第5話 黒髪の君
変態、スケベと罵られながらも、大志は最後まで問題集をやり終えた。
幸枝と晴香にとっては瞬きする間だったが、大志は流石に音をあげた。
「もう嫌だ。帰りたい」
しかしそれだけやった甲斐は有った。
どうやら大志の加速の終結するタイミングが分かったみたいなのだ。
「先輩は途中で集中力が逸れなければ、最初に決めた行動をやり遂げるまで加速し続けるみたいです」
晴香の推論は恐らく正しかった。
つまり一番最初に加速したホームランを打った時は球を打ち終えた後で加速は終わり、屋上から落ちて行った晴香を助けた時も校舎に引き込んで安全になった時に加速を終えた。ボートの時は特に顕著にそれが現れたと言える。お爺さんと孫を助けるため加速した大志は、二人を助けた後自分がボートに戻る前に加速を終えてしまった。
「それって大ちゃんの性格みたいだね」
幸枝がそう言ったのは、小さいころから大志が一度決めたことを最後までやり遂げるのを見てきたからだった。
「加速世界では先輩の精神状態が加速自体に強く影響を与えるみたいだわ」
晴香はメモを取りつつ進展したことを喜んだ。
「俺は一度決めたらやりとおす性格なんでね」
誇らしげに大志は少し胸を張った。
「女にはすぐブレるみたいだけど」
幸枝は厭味たっぷりに大志が忘れ去りたい事をまた引っ張ってきた。
「それもう忘れてよ。ちょっとだけ魔が差しただけなんだ」
「大ちゃんってもう少し硬派なのかなって思ってた」
「がっかりさせて悪かったよ」
大志は肩をすくめてみせた。
「私は先輩はクロだって最初から分かってたんだから」
晴香は拗ねてしまった大志に、さらに追い打ちをかける。
女って怖いな……。
大志は今まで持っていた女子のイメージをこれからは変えようと真面目に思った。
新学期が始まって三日。名前順だった席順がガラリと変わった。
大志の席は窓側の後ろで一番隅っこだった。
幸枝は何故か一番遠い対角線の先にいた。
少し残念だと感じながらも、チラリと横を見る。
隣の席に座って長い髪を時々かき上げているのは、あの黒川仁美だった。
大志は少し不思議な感じだった。
この席順って先生が決めたんだよな……。
どういう法則で席順を先生は決めるのだろうか。適当に夜、酒でも飲みながらゲーム感覚で決めてるとか……。
隣の一般的に誰もが美少女だと思う横顔を横目で見ながら、どうでもいいような事を考えていると、スッと視線の先の大きな瞳がこちらを向いた。
大志は慌てて目を逸らす。
「丸井君」
俺を呼んだ?
聞き違いだと思ってやり過ごす。
「丸井君」
確かに呼ばれて、あまり見ない様に顔を向けてみた。
「えっと……呼んだ?」
黒川仁美は大志の顔をじっと見ている。人の顔をじっと見る癖のある人だっている。そういう人なのではないだろうかと、大志は目を泳がせながらタラリと汗を流した。
「一学期の間、隣の席だね。よろしくね」
爽やかに言った後スッとまた前を向いた黒川仁美の横顔に、大志は何も返せなかった。
いかにも美少女が言いそうな台詞を、その小さな唇で恥ずかし気に伝えた少女は、大志にとって余りお近づきになった事の無いタイプだった。
免疫のない純朴な大志はただうろたえていた。
黒川さんみたいなおしとやかな女の子でも、スケベ、変態と罵声を浴びせる事が有るのだろうか……。
ホームルーム後の教室の前。
大志は先に瀬尾と帰って行く幸枝に手を振りながらそんな事を考えていた。
「さあ今日は稽古だっと」
別に誰に言っている訳ではないが、自分のやる気を少し上げようかと口に出してみた。
大志は鞄と柔道着の入った風呂敷包みを手に柔道場へと向かおうとした。
「丸井君」
誰もいなくなったと思っていた教室には黒川仁美がまだ残っていた。
丁度日直だった彼女が、黒板を綺麗にした後の後始末をし終わったタイミングだった様だ。
「ああ、お疲れ様」
大志はそのまま教室を出て行こうとする。
「ねえ、丸井君急いでる?」
そう言われてなんだか出て行き辛くなって足を止めた。
「今から部活なんだけど……」
仁美は自分も鞄を手にして、教室を出ようとしていた大志と並んだ。
「ごめんね。呼び止めちゃって。ちょっとだけいいかな」
仁美は上目遣いで背の高い大志を見上げる。
背の高さは幸枝と同じくらいか少し高いぐらいだろうか。幸枝より少し背の低い晴香の方が目線は下だなと大志は比べていた。
「三年になって転校なんてするもんじゃないね」
仁美は少し目を伏せながらそう言った。
「みんな勉強とか忙しそうだし、友達とかそういうのって難しい時期みたい……」
確かにそうかも知れないな。そう思うとよく知りもしない男子生徒を捉まえて、胸の内を少し覗かせたこの少女が気の毒に思えた。
「黒川さんはどうして隣町からわざわざ転校してきたの?」
仮に引っ越したとしても、学校をこの時期に変えなくとも通学の方法があったのではないかと思ったのだった。
「それは……言わないといけないかな……」
大志の質問に急に口を重たくしたのを見て、訊いてはいけなかったのかとすぐに話題を変えた。
「それは置いといて、学校の雰囲気どう? 何となく馴染めそう?」
「んー、実は丸井君としかあんまり話してなくって、分からないというか……」
仁美は眉をハの字にして困っている様な顔をした。
ちょっと、いや、だいぶ可愛いじゃないか……。
おしとやかな美少女に免疫のない大志は、ドキドキしている自分に気付き、すぐに目を逸らした。
「丸井君に学校の中、案内して欲しいな……」
恥かし気にうつむいた仁美に、半端なくときめいてしまい大志は思わず二つ返事で引き受けた。
「い、いいよ。俺で良ければ……」
「ありがとう」
勇気を出して言った一言を受け入れてもらえた少女は、恥ずかし気に微笑んだ。
そのキラキラしている感じに案内役が俺でいいのかと不安になった。
女子っていいもんだな……。
大志はまた女子のイメージを方向転換したのだった。
 




