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加速する世界ふたたび  作者: ひなたひより
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第48話 走り出した大志

 大志は東北大学の過去問を解きながら余計な事を考えてしまっていた。

 昨日涙を流し続けていた晴香の事。

 一体自分に何ができるのかと、そればかりを考えてしまっていた。


「まずいな、勉強が手につかない」


 ぼそりと、そう口に出して席を立った。

 思えば幸枝が加速世界に入るための引金であった事で、幸枝こそが自分にとっての特別な存在であると思っていた。

 だが、その加速能力を直面した困難に上手く機能させてくれていたのは他の誰でもない晴香だった。

 いつもおチャラけて、突っ走ってばかりいる身近な存在が、自分にとってどれほど大切なものなのかを昨日の涙で思い知ったのだった。


 俺は知らない間にあいつに甘えてしまっていた。

 あいつが助けを求めているのに気付きもしないで。


 大志は携帯を手に取り幸枝にかけた。


「もしもし」

「あ、ゆきちゃん。悪いんだけど、またあれを頼みたいんだ」

「うん。いいけど、何をするの?」

「うん。瞑想したいんだ」

「瞑想? それって加速しないと駄目なの?」

「うん。時間が無くって。とにかく頼むよ」

「分かったわ」


 そして幸枝は引き金を引いた。


「加速して!」


 あの影山がそうしていたように、大志は加速世界の中で晴香の事を一心に考えた。



 夏の雲が高く伸びる晴天の青い空。

 晴香のマンションの裏側には、そこそこ大きな池のある公園がある。

 木陰のベンチに腰を下ろして、そこいらで大騒ぎしているクマゼミの声を聴きながら、晴香はそこの自動販売機で買った甘いジュースをチビチビ飲みつつ大志を待っていた。

 しばらくして汗だくで大志は現れた。


「どうしたの? こんなとこに急に呼び出して」


 ちょっとドキドキしながら、大志がここで待ち合わせしようと言った意図を尋ねてみた。


「ああ、その前に飲み物買ってきていいか?」

「あ、私行って来るよ。なにがいい?」

「一番でっかい麦茶。アイスがあったらそっちの方がいい」

「公園の自動販売機にそんなのある訳ないじゃない。ちょっと待ってて」


 公園の入り口に停めてきたのだろう。自転車で飛ばして来たであろう大志を晴香は気遣った。

 昨日も相当自転車であちこち走り回っていた筈なので、気の毒になったのだった。


「これが一番大きかった」


 手渡されたスポーツ飲料をゴクゴク喉を鳴らして半分ほど流し込んでから、大志はやっと一息ついた。


「暑すぎる。死ぬかと思った」

「自転車でうろうろするには過酷過ぎるよ。で、話したい事って何なんなの?」


 大志は携帯を出して晴香に画面を見せた。


「ちょっと暗いし、小さいな。なんて書いてあるの?」

「ああ、これ東北大学のオープンキャンパスのお知らせなんだ。八月四日、土曜日」

「オープンキャンパスって?」

「ああ、受験生が大学の説明を聞いたり、予め大学の授業を体験したりできるイベントだよ」

「へえ、やっぱり東北大学に興味あるんだ」

「そういう事。もし良かったら一緒にどうかなって思ってさ」


 晴香は耳を疑った。多分聞き間違いだと思って訊いてみる。


「えっと。先輩は一人で行くわけよね。それで私は何をするのかな?」

「だから俺と一緒に東北大に行かないかって誘ってるんだよ」

「えーっ!」


 大きな声を上げた晴香に、犬を散歩させていた人が振り返った。


「騒ぐな。恥ずかしいだろ」

「え、先輩、今、私も一緒にって言ったよね」

「ああ、そうだよ。そう言ったんだ」

「遠いよね。泊りだよね」

「ああ、そのつもりだけど」


 晴香はなんだか頬のあたりが熱くなってくるのを感じた。


「おい、お前また、俺を変態だって思っただろ」

「そんな事ないけど……」

「いや、違うんだよ。あれだよ。東北大学は仙台にあるんだ。それで一泊すれば、次の日にさ……」


 そこまで聞いて晴香は大志の言いたい事を理解した。


「パパに会う機会を作ろうとしてるのね」

「手短に言うとそうなんだ」


 恐らく大志は大学のイベントより自分の事を考えてそう言ってくれているのだと晴香にも分かっていた。

 それでも晴香はその申し出を受ける事を躊躇った。


「先輩が色々考えてくれたのは嬉しいけど、それは出来ない」


 晴香ははっきりと大志にそう言った。


「そんな簡単なもんじゃないの。私が黙ってパパに会いに行ったらママはきっと悲しむわ。それにパパだって私がいきなり現れたらきっと迷惑だろうし」

「戸成の気持ちはどうなんだよ。大人の感情と都合を子供が察して我慢してるなんておかしいだろ。お前の素直な気持ちでいつものように走り出してみろよ」


 晴香はまだ飲みかけのペットボトルを持って席を立った。


「もういい。この話はこれでお終い」

「いい訳ないだろ。俺に本当の気持ちを話してみろよ」

「私はパパなんかに会いたくない!」


 ついはずみで強く言ってしまってから、晴香はすぐに後悔した。

 それでも晴香はそのまま大志を置いてすたすたと歩いて行く。

 すぐに大志が追いついてきて晴香の腕を掴んだ。


「嘘つけ。じゃあ何で会いたくもない父親からもらったカメラを肌身離さず持ち歩いているんだ。どうして昨日あんなに苦しそうな顔をして泣いたんだ」

「それは……」


 口ごもってしまった晴香を引き留めようと、大志はとにかく一生懸命だった。

 その必死さに晴香の気持ちが揺れ動く。

 

「戸成はなかなか一歩を踏み出せない俺の前をずっと走り続けてくれた。お前が今、脚がすくんで動けないのなら、今度は俺が代わりに前を走ってやる」


 その言葉を聞いて晴香の脚は止まった。


「いいから俺についてこい」


 そして大志に手を引かれるまま晴香はついて行く。


「ミーティングしよう。戸成のこれからの計画を立てるんだ」


 晴香はもう何も言えずに頷くだけだった。


「俺だって、お前の相棒ぐらいできるんだからな」


 手を引く大志の背中に晴香は涙をこらえた。


「うん。頼りなさそうだけど、頼りにしてる」


 晴香の目には、走り出した大志の背中はとても大きく見えたのだった。


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