第41話 加速する者
静まり切った狭い部屋で大志は色々模索していたが、なんにもいい考えは浮かんでこなかった。
俺がここに捕まってしまっていたら、ゆきちゃんたちはきっと探しに来るだろうな。
それこそあいつの思うつぼなんだろうな……。
そう思うと居ても立ってもいられなかった。
立ち上がって部屋の中をぐるぐる歩き回る。
あの黒川さんの弟がいれば何とかなるか?
いや、影山なら何らかの対策を講じている筈だ。
あいつの隙の無い計画に対抗できるとしたら……。
明るく笑う顔が浮かんできた。
あいつだな。あいつしかいない。
恐らく影山が晴香を取りこみたかった理由は、手駒に便利というだけではないのだろう。
あの予測不能な場当たり的な行動力と突破力に、なにかしらの脅威を抱いていたのかも知れない。
確かにあいつのおかげで市川に対抗して幸枝を助け出すことができた。
やっぱりあいつは本当にダイヤモンドの原石なのかも。
そんな事を考えているうちに、扉がガチャリと鳴った。
鍵が開いたような音の後、扉が勢いよく開かれると、なんとなく誰かに似ているような中年の女性が部屋に入ってきた。
「黒川さんのお母さんですか?」
特に目の辺りがそっくりだったので思わず訊いた。
「ええ、そうよ。丸井大志君ね。今は話をしている場合じゃないの。仁美から携帯を渡すようにって言われてるの」
そして仁美の母は手に持っていた携帯を大志に手渡した。
そして携帯を手にした大志の耳に、今まさに進行中の会話の内容が聴こえてきた。
大志は真剣な表情で、今仁美たちに何が起こっているのかを聞いていた。
「どうなんだ? 大人しくするか、痛い目を見たいのか?」
繰り返す男の言葉を最後まで聞いた後、仁美は追い詰められているのにもかかわらず、幸枝と晴香だけに聴こえるよう、落ち着いた声で囁いた。
「ゆきちゃん、戸成さん、上手くいったよ」
「やりましたね」
ボソボソと内輪で話し始めた女子三人に、リーダーの男が怪訝な顔をする。
「早くしろ。どっちなんだ?」
「やかましい!」
即座にやり返したのは晴香だった。
「あんたたち、調子こいてんじゃあないわよ。女子高生におっさんたちが寄ってたかって大人げない」
「分かった。痛い目を見たいようだな。おい、おまえたち、こいつらに一発ずつ撃ち込め」
銃を構え直した連中の前に、幸枝がスッと歩み出た。
「もうやめて。これ以上誰も傷つけないで」
「ほう、降参するか。賢い選択だ」
「銃を持っているあなたたちに、私たちは敵わない」
「そうだ、ガキはガキらしく最初から大人しくしときゃよかったんだよ」
男は銃を向けたまま、愉快そうに笑った。
「そう、私たちじゃ敵わない。でもあなたたちは彼に絶対敵わない!」
幸枝は通話状態にしてある携帯に向かって叫んだ。
「加速して!」
そして次の瞬間、竜巻のような風が巻き起こった。
二十人近くいた武装した男たちは、ことごとく壁まで吹き飛ばされていった。
男たちは何が起こったのか知る暇もなく、倒れ込んで呻き声をあげていた。
「大ちゃん!」
「先輩!」
「ごめん。遅くなった」
大志は男達から奪った銃を両手に抱えて廊下に立っていた。
「撃たれたのか?」
大志は倒れ込んでいた歩実に駆け寄り様子を伺う。
「歩実、歩実!」
涙をいっぱい目に溜めて、仁美は倒れ込んだままの弟に呼び掛けた。
「すぐに救急車を呼ぶから。大丈夫だから」
電話をしようとした仁美は歩実の異変に気付いた。
「歩実、どうしたの? 歩実!」
歩実は顔を真っ赤にして声帯を細かく振るわせていた。
それに共鳴するかのように周囲が反響し始めた。
「これは?」
耳につき刺さるような音に大志が顔をしかめる。
「何か様子がおかしいわ。みんな、こいつらがしてるイヤホンを付けて」
晴香は機転を利かして、倒れ込んだ男たちのイヤホンを全員に付けさせた。
「何だこのおかしな音は!」
大志は晴香に大声で聞いた。イヤホンを付けていても大声を出せばなんとか会話できた。
「仁美先輩。これって前に言ってたあれじゃないですか?」
「ええ。間違いないわ。口を封じられて、追い詰められた歩実は声帯の限界を超えて加速し始めているんだと思う!」
歩実は喉を苦しそうに抑えながら、高周波のような音を出し続けている。
「止められないのか!」
「本人の意思ではもう止められないみたい。このままだと……」
「このままだとどうなるんだ!」
「恐らく衝撃波で彼の頭は吹き飛ぶ。そしてこの建物も」
「戸成! どうしたらいい? 何か思いつかないか?」
「音が伝わらなければいい筈。そうだ! 水の中なら!」
「分かった! ゆきちゃん頼む!」
「加速して!」
一瞬であれほど耳障りだった鋭く高い音が止んだ。
そして目の前から大志と歩実は忽然と消えていた。
大志は加速世界に入り、苦しみ続ける歩実を軽々と抱えて外に出た。
近くに池がある。
この付近の地図は前に晴香から見せてもらっていた。
大志は静止した歩実を抱えたまま、大きな池の中央にやってきた。
加速している大志は水の上も普通に歩ける。それは一度、体験済みだった。
大志はゆっくりと歩実を池に沈めていった。
今の状態で沈めていけば、歩実の開いた口から水が流れ込む。
その動きは加速している大志から見ると殆ど動きが無かったが、しばらくすると喉の辺りにまで水が入って行くはずだった。
大志は歩実の手を放した後、一度幸枝たちの元へと戻った。
そして幸枝を抱えて、大志はまた池のほとりへとやってきたのだった。
「あれ? 大ちゃん、私どうしてここに?」
驚いている幸枝に事情を説明している場合では無かったので、すぐに引き金を引くよう頼んだ。
「分かった。加速して!」
一度加速を解いたため、今まさに歩実は池の中に沈んