第53話 行動開始
遮光カーテンの隙間から洩れる光の眩しさに、大志は目覚めた。
何となく重苦しいのは飲みつけない缶ビールのせいか……。
いや、待てよ……。
重苦しいのは胸の中では無くて外からの圧力の様な気がする。しかもなんだか温かくって柔らかい。これってもしや……。
大志はちょっとだけ布団をめくってみた。
げっ!
声には出さなかったが、そんな感じだった。
戸成!
仰向けの大志の胸に顔をうずめるようにして、晴香はすやすやと寝息を立てていた。
ひょっとして昨日の晩何かあったのか? いやいや、そんな記憶は何にもない。いやしかし、二人ともお酒を飲んで寝た事だし、何かあったのかも……。
大志は色々考えながら、女の子と体を密着させている今の状態に浮き足立っていた。
俺が戸成を夜這いしたのか? いや、この布団は俺の寝てた布団だ。それは間違いない。じゃあ戸成が俺を襲ったって事?
俺は戸成に手を付けられたって事なのか?
何ともあられもない想像が大志の中に膨らんできた時、大志の上で晴香がモソモソと動いた。
「あ、先輩おはよう」
「や、やあ、おはよう」
そして次の瞬間晴香は目を大きく見開いた。
「キャー!」
「えーっ!」
飛び上がって叫んだ晴香に、大志はあたふたするばかりだ。
「なに! 寝てる間に私になにしたの!」
「俺が? いやいや、なにってこっちが訊きたいんだけど」
晴香は、はだけた浴衣を押さえながら頬を真っ赤に染めて、泣きそうな顔をしている。完全に獣を見る様な目で晴香は大志に疑いの眼差しを向けていた。
「最初からこんなことしようって思ってたの!」
「いや、ちょっと誤解だって。俺も何が何だか分からないんだよ」
「言い訳すんな!」
「だから話を聞けって。よく見ろよ。こっちは俺の布団だろ。お前から来たんじゃないか?」
「え? そう言えばそうかも。でもなんで先輩の上で寝てたんだろう」
「知らないよ。俺だってびっくりしたんだから。もう何が何だか」
「私はてっきり先輩に襲われて色々されちゃったのかと」
「いや、しないよ。そんな風に見えるか」
「それは見えるけど、そこまで度胸はない気もする」
「何だよ。言いたい放題だな」
誤解は解けた。結局晴香の寝相の問題だった。
「私、寝相が悪くって、今は自分の部屋で寝てるけど、ママと一緒に寝てた時はあんたと一緒には寝れないって何度か切れられた事があったな」
「そういうことか。俺を疑う前に今度からはまず自分を疑え。さっきの流れのままいったら、今頃俺は最低クソ野郎にされているところだったよ」
「へへへ」
「へへへじゃないよ。まったく」
「でもなんか変なのよね。さっき寝てた時に丁度お腹の辺りでなんだかモゾモゾちょっと硬いものが動いてて、それで目が覚めたんだけど……」
大志には思い当る事が勿論あった。
そして当然の事ながらその話題を回避するのだった。
「それは夢だな。間違いない」
「そうかな……まあいいや」
うやむやにしてくれたおかげで助かった。
しかし、それにしても。
はだけた浴衣から覗いている太腿と胸元に目のやり場に困っていた。
えらい目に会った……いや、いい目に会ったと考えた方がいいのか……。
少し落ち着こう。大志は出来るだけ晴香から視線を逸らしながら、さっきの感触を思い返すのだった。
ドタバタした朝の騒動の後、美味しい朝ご飯を頂いて、二人は宿を出た。
予定していた時刻のバスに乗れて、二人はほっとする。
一歩目に蹴躓いてしまったとしたら、特別な緊張を抱えたこの日に嫌な影を落としかねなかった。
バスに揺られる時間の間、車窓を流れる景色を見つめていた晴香は一体何を考えていたのだろうか。
狭い二人掛けのシートで、傍らに座る小柄な相棒を気遣い、最大限身を細くしていた大志は、到着したバス停で大きな体を解放しつつ、晴香の横顔を気にしていた。
市街地まで戻った二人は、もう目的の晴香の父が勤めている大型食料品店まで目と鼻の先まで来ていた。
大志は、殆ど口数の少なくなった晴香の隣を歩きながらその胸中にある重苦しいものを推察し、その重さを出来れば引き受けてやりたいと思った。
