第9話 能力のこれから
何だかいい匂いのする晴香の部屋。
それが晴香の髪から香っているシャンプーの匂いなのか何なのかは大志にはまるで分からなかった。
何となく落ち着かない大志にかまわず、晴香は一冊のノートを出してきた。
「先輩と会えなかった春休みに色々と考えたんです。先輩の能力を掘り下げてみるのと同時にこう言った事も……」
大志は受け取ったノートの中身を見て、ほうと頷いた。
「戸成はやっぱり凄いな」
大志が感心したのは今まで触れた事の無い加速能力の可能性についてまとめていたからだった。
「今までは先輩の能力について調べて検証してきましたけど、それはそれで検証し続けるとして、実際に何が出来て何をするべきなのかをこれからは考えていきたいんです」
「つまり加速能力をどういう風に役立てていくかという事だな」
「そう言う事です。先輩はその能力で普通の人間になしえない事ができる。例えば大火災のビルに閉じ込められた人達を一瞬のうちに全員助ける事だって出来ますよね」
「大火傷しそうだな」
大志はちょっと想像しただけでぞっとした。
「教授の理論では、恐らく火の熱さが伝わるよりも速く動いている先輩には炎はまるで問題無いらしいですよ。中級編にそう書いてありました。先輩も読んだ筈でしたよね」
晴香は大志よりも加速能力についてよく研究し理解していた。
「そうだった。忘れてました」
「そういう事も検証していこうと思っていますけど、今わかってる範囲内で出来ることをしてみませんか?」
「えー、加速能力を使って出来る事か、ノートに色々書いてくれてるな……」
晴香のまとめてくれたノートには難易度を三つに分けて能力を発揮して出来ることが記載されていた。
大志はノートに書き込んであるリストの中から難易度の一番易しい物を読み上げてみる。
「黒板消し。教室の掃除。グランド整備。プリントの配布……なんか色々書いてあるけどこれって雑用ばっかりだな」
「それはほんの一例。その辺は読まなくってもいいから難易度中を読んでみて」
大志はページをめくって晴香の言った部分を読んでみた。
「荷物の配達。逃げたペットの捕獲。忘れ物の引き取り……」
大志は途中で読み上げるのを止めた。
「やっぱり雑用ばっかじゃないか。もうちょっとましなやつ無いのか」
「仕方ないじゃない。先輩には荷が重いかなって思って出来そうなのを選りすぐったんだから」
大志はページをめくって難易度高に目を通した。
「痴漢の撃退。人命救助。犯罪捜査。交通事故の阻止……」
読み上げているうちに自信が無くなってきた。
「ちょっと無理かも」
「だから言ったでしょ」
晴香は大志からノートを取り上げた。
「私が選んであげます。そうねえー」
晴香は眉間に皺を寄せながらしばらく考え込む。
「ん-、難しいわね。こうやって見ると先輩には荷が重い物ばかりね」
「まえに溺れてる人を二人も助けただろ。実績だって有るんだからな」
「それはたまたま目の前で事故が起こったからでしょ。実績って言うんだったら覗きの実績もカウントするけどいいの?」
晴香は厭味たっぷりに大志の痛いところを突いた。大志は晴香の視線を受け止める事が出来ずに目を泳がせた。
「それはしなくていいからさ……」
もそもそと聞き取りにくい程の声だった。永久に言われ続けるであろう汚点だった。
「わざわざ事件を探し回るのはナンセンスだし、かと言ってそんな簡単には人助けのネタなんて転がってないだろうし……」
「取り敢えず学校内で報道部が何かネタを拾って来ないか網を張っとくね。そんで取り敢えずは黒板消しでもやりましょうよ。日直が感謝してくれるよ」
加速能力の無駄遣いにしか感じないな……。
ため息が出るのを抑えられなかったが、これから加速能力を役立てようという方向性だけは固まった様だった。
「なあ戸成、写真見せてくれるって言ってたよな」
「あ、そうだった。昨日の水族館で撮ったやつだよね」
晴香は机の上に置いてあったノートパソコンを開いて大志に良く見えるように画面を向けた。
「こんな感じ」
大志は晴香と並んで写真を眺める。
「どうかな?」
晴香は画面をスライドショーにした後、大志のすぐそばで感想を聞いた。
大志はいつも行動を共にしている晴香の普段以上の近さに少し戸惑っていた。
感想を聞こうと見上げる晴香の近さに硬くなる。
「う、上手いよ。どの写真も良く取れてる」
「そう? そう言ってもらえるとなんだか嬉しいな」
大志の言葉を素直に受け取って晴香は目を細めた。そんなふとした仕草に大志の胸はドキリとした。
何だか、可愛いじゃないか……。
段々熱くなってきて胸のボタンを一つ外して制服の前を少し開けた。
「あれ? 暑かった、窓少し開けようか?」
「そ、そうだな。ちょっとだけ開けてもらおうかな……」
いつも破天荒な姿ばかり見せてるくせに、こんな時だけ女の子っぽくするなよ……なんだか分からないが晴香のせいにすることにした。
「なんか携帯とは空気感が違うよな。やっぱりカメラの性能かな?」
携帯で撮った自分の写真と比べてどう見ても晴香の撮った写真は綺麗に撮れていた。もし同じような写真を撮ってみろと言われたとしたらできる自信がなかった。
「その言い方は失礼ね。私の腕も有るんだから。確かにカメラはいい仕事してくれてるけど」
「戸成はいつもそのカメラを持ち歩いてるみたいだけど、昔からそうなのかい?」
大志はいつもかなり重量の有りそうな無骨な一眼レフを持ち歩いている理由を前から聞こうと思っていたのだった。
「前からって訳じゃないの。高校に入ってから。まだ最近だよ」
そう口にした晴香の表情が曇ったのに大志は気付いた。
「俺はカメラの知識なんてないけど結構いいカメラみたいじゃないか。戸成が肌身離さず持ってるのには何か理由が有るのかい?」
晴香は大志の傍で少し目を伏せて黙り込んだ。
そうしている間もスライドショーにしている画像は変わっていき晴香の表情に画面の色がほんの少し反射する。
「言わなくっていいよ。今の質問忘れてくれ」
大志は晴香の頭をポンポンと叩いた。
「戸成の写真、俺は気に入ってるよ」
大志のひと言にうつむいて目を伏せていた晴香が顔を上げた。
「ありがとう」
大志は目の前の少女のそんな表情を見た事が無かった。
頬を染めて恥ずかしそうに微笑む姿に、大志の目はくぎ付けになったのだった。




