第7話 動物はちょっと
グループの中に女子は黒川仁美だけというオリエンテーリング。
それだけでも変に意識してしまいそうなのに、また一つ理解し難いことが班の中で起こっていた。
大志を押しのけるようにして仁美の周りに寄ってきた男子二人が、何故だか急に仁美から離れて行ったのだった。
あれ? どゆこと?
てっきり仁美にくっついて来るだろうと思っていた男子二人は、大志たちから少し離れるようにして付いて来ている。
仁美はどういう訳か大志のペースに合わせて並んで歩く。
「あいつら、どうしたのかな……」
「きっと気が合うんだよ。私は丸井君について行くね」
「え、うん……」
こういう時、美少女と二人っきりになれて得したという男子の方が大多数なのかも知れない。
しかし大志にはそういう風に受け止めれる余裕など無く、気の利いた事も口に出来ない自分の駄目さ加減を痛感していた。
しばらく歩いて到着したモルモット小屋は人気が有るのか、たまたまなのか先に入った幾つかのグループが黄色い声を上げていた。
ふれあい体験の出来るこの小屋で生徒たちは、順番に両手に収まるぐらいの毛の塊を膝に乗せて騒いでいた。
可愛いと言う女生徒もいれば、これ鼠じゃないかと青ざめている者もいる。
大志はその一団の中に幸枝の姿を見かけて手を振った。
「あ、大ちゃん。あれ? 二人なの?」
幸枝は大志のグループが黒川仁美だけなのにすぐ気が付いた。
「いや、後ろにもう二人、でも女子が黒川さんだけになっちゃって、それでさ……」
大志の言おうとした言葉を長年の付き合いからか、幸枝は先に言ってくれた。
「私達のグループと一緒に周ろうよ。ねえ黒川さん」
幸枝は人懐っこい笑みを浮かべて誘ってくれた。
「あ、ええ、じゃあお願いします」
仁美はそれほど幸枝の誘いを歓迎している雰囲気には見えなかったが、緊張からそうなったのだろうと大志は思った。
「じゃあ二人がモルモット抱き終わるまで待ってるね」
幸枝は携帯を用意して、二人の順番が来るのを待ってくれている。
写真を撮ってくれるみたいだ。
そして大志と仁美の順番が回ってきた。
天竺鼠。洋風に言うとモルモット。
その生暖かい毛の塊を好きか嫌いかと言われると、やや嫌い寄りかもと何となく撫でてみながらそう思った。
思っていたよりも、毛がしっかりしていてごわごわしている。
これがふわふわならばもう少し点をやってもいいが、かつて小学校の飼育小屋にいたウサギと比べて相当貧相な毛質だった。
ちらと隣で同じようにモルモットを膝に乗せている仁美の様子を伺うと、顔を背けながら必死で撫でていた。
嫌なら撫でなくてもいいと思うんだけど……。
どうやら苦手な様だった。
「大ちゃん、黒川さんこっち向いて」
幸枝の声に大志は笑顔を作ったが、仁美はそれどころでは無かったみたいだった。
幸枝のグループに合流させてもらい、大志は肩の荷が降りたと安堵した。
「さー次はっと」
班長の幸枝が簡単な地図を見ながら次はどこに行こうかと考えている。
生徒会で馴らしたリーダーシップを発揮し、グループをまとめている姿を見て大志はまた感心させられた。
俺には真似できないな。
あいつなら出来そうだけど……。
大志はあの行動力の塊を想像して首を振った。
確かに出来そうだが、ついて行く奴等が可哀そうだと思った。
「アルパカかワラビーどっちにする?」
幸枝はちゃんとメンバーの意見も取り入れる班長だった。
大志はアルパカと応えながら幸枝の事をつい眺めてしまっていた。
アルパカは思っていたよりも可愛くなく、ワラビーは思っていたほど人懐こくなかった。
幸枝は人の輪に入りにくそうにしている仁美を積極的に誘ってくれていた。
「ねえ、黒川さん。この子だったら触れそうだよ」
餌を手にしていない奴には露骨に近寄ろうとしないワラビー達の中に、まだ少しは愛想のいい奴を見つけて幸枝は声をかけた。
愛想がいいというよりは無関心に近い、じっとしていた奴を幸枝は触ってみる。
