第47話 傍にいてくれる人
「先輩、今日はありがとう」
ケーキを食べて、母の作ったちょっと手の込んだ料理を平らげ、晴香の二度目の誕生日会は賑やかに幕を閉じた。
大志がいただけで、昨日とはまるで違う誕生日だったと晴香は感じていた。
昨日の夜、眠りにつくまで頭から離れなかった届く事の無い父からのプレゼント。
大志がいた事で、ただ嬉しくてその事を忘れていた。
いや、きっと忘れさせてくれたのだと、そう思った。
食事の後、また自室に戻って、まだ少し照れくさそうな晴香と、お腹を膨らませた大志は他愛もない話をしながら寛いでいた。
「でも、どうして先輩とママが? いつから示し合わせてたの?」
「ああ、今日の午前中に駅前でバッタリ会ったんだよ」
「ああ、ママが美容室に行った時だ」
「その時、戸成の誕生日の話題が出たんだ。昨日だったって聞いてさ、それでこんな感じになったって訳さ」
そういう事かと、晴香はやっと理解した。
「ホントはゆきちゃんも連れてきたかったんだけど、模試が入ってて来れなかったんだ。よろしく伝えといてくれって言ってたよ」
「うん。でも嬉しいよ」
「そんでこれが俺からの……」
大志は持ち込んでいた大きめの鞄から包みを出した。
「誕生日プレゼント。大したもんじゃないけど」
「えっ。なんか大物だけど」
大志が鞄から出して見せた包みは両手で持たなければいけない程の大きさだった。
「ちょっとずっしりしてる。何だろう」
「開けてみろよ。気に入ってくれたらいいけど」
開封している途中で包みの正体が分かった。
「たこ焼き器だ!」
「そうなんだ。俺の家で使ってるのと同じ奴だよ。まあまあ安いやつなんだけど」
「すごい。欲しいなって思ってたんだ」
「気に入ってもらえて良かったよ。今度お母さんに作ってやれよ」
「うん。ありがとう」
晴香は嬉しそうに、たこ焼き器を胸に抱えた。
「でもまだ先輩みたいにあんまし上手くできない」
「また今度やろう。レシピは今度書いておいてやるから、ちょっと練習したらいい」
「やった。ねえ、何時やる?」
「この間、黒川さんの送別会でやったばかりだから少し間を開けようよ」
「えー」
「いや、俺も色々受援勉強で忙しくってさ。八月に入ってからな」
「うん、分かった」
今度と言ったが大志は紙とペンを借りてレシピを書き始めた。
「すごい。全部覚えてるんだね」
「しょっちゅうやってるからな。レシピ通りにやれば後は焼き方だけだから、簡単だよ」
「うん。それを参考にしてママに明日でも作ってあげようかな」
晴香は大志がペンを走らせるのをすぐ近くで見ている。
スラスラと描き進めていた大志の手がふと止まった。
「戸成、あのさ」
「どうしたの?」
「聞いたんだ。今日、お父さんの事」
「そうなんだ……」
やや目を伏せた晴香を少し振り返って大志は言葉を続けた。
「なあ戸成、俺が前に言った事憶えてるか?」
「前に言った事?」
「おまえが俺にしてくれたように、俺に出来ることがあれば何でもするって」
「うん。憶えてる。ちょっと嬉しかった」
晴香は憶えていた。学校に忍び込んだあの日の夜、大志がくれた嬉しい言葉を。
「今、お前が必要な事を俺はしてやりたいんだ。いや、俺がそうしたいんだ」
「そんな気にしなくていいよ。私も殆ど諦めてるし、気持ちだけもらっとくね」
軽く、それだけで話を終わらせようとした晴香に、大志は納得していない様子だった。
ずっと一緒に困難を駆け抜けた二人は、相手の事を手に取るように感じられるのだろう。
「無理してるだろ。分かるんだ。なんとなく」
「そんな事ないよ。気のせいだよ」
「昨日、気付いてやれなくてごめんな」
そのひと言で晴香の心は揺れた。
