第45話 届かなかったプレゼント
夏休みに入ってから五日目。
ムッとする熱気の中、大志は自転車を走らせて駅前の書店に来ていた。
大学入試向けの過去問のコーナーで大志は立ち止まり、目あての大学のものを物色する。
そして大志が目を止めたのは志望校とはかけ離れた大学だった。
東京大学。
明らかに冗談だったが、最近晴香に加速したら東大だっていけるんじゃないかと言われたのを思い出したのだった。
無理に決まってるだろ。加速しても頭は良くならないんだよ。
苦笑交じりに過去問を手に取ってみた。
そしてひょっとすると晴香なら本気を出せばいけるかもと、真面目に思った。
あいつの突破力は半端ない。冗談抜きでやる気になれば合格しかねないな。
本を戻してその列にあった過去問に目を止めた。
東北大学。
加速研究の第一人者、篠田教授のいる大学だった。
確か理工学部の教授だって言ってたな。
大志は本を手に取って頁をめくって見る。
この大学も大志の学力ではとても合格できそうになかったが、大志はどうしても本を棚に戻す事ができなかった。
書店を出るとまた熱気に包まれた。
また汗だくで帰らないといけないのかと、うんざりしていると後ろから声を掛けられた。
「丸井君?」
振り返ると見覚えのある女の人。
「丸井君でしょ。私よ。晴香の母です」
「あ、先日はどうも」
「本屋さん?」
「ええ、大学入試のテキストと、過去問を探しに」
「いいの買えた?」
「はい。一応欲しかったのは手に入りました」
普通なら挨拶程度の会話で済ませるのだろうが、今日の晴香の母は様子が違った。
「ねえ、丸井君、少しだけ時間ある?」
「え?いいですけど」
「そう、良かった。じゃあ、そこのカフェで冷たいものでも飲みながら話しましょう」
ちょっと断り辛いようなこの雰囲気は、あの元気娘と共通しているなと大志は感心していた。
晴香の母は何でも頼んでいいと言ってくれたが、大志は遠慮してアイスコーヒーだけを頼んだ。
それでも自転車でここまで来て喉が渇いていた大志にとっては有り難かった。
「いい飲みっぷりね。男の子っていいわねー」
前にお邪魔した時もそうだったが、変なところで感心されて大志は何とも返せない。
晴香の母は一息ついたところで話し始めた。
「丸井君、晴香から何か聞いた?」
「え? 何かって?」
「あらたまった話とかされなかった?」
「いえ、特には。昨日も会いましたけど、部活の話しかしてません」
特に何も聞いていなさそうな大志の反応に、晴香の母は納得したみたいだ。
「それならいいの。晴香も色々考えてるだろうから」
「え?」
「それと、ちょっと他にも聞きたいことがあるのよ」
「何ですか?」
「丸井君って本当に晴香のボーイフレンドじゃないのよね」
大志はストローで吸い込みかけていた液体を吹き出しそうになった。
「げほ、げほ、げほ」
「ごめんなさい。びっくりさせちゃったわね。いや、まあ私が勝手にそうかも知れないって思っただけなのよ。晴香も違うって言ってたし」
大志はむせかえってしまったのが収まってから、きちんと答えた。
「いや、そう言う感じじゃないのでご心配なく。でも部活をとおして親しくさせてもらっているのは確かです」
「そう。いや、丸井君が晴香と付き合ってるって言ってくれても、それはそれでいいんだけど、まあ安心したわ」
すこし肩の荷が降りたような感じで、晴香の母は自分のカフェラテに口を付けた。
「ありがとう。聞きたかったのはそれだけ。あ、そうだ。もう一つだけ……」
何かを思い出したかのように付け足した。
「あの子ね、実は昨日誕生日だったの」
「え? 知りませんでした」
「やっぱりそうか。あの子の性格じゃあ、言わないだろうなーって思ってたけど当たってたわね」
「ええ。聞いてなかったです」
「うちは父親がいないものだから、いつも二人だけであの子の誕生日のお祝いをするの。中学の時まではそれでも誕生日を楽しみにしてたんだけど」
何となくその先の言葉が出てこなくなり、またもう一口カップに口を付ける。
「丸井君に話す内容じゃないかもね。今の話忘れて」
「ちょっと待って下さい」
話を止めようとした母を大志は引き留めた。
「晴香さんの事なら、聞きたいです。最後まで話してください」
「丸井君……」
そして一度区切った話をまた再開した。
「晴香がまだ小学生だった頃、私は夫と離婚したんだけど、私が晴香を引き取った後もあの人は毎年晴香の誕生日にプレゼントを送って来ていたの。恥ずかしい話だけど、夫は浮気をしてよそで子供を作っちゃったの。別れた後、しばらくしてその相手と家庭を持った。それからもう一人子供が出来たって聞いたわ」
「そうですか……」
「晴香が中学三年の時の誕生日、あの人からまたプレゼントが届いたの。その時同封してあった手紙に高校に入学したら入学祝を送りたいから何がいいかって書かれてあった」
晴香の母はその時の事を思い出すかのように、少し遠い目をしていた。
「晴香はあの人に長い手紙を書いたわ。そして写真部に入って写真をいっぱい撮るんだって返事を返したの。結局、私の転勤で、晴香は写真部の無い高校に進学する事になった。でもあの人は立派なカメラを入学祝に送って来てくれたわ」
それは大志にも思い当った。あのいつも首から提げている一眼レフがそうなのだということにようやく繋がった。
「あの子はとても嬉しそうだった。そして同封されていた手紙を読んだの。そこにはこう書かれてあったの。このカメラが最後のプレゼントだと」
「そんな……どうして」
「仙台に転勤になったのをきっかけに、資産家だった妻の実家でこれからは暮らすのだと手紙にはあった。妻からも向こうの両親からも、もう昔の家族とかかわらないで欲しいと説得されたらしいの」
晴香の母はまた一口ストローに口をつけた後、落ち着いた声でこう言った。
「そしてその年の誕生日にプレゼントは届かなかった」
そこまで聞いた大志は唇を固く結んで気持ちを抑えていた。
「じゃあ今年も?」
「ええ。届かなかったわ。あの子、表には出さなかったけど待っていたんだと思う。もしかしたら届くんじゃないかって」
昨日大志の家に晴香はミーティングだと言って押し掛けてきた。
きっと届くはずのない父親からのプレゼントの事が頭にあって、家にいるのが辛かったに違いない。
くだらない話をしただけで、何も気付けなかった自分が不甲斐なかった。
「あの子きっと傷ついてる。何でもないような顔をして、一人で抱え込んでるんだと思う」
「そんな事があったなんて……」
溜め込んでいたものを言葉にする事で、晴香の母はほんの少し気持ちの整理がついたのか、柔らかな笑顔を見せた。
「なんか聞いてもらって私の方が楽になったわ。引き留めてしまってごめんなさいね」
飲み終わった容器をトレーに載せて、そろそろ席を立とうとした晴香の母を大志は引き留めた。
「待って下さい」
咄嗟に言ったそのひと言から、大志はまるであの相棒の様に走り出したのだった。
 