気の利いた言葉を何も掛けられないまま、二人は店の前まで辿り着いた。
「とうとう来ちゃった」
そのひと言にそれと分かる躊躇いと緊張が伺えた。
「ああ。そうだとも。戸成はここまで来たんだ」
踏みだそうとした大志の腕を晴香が掴んで止めた。
「先輩、私の脚、なんか変なの」
前に進むことを拒んでいるかのように、晴香の脚はその場で小刻みに震えていた。
大志は少し躊躇いながら晴香の手を取った。
こんな風に幸枝以外の手を握ったのは初めてだった。
「こうしてればちょっとはましか?」
「どうかな……うん。少しマシになってきたかな」
「俺が先に行って連れ出してきてやってもいいんだぞ」
「いい。先輩と行く」
手を繋いだ部分から晴香の緊張が大志にも伝わってくるようだった。
呼吸が荒い。父親に会った瞬間に卒倒してしまいそうな雰囲気だった。
「俺がついてる。お前は何にも心配しなくていいんだ」
「先輩にそんなこと言われる日が来るなんて、嘘みたい」
軽く憎まれ口をきいたのが精いっぱいなのは分かっていた。
大志は晴香の様子を見ながら店内へと入った。
冷房の効いたフロアーで、大志は自分がかなり汗をかいていた事を知った。
もしかすると晴香はそれ以上かも知れなかった。
手を繋いだままフロアを一周したが、晴香の父の姿は見当たらなかった。
クレイマーの振りをして電話をしておいたのでどこかにいる筈だった。
「戸成、ちょっと俺、その辺の店員さんに聞いてくるよ」
「え、聞いちゃうの?」
「ああ、きっと事務所とかにいるんだと思う。ここで待っててくれ」
晴香を残して大志は商品を並べていた女性店員に声を掛けた。
「すみません。あの、今日店長さんっておられますか?」
「店長ですか? あいにく今日はお休みを頂いております」
「ええっ!」
「どうかされましたか?」
クレーマー作戦でここにいるのだと確信していたのにいきなり躓いた。
うろたえる大志に女性店員は不思議そうな顔をしている。
「あ、えっと、そのですね、店長さんと約束してたんですよ。おかしいな、どうしていないんだろう」
「お約束を? わざわざお越し下さったのに申し訳ありません」
「今どちらにいらっしゃるとかご存じないですか?」
「そうですね、ちょっとお待ちください。副店長なら分かると思います」
女性店員は丁寧に応対してくれた。
しばらくして副店長を連れて戻って来た。
「すみません。店長がお約束していたと聞きましたが、あいにく私用でお休みを頂いているんです。ところで、どういったお知り合いですか」
「ああ、僕、甥なんです。実家から仙台のおじさんに会いに来たんです。お昼ご飯を食べる約束をしてたんですけど」
「そうでしたか。じゃあ私から電話しましょうか?」
その展開はまずいので、大志は大きく首を横に振った。
「いえ、こちらから出向きますのでご心配なく。ところで今どちらにいるかご存じではないですか」
「ああ、お子さんの試合を観に行ってますよ。娘さんのバレーボールの試合があって、今日は代休を取って家族で応援だと言っておりました」
「場所は分かりますか?」
「ええ。私立体育館です。そこに行けば会えますよ。ここから丁度バスで15分くらいの所ですよ」
「ありがとうございます。行って驚かしてやります」
クレーマー作戦が失敗して蒼白になったが、居場所が分かって何とか望みは繋がった。
大志がその事を話すと、晴香は深刻な表情をして悩みだした。
「パパがそこにいるのは間違いないんだろうけど、パパの今の家族もいるんだよね」
「そうなる。それは俺の不手際だった。申し訳ない。でもこの機会を逃してしまう訳にいかないだろ」
「でも……」
大志はまた足がすくんでしまった晴香の手を取った。
「今度こそ任せろ。いざとなったらゆきちゃんに頼んで加速して、お父さんを拉致してくる」
「先輩、ちょっと性格変わった?」
「おまえのためならやってやるさ。本気だぞ」
大志は晴香の手を引きながら自分を奮い立たせていた。
 