「近くにいて、お前の事一番分かってるつもりだった。お前がいつもあのカメラを放さない理由にもっと早く気付くべきだった。一人で抱え込んでいたのにこんなに気付かなかったなんて……」
最後に大志は力強く言ったのだった。
「ごめんな。でも、もう大丈夫だ。お前を絶対に一人にしたりしないからな」
晴香の瞳からポロポロと勝手に涙がこぼれだした。
ずっと抑えていたものが堰を切って溢れ出したみたいだった。
「わたし、わたし……」
「もう大丈夫だ」
うつむいて涙の止まらなくなった晴香の頭にそっと置かれた手は、大きくて暖かかった。
すっかり日の落ちた坂道で、晴香は大志を見送ろうとマンションの下まで降りてきていた。
「今日はありがとう……」
少し恥ずかし気に、晴香は大志に向き合った。
ほんの少し暑さのましになった時間帯。
急坂を駆け上がるように、少し風が吹いていた。
髪を風が揺らすのを晴香は時々気にしてかき上げる。
「俺の誕生日の時も頼むな」
「うん。11月11日だね」
「あ、憶えててくれたのか」
「うん。だって覚えやすいじゃない」
「確かに」
お互いにまだ気遣いながら笑い合う。
「なあ、戸成」
大志は最後に何か言いたげに晴香に向き合う。
「うん。なあに?」
そう応えた晴香の前で大志は少し首を横に振った。
「いや、何でもない。また連絡するよ。じゃあな」
そう言って大志は長い坂道を自転車で下って行った。
「言いかけて止めちゃうなんて、気になるじゃない……」
晴香は今日も大志の背中を見えなくなるまで見送ったのだった。
戻って来た晴香に母がどうだったと訊いた。
「うん、楽しかった。二回も誕生日会してくれるなんて」
「で、プレゼントもらったの?」
「うん……」
「何もらったの? ネックレス? ピアス? まさか指輪?」
なんだか勝手な想像をし始めた母を晴香は訂正する。
「たこ焼き器もらった。またママにもご馳走したげるね」
「え? たこ焼き器なの」
「そうよ。欲しかったんだ」
あっさりとした感じで部屋へと戻ろうとする晴香を母は引き留めた。
「ねえ、丸井君て本当に今時いないくらいいい子ね。遠距離になるけど付き合っちゃいなさいよ」
「なに? 勝手に無責任な事言わないでよ」
「あんた、ちょっとは彼に気があるんじゃないの? 机の上の写真に丸井君が写ってたし」
「あ、あれは、たこ焼きを初めて焼いた記念の写真よ。先輩が写真に入りたいって言うからあんな感じになっただけ」
そう応えた晴香を母は探るような眼で見ている。
「あーあ、残念だわ。丸井君って男前じゃないけど、ちょっと可愛い感じだし、世話を焼きたくなるタイプなのよね。もし私だったらあの子を絶対放さないけど」
「ママはそうかも知れないけど私は違うの」
話を終わらせようとする晴香にかまわず、母はまだ絡んできた。
「ちょっと恰好良くって付き合ったらスカスカの男子なんかより、中身の詰まった丸井君がいいわ。多分、ちょっと彼の事知ったら大概の女の子は好きになっちゃうでしょうね」
そう言われて晴香は少し切なくなった。
「丸井君きっと晴香には言わなかったと思うけど、私と分かれた後、この炎天下の中、自転車であのたこ焼き器を買いに行くために一度家までお金を取りに戻って、また駅前の量販店に行ってる筈よ。それからまた家に戻ってケーキを買ってから来てくれた」
「……」
「あのケーキ。美味しいって評判の店のだったわ。丸井君の家からなら私たちの家とは反対方向のね」
晴香は母の話を聞いて何も言えなくなった。
「感謝しなさい。丸井君は本当にあなたの事を大切に思ってくれてるわ」
部屋に戻った晴香は、テーブルに置いたままのたこ焼き器をまた胸に抱いた。
そして、さっき分かれたばかりなのに今すぐに会いたい気持ちを、じっと我慢したのだった。




