場を失った苛立ちを貧乏揺すりに変換しながら確認する。
「報酬って何だよ」
楓が京平の服をぎゅっと掴んでから答える。
「飯、掃除、洗濯……やる」
「マジでお前帰れ」
「家には帰れない」
「何でだよ!」
ダンッと真下に床を蹴る。近くの机の物が遅れて音を立てた。
「あーはいはい。そこまで」
京平が両手を八の字に広げて割って入る。
「お茶でも飲もっか」
人様の冷蔵庫を開けて開口一番、京平が文句をつける。
「スッカラカンなんだけど……」