第50話 厳かな宿泊先
明るい学生食堂で食べた日替わり定食のアジフライは旨かった。
納得の美味しさに、なるほど教授が薦める訳だと二人とも納得した。
昼食後は教授が大学内を案内してくれた。
広大な敷地の中には一般開放してある博物館や、植物園もあった。
全て周った訳ではなかったが、大志と晴香は十分堪能したのだった。
「大学内を案内しただけで、もうこんな時間になったな。本当はもっと周辺の観光にも連れて行ってあげたいんだがどうする?」
そう訊かれてそろそろ宿泊先へ移動した方がいいかと大志は思った。
旅行会社に勤めている晴香の母が予約してくれていたのは、大学から少し離れた温泉地だった。
折角東北まで行くのだからと気を利かして、温泉宿を押さえてくれていたのだった。
「ありがたいんですが、そろそろ宿に移動しようかと思いますんでこの辺で」
「泊りかい? まあ、帰れないことも無いかもだが、泊ってまた明日観光して帰ったらいい。宿まで送らせてもらうよ」
そこまでしてもらってはと、丁寧にお断りしたが結局教授に押し切られ、二人は今日の宿泊先、秋保温泉まで送ってもらったのだった。
「明日はセミナーがあってね。君達とはここでお別れなんだ」
「何から何まで、お世話になりました。おかげさまでいい一日でした」
「そうかい。そう言ってくれて嬉しいよ」
教授は車の運転席から、二人が今日宿泊する宿をちらと見た。
「前に私も妻と来たことのある宿だが、なかなかいい旅館だったな。しかしやっぱり君達そうだったんだな」
何やらちょっと含みのありそうな言葉に、二人は何の事かと首を傾げる。
「いや、まあ野暮な事言って済まない。じゃあ、来年の春また会おう」
「はい。そうなれるように全力を尽くします」
「待ってるよ」
そういい残して教授は帰って行った。
「なあ戸成、なんか教授変なこと言ってたな」
「まあ、あれよ。あの歳の人にはそう言う風に私たちが見えるんでしょ」
あまり深くは考えずに、何となく厳かな旅館の門をくぐった。
「なあ、戸成、この宿なんかちょっと高そうじゃないか?」
「私もそう思った。ママが勝手に予約してくれたから私もよく知らなかったんだけど」
「おれ、そんなにお金持ってきてないんだけど」
「そこは大丈夫。ママが先に支払ってくれてるから」
「なんだか悪いな」
そして中に入ると、厳かさはさらに跳ね上がった。
「雅ってこういう感じなんだな」
大志は旅館のロビーでやや緊張気味にそう呟いた。
しばらくすると手続きを済ませた晴香が戻って来た。
何だか様子がおかしい。
どうかしたかと大志は訊いてみた。
「あの……二つほど予想外なことがあって……」
「何だ? 滅茶苦茶高かったのか?」
「それは心配ないんだけど、その……」
晴香の頬が少し紅くなっている。
言い出しにくそうにしていた晴香がやっと口にした言葉は大志を狼狽させた。
「一部屋しかないの。同じ部屋で予約してた」
「マジか!」
「幸枝先輩と来る事にしてあったから、こうなったみたい」
「そうか。そりゃそうなるだろうな」
「それともう一つあるの」
晴香はさらに頬を紅く染めて言いにくそうにしていた。
何処を見ているんだというぐらい目を泳がせている。
「あのね。ここってどの部屋もね……」
「どの部屋も?」
「露天風呂付客室なの」
「ほう。部屋に露天風呂がついてるわけだ……なんだって!」
今度は大志が紅くなった。はっきり言ってまともに想像してしまった。
「まあ、それは必ずしも入らないといけないわけじゃないけど……」
「そ、そうだよな。そのとおりだ」
二人はさっき教授が何を考えていたのかを、この時知ったのだった。
部屋に通された二人は、高校生二人が宿泊するには豪華すぎる部屋に戸惑っていた。
掃き出しの窓の外にはこの部屋専用にしつらえられた庭園がある。
