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加速する世界ふたたび  作者: ひなたひより
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第56話 晴香の告白

 帰って来た大志と晴香は、東北に比べてムッとするような暑さをまた感じつつ夏休みを送っていた。

 蝉の声が五月蠅い八月の晴天の日。

 少し気分転換しよう。そう言って誘ってきたのは瀬尾だった。

 受験勉強に集中する幸枝は、相変わらず瀬尾にあまりかまっていなかった。瀬尾はというと幸枝にかまって欲しくて何度か誘っていたみたいだった。

 どうしようかと大志に相談してきた幸枝に、たまには息抜きも大事だと瀬尾を援護してやったのだった。

 そしてどういう訳か、あの公園のボートに乗ることになったのだった。

 大志が思うにボートはデートするにはなかなか良い乗り物だった。

 漕ぎ手は常にデート相手を見ていられる。

 おしゃべりも弾む。

 何よりも涼し気で楽しい。

 瀬尾も幸枝と話したくてボートを選んだのだろうな。そう大志は納得していた。

 そして大志はまた晴香とボートに乗っていた。

 今度は幸枝を尾行けてきたのではなく堂々とボートに乗って楽しんでいた。


「今日はボートから落ちる奴いないだろうな」

「まあ、大丈夫じゃない。そんなにしょっちゅう落ちるものじゃないし」


 晴香はボートをこぐ大志をさっきからじっと見つめている。


「どした? なんかついてるか?」

「ううん、何でもない」


 晴香は今日大志たちに転校の事を打ち明けようと思っていた。

 本当ならもっと早くに話しておくべきだったのだろうが、なかなか言い出せずズルズルと来てしまった。

 皆が集まるこのタイミングは話をするいい機会と言えた。


「ふう、ちょっと疲れてきたから休憩」


 眩しい太陽を避けて木陰を選んで大志はボートを停める。

 樹々の隙間から日差しが射し込む。二人の姿が木漏れ日に彩られた。


 すうっと涼しい風が水面を渡る。


 晴香は大志と二人でここへ来た時の事を思い出していた。


「先輩と二人でこんな感じでまたボートに乗るなんて」

「あ、今俺もそれ考えてたんだ」


 大志と晴香は一緒に頭に浮かんだ事を口に出した。


「あの時もいい天気だったな」

「うん。すごく綺麗な秋空だった。先輩が漕いでくれたボートから見た景色綺麗だったな」

「ああ、今日もそれに負けないぐらい気持ちいい日だよ」


 水面を渡って来た涼しい風が緑を揺らす。頭上でさらさらと音を立てながら光と影が形を変える。

 そんな陽光と緑葉が作り出す美しい模様は、二人の肩にも等しく降り注ぎ、一瞬の眩しさを浮き上がらせる。

 晴香は思い出す。あの時、あのボートに揺られながら言ってしまった何気ない言葉。

 軽はずみに口にしてしまってから後悔して、ずっと忘れられないでいるあのひと言を。


 今なら素直に言えるだろうか。


 晴香は向かいに腰かける大志を見つめる。そして水面を見つめる横顔に話しかけた。


「ねえ先輩……」

「ん?」

「私、先輩に謝りたいんだ……」

「え? 何を? しょっちゅう俺に奢らせてる事か?」

「ううん、それはいいの」

「いいのか。じゃあ何だろう?」


 大志は思い当る事を指で数えながら色々あるなと笑顔を見せる。


 そう、今なら言えそう。


「一緒にボートに乗った時……初ボートの相手が先輩だなんてって私言っちゃった……」


 吹き抜けた涼しい風は晴香の胸の中から小さな嘘を吹き飛ばした。


「あんな事言ってごめんなさい。先輩は俺みたいなのが初ボートの相手でごめんなって言ってくれたけど、私本当はそんな風に思ってなかった……」


 晴香の言葉はきっと後悔から出ただけではなかった。隠しきれない本心を晴香自身も抑えられなくなっていたのだった。


「本当は先輩とボートに乗れて楽しかったんだ。本当に楽しかった……」


 大志はちょっと意外そうに晴香の言葉に耳を傾けている。

 ザワザワと風に吹かれた頭上の枝が揺れる。

 そして晴香は想いを詰め込んだひと言を口にしようとした。

 ずっと伝えたかった本当の気持ちを。


「初めてのボートは先輩と乗りたかったんだ」


 晴香のずっと言いたかった一言だった。

 言い終えてから、晴香は下を向いてしまう。恥ずかしくて大志の顔を見る事が出来なかった。

 

「俺も実はそうだったんだよ」


 晴香が顔を上げると大志はいつもの気弱な笑顔を浮かべていた。


「実はすごい楽しかったんだ。初ボートの相手が戸成で良かったよ」


 その一言が晴香の心を震わせる。


「ありがとな」


 あの時晴香のついた小さな嘘。いつの間にか胸につかえていた痛みはどこかへ飛んでいった。

 そしてその胸の中にある素直な気持ちが、晴香の抑えようとしている手から溢れだそうとしていた。

 それでも晴香は、溢れそうになったそのひと言を唇を結んでこらえた。

 口にしてしまえば何もかもを失ってしまう。

 こうして何気ない会話をする事もきっとなくなる。


 だってあなたはあの人のことを……。

 

 感情は時折、理性を追い越して行く。穏やかに晴れた今日はきっとそんな日なのだ。

 ザワザワと風が青葉を揺らして吹き抜けたのと同時だった。


「私、先輩が好き」


 取り戻すことのできないその言葉は大志の呼吸を一瞬止めてしまった。

 頬を真っ赤に染めた晴香から大志は目を逸らし、オールに手をかけた。


「か、からかうなよ……」

「からかってなんかない」


 晴香は大志に近づく。ボートの揺れで大志の側がやや沈み込む。


 伸ばした晴香の掌が、オールを握る大志の手に触れた。


「ずっと、好きだったの」


 二人はお互いの顔から目を離せなくなってしまっていた。

 またスウッと二人の間を風が吹き抜けていく。

 大志の頬は晴香と同じように、それと分かるほど紅く染まっていった。


「戸成、俺……」


 その時だった。


「おーい」


 瀬尾の声に晴香は慌てて大志から離れた。

 大志もその場でうろたえきっている。


「そろそろお昼ご飯に行こうって多田さんが言ってるんだけど」


 いつの間にやら近づいて来ていた幸枝たちの乗るボートの上で、瀬尾が爽やかな笑顔を見せていた。

 大志は必死で取り繕う。


「あ、ああ。そうしよう。戸成も腹減っただろ」

「うん……」


 それから二人とも全く目を合わす事なくボートを戻したのだった。



「なあに? 二人とも、喧嘩でもしたの?」


 ファミレスの席に座ってからあまり目を合わそうとしない大志と晴香に幸枝がたまりかねて訊いた。


「ボートで喧嘩したの? いい加減仲直りしなさいよ」


 全くカスリもしない幸枝の解釈に二人ともぎこちないままだ。


「幸枝先輩の思い違いですよ。喧嘩なんてしてないし……」

「そう、戸成と喧嘩なんて、思い違いだよ……」

「じゃあ何なのよ、この変な空気は?」


 まるで答えられずおかしな空気の二人を、幸枝と瀬尾はどうしたのだろうかと難しい顔をして眺めていた。

 そして、どう見てもぎこちない二人は殆ど無言で昼食をとるのだった。

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