「ほら大丈夫みたい。大ちゃんも来なよ」
幸枝は仁美にどうぞとワラビーを譲ったが、仁美は顔を強張らせている。どうやらこちらも少し苦手そうだった。
それでも恐々手を伸ばして触っている。
そんな仁美の奮闘する姿に大志は携帯を向けた。
「黒川さん、記念に一枚いくよ。ゆきちゃんも入って」
微妙な笑顔を浮かべて写真に写った仁美の顔には、動物は苦手ですと書いてあるみたいだった。
大志にとってはあっという間の一日だった。
クラスの違う瀬尾がいないこの観光牧場で、久しぶりに気を遣うことなく幸枝と過ごすことが出来たのだった。
そして友達作りに悩んでいた仁美の役に立てたのではないかという充実感も感じていた。
全部周り終えたあと、手洗い場で石鹸で泡立てた手を冷たい水で洗い流しながら、大志は隣で手を洗う仁美に今日の手ごたえを訊いてみた。
「動物はちょっと苦手みたいだったけど、どうだった? クラスの子とちょっとは話せたんじゃない?」
仁美は大志の問いに笑顔を浮かべる。それだけで今日一日が彼女にとって良いものだったのだと思えた。
「丸井君のお陰だよ。ありがとう」
「俺は何にも……ゆきちゃんがいたから良かったよ」
「丸井君は多田さんと仲良しみたいだね。二人はお付き合いしてるの?」
突然訊かれて大志は水道水の冷たさを忘れてうろたえる。
「いや、その、そう言うんじゃないんだ。ゆきちゃんとは幼馴染で長い付き合いなんだ」
仁美はまっすぐに大志の顔を見つめている。
「じゃあ丸井君とお付き合いしてるんじゃないんだね」
「いやだなあ、ゆきちゃんにはちゃんと違うクラスにそういう人いるんだ。勘違いだよ」
大志の胸は自分の言葉でまた少し痛んだ。
「良かった」
仁美は蛇口の栓を閉めてからそう言った。
ふわりと涼しい風が黒髪を揺らして通り過ぎる。
そしてはにかんだような笑みを口元に浮かべてから、仁美の唇から涼しげな声が滑りだす。
「私にもチャンス有るかな……」
その頬が薄っすらと染まる。
「帰りも隣の席だね」
大志には今何が起こったのかがその時理解出来なかった。
帰りのバスが発車してから皆が今日一日の疲れた体を伸ばしていた時に小さな事件は起こった。
「あっ!」
周りの者がびっくりするような声を上げて、一人の男子生徒があたふたし始めた。
「無い。お土産買ったのに……」
大志は後ろの席で慌てふためく男子生徒に声を掛けた。
「どうしたんだ?」
「いや、買ったお土産置き忘れてきたみたいなんだ」
「どこに?」
「多分トイレに。お土産を一回置いて用を足した時に忘れて来たみたいだ」
周りの友達がドンマイとか可哀そうな奴だとか囃し立てる。所詮は他人事と真面目に誰も取り合ってはいなかった。
そんな中、大志は前の席に座っていた幸枝の肩を叩いた。
そして誰にも気付かれない様に幸枝の耳元で囁いた。
「ゆきちゃん頼む」
「え? 行ってくるの? 遠くない?」
「まだ一キロぐらい走ったとこだから大丈夫だよ」
「じゃあ、うん。いくよ……」
そして幸枝は大志の引き金を小さな声で引いた。
「加速して」
大志の頭の中でゴトリという音がした。
振り返った幸枝の前に大志は変わらずそこにいた。
だが相当汗だくになっていたので、大志が往復二キロを加速して帰って来たのだという事を幸枝は察していた。
大志はリュックからお土産の袋を出す。
「なあ、これじゃないか?」
「え?」
「帰りにトイレに忘れてたみたいだから取り敢えず預かっといたんだ」
男子生徒は袋の中身を開けてみる。
「間違いない。ありがとう。助かったよ」
「いいんだよ」
大志は何事もなかったかのようにまた前を向いた。
そしてちらと隣に座る黒髪の少女に目をやる。
大志は少しほっとしていた。
疲れてたんだな。よく眠ってる。
目を閉じてやや向こうを向いている仁美を気遣いながら大志も少し眠ろうと思った。
そして大志が寝息を立て始めると、仁美は目を開けて何か考えをめぐらすように窓からの景色を眺めていた。