そして右手に見えるヒノキ造りの露天風呂。
どこをとっても行き過ぎた部屋は、娘をまた転校させないといけない母親の後ろめたさが表れているみたいだった。
仲居さんが淹れてくれたお茶をすすりながら、二人は窓からの景色を眺める。
「美味しい……」
「うん。美味いな……」
二人ともそれから全く言葉が出てこない。
妙な沈黙が二人の間にしばらく続いた。
「えっと、風呂でも行こうかな」
「ええっ!」
大志のひと言に晴香は飛び上がる。
「いや、大浴場だよ。そこのやつじゃないよ」
「あ、そ、そうよね。じゃあ私も行ってこようかな」
どうもいつもの感じで話せなくなった二人だった。
大浴場はとりわけ露天風呂が素晴らしく、柔らかなお湯が旅の疲れを癒してくれた。
予想だにしていなかった贅沢を二人はさせてもらった。
しかし旅館の快適さを堪能するよりも、頭から離れない事が二人には有った。
大志は露天風呂に浸かって、そこから見える庭園を眺めながらその事を考えていた。
今夜あいつと同じ部屋で寝るんだよな。
温泉でほっとするどころか妙に緊張してきた。
これって、まずくないか。でも今更どうしようもないし、勿論、何にも起こらない訳だけど。
さっき露天風呂を目にしたときに想像してしまった光景が、また浮かんできた。
そして大志は猛反省した。
「何考えてんだ」
覗きの一件以来、何度もスケベと晴香に罵られたが、本当にそうかもと思い始めた大志だった。
目の前に並べられた懐石料理はキラキラしていた。
どれもこれも美味しそうだったが、大志はテーブルを挟んで座る晴香が気になって仕方なかった。
なんか、可愛いじゃないか……。
湯上りの火照った肌に、柚子の絵柄の入った浴衣。
いつもと違う一面を見せる晴香に、大志の頭の中は戸惑いしかなかった。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
食べ始めた二人は空腹だった事を思い出したかのように、そこそこのペースで平らげていった。
「これ旨すぎないか?」
「先輩もそう思う? ちょっと普通じゃない美味しさだわ」
流石に量が多かったので少しペースを落とす。
大志はどうしても気になる晴香の浴衣姿から目を逸らしつつ、今日一日を振り返った。
「いい一日になったよ。戸成はどうだった?」
「私も楽しかった。大学ってあんな感じなんだね」
「教授も加速の事ばっかりじゃなくって普通に講義もしてたし、大学の先生なんだなってあらためて思ったよ」
「私も。お世辞抜きで教授の講義に出たくなっちゃった。本気で目指そうかな」
目を輝かせ始めた晴香に、大志はやっと少しはいつもの感じで話し始めた。
「戸成ならどこだって行けるよ。決めた目標におまえが行きつけないのなんて想像できない」
「じゃあまた先輩の後輩だね」
「俺は自信ない。加速していないときは普通の人よりも遅れをとってしまう訳だろ。勉強したとしても時間内に解答を埋められるかどうか」
「そこは加速しちゃいなよ。先輩はズルだって言うけど、私はそうは思わないよ。だってもともと先輩の持ってるものじゃない」
「いや、そうかも知れないけど、なんだか納得できないんだ。あれを使って解決するべき事では無い気がするんだ」
「ホント先輩って頭硬いね。大昔の人みたい」
「悪かったな」
やっと二人の感じが解れ始めた。
ややまだ硬いものの、部屋には笑い声がし始めた。
「ちゃんと加速無しで受験するよ。もし駄目なら次の年にまた頑張る」
「あ、じゃあ先輩と同級生になるわけだ。もう先輩だからって気を遣わなくって良くなるね」
「おまえが俺に気を遣ってたって? いつ?」
「いっつも。同級生になったらため口だからね」
「今だってそうだろ……」
そんな話をしながら、お腹がいっぱいになるまで二人は夕食を堪能した。
 




