第6話 ときめいたかも
柔道部の稽古が始まるまでのわずかな時間、少し急ぎ気味に大志は黒川仁美を連れて校内を周った。
幸枝や晴香とは勝手が違う女生徒に戸惑ってはいたものの、自分が思っていたよりも上手く案内できたのではないかと、何となく楽し気な仁美の様子に自分をまんざらでもないと評価した。
それにしても大志と並んで歩く仁美は終始物静かで、何となく自分とは品位というか格というか、そういったものが少し違う感じを受けた。
最後に柔道場にやって来た大志に向かって、黒川仁美は丁寧にお礼を言った後、少し練習を観てもいいかと訊いてきた。
「いいけど。きっとつまらないと思うよ」
大志は案内を終えてそそくさと稽古に参加したが、仁美は大志の稽古している姿を控えめにずっと観ていたのだった。
「先輩、今日はなんだか美少女がずっと見てますよ」
組んでいた後輩が気になって稽古中に大志に囁いた。
「いいから集中しろよ。怪我するぞ」
「分かってるんですけど、気になって気になって……」
周りを見ると部員全員動きが硬い。変に仁美を意識しているみたいだった。
「いつもの元気印のあの子ならやっと慣れてきたんですけど」
「ああ、あいつね」
後輩は晴香の事を言っている様だった。
「せーんぱーい!」
武道場に良く通る声が響いた。
「噂をすれば来ましたよ」
「みたいだな」
元気印と呼ばれた晴香は、相変わらず無骨な一眼レフを首から提げて大きく手を振るのだった。
「ねえ、今日柔道場で誰か先輩達の練習を見てたよね」
夕日の照らす通学路。部活を終えた大志と晴香は並んで帰っていた。
「ああ、クラスの子。転校生なんだ」
「ふーん」
晴香はあれからすぐに帰って行った黒髪の女生徒の事が気に掛かるらしい。
「なんで見てたの?」
「俺に訊かれても……なんでかな?」
「マネージャー志望とか」
「三年生だぞ。馬鹿言うなよ」
大志は何言ってんだと笑い飛ばした。
そういう大志も晴香の立ち上げた怪しげな部活に入部した訳なのだが……。
そんな大志と並んで歩く晴香の歩みが次第にゆっくりになる。
夕日が落とす二人の影はもうすぐ分かれ道に差し掛かる。そんな毎日のふとした習慣が自然とそうさせたのだった。
晴香は少し躊躇いながら背の高い大志を見上げる。
「その人ってどんな人なの……」
大志は即答せず少しだけ考える。
どんなと言われても外見が美少女である事以外、黒川仁美を語れる材料など無かった。
「隣の席に座ってるだけだから良く分からん。今日少し話をして、校内を案内しただけだから」
その言葉に晴香は少しムッとした。
やや口を尖らせ、起伏の激しい感情の隠しきれない部分を覗かせる。
「先輩は可愛い女の子には親切なんですね」
十中八九、嫌味に違いなかったが、大志はどう捉えたのか恥ずかし気に頷いた。だがそれはこの場合間違った選択だった。
「いや、可愛いというかちょっとおしとやかでさ、ああいう子もいるんだなって感心しちゃった」
晴香はすたすた大志を置いて歩いて行った。
そしていつもの分かれ道まで行った所で振り向いた。
「帰る!」
背中を向け、帰り道をどんどん行ってしまうそんな晴香を、大志は怪訝な顔で見送った。
「帰るって、今帰ってるところだろ」
大志はいつもの事とあまり気にせず、一人になった通学路をまた歩き始めた。
新学期が始まって早々にある毎年恒例のイベントで、ちょっとした遠足があった。
各学年で行き先は違うものの、男女混成で班を作ってその日一日を行動を共にする。
大志のクラスはやや男子生徒の方が多い。
先生が決めた班編成に、誰もはっきりと文句を言うものなどいなかったが、一体どういう意図でこの様になったのだろうかと、大志は少し考えさせられていた。
男子三人に女子二人の五人編成の班。その二人の女子の中にあの黒川仁美がいる。
しかも、もう一人いる女子は新学期に入ってから流感にかかって一度も登校していない。当日奇跡的に回復して遠足に来るだろうか。いったい先生は何を考えているのやら。
このままでは男子三人と女子一人という黒川仁美にとって居心地の悪い班になりそうだった。
そして遠足当日、大志が、というか誰もがそうなると思っていたとおりになった。
「丸井君、今日はよろしくね」
「いえ、こちらこそ……」
班ごとに座るバスの席。大志の隣の窓側の席にはあの黒川仁美がいて、にこやかに声を掛けてきたのだった。
何でこうなった? バスの隣に座る美少女の近さが半端じゃなかった。
白い歯を見せた美少女をまともに見れず、大志は前を向いたまま沈黙した。
まだバスが出発もしていないうちから喉がカラカラになってきた。
「今日はどこに行くんだっけ」
涼しげな声で仁美は訊いてきた。
前の学校とは勝手が違うのだろう。大志は今日これからの事を少し説明してやる。
「観光牧場だよ。ちょっとしたオリエンテーリングを毎年このタイミングでやるんだ。まあ親睦を深める意味合いかな」
大志はじっとこちらの顔を見ながら耳を傾けている仁美に、少し硬くなりながらも続けた。
「黒川さんに丁度いい機会なのに班が偏っちゃったね。やっぱりもう一人の女子は病欠みたいだし」
「そうみたいだね。私だけになっちゃった」
「あ、だけど後で先生に言って他のグループに入れてもらえるよう話しとくよ。折角クラスの子と仲良くなれる機会を逃す手は無いよね」
「私は丸井君がいるならこのままでいいよ……」
ドキッ!
今心臓が変な音しなかったか……。
今のは俺がいたらいいと言ったんじゃなくって、仕方ないからこの班でもいいやって事なんだろう。
猛烈な勘違い野郎だなと、猛反省している間にバスは発車した。
大志たちを乗せたバスは、一時間ほどで観光牧場に到着した。
バスを降りてすぐ大志は担任を捉まえて、さっき仁美と話した様に他のグループに入れるよう頼んでみた。
担任は、んーと唸り渋い顔をした。
「そうだな。そもそもなんでこのメンバーのグループを作ってしまったんだろう」
担任はそこで悩んでいた。
「まあそこはいいから、適当にどこかに振り分けてもらえませんか?」
オリエンテーリングが始まりそうなので早くしてくれと急かす。すると横にいた仁美が担任に向かって静かに口を開いた。
「私は別にこのままで構いませんが」
振り分けようと名簿をめくっていた担任の手が止まった。
「丸井、このままの班で行って来い」
「え? どうして」
「黒川もそれでいいって言ってるんだ。いいから行ってこい」
何だか納得できないまま、大志はこのままでオリエンテーリングを始める事になった。
「ごめんね。先生気の利かない人だった」
「ううん。いいの。丸井君がいてくれるから」
ドキッ!
また心臓が変な音を……。
今のはがっかりしつつも社交辞令で言ってくれただけだ。
なかなか気の利く子じゃないか。
「いい天気だね」
晴天の空を眩しそうに見上げて手をかざす姿に、ちょっとだけ見とれた。
何だかその……可愛いじゃないか……。
心に浮かんだ事を胡麻化す様に元気よく大志は歩き出した。
待たせていた班の男子二人と合流する。
「すまん。このまま行って来いって言われた」
「何だ、そうか。俺はまあいいけど」
「じゃあ行こうぜ」
男子二人は何もがっかりしていなさそうだった。
何となくむしろそれで良かったと安堵している様にすら見える。
そりゃこんな美人と一緒に周れるのなら大歓迎だよな。
恐らくこの機会に少し仲良くなってやろうと、こいつらは思っているに違いない。下衆な連中だよまったく。
……まてよ。そういう風にあいつらの心理をすんなり読んでるって事は、俺もあいつらと頭の中は一緒って事か?
何となく下衆な考えを自分も抱いているかもと大志は頭を振った。
「丸井君、どうしたの?」
「いや、何でもない。うん。何にも心配ないよ。えっと、まずモルモット小屋だね。サーどんどん行こう」
後ろめたさを払拭しようと明るい雰囲気を出してみた。
あれ、今俺、ちょっとあいつみたいになってなかった?
大志はモルモット小屋に向かいながら、あの元気印の事をまた頭に浮かべてしまっていたのだった。
 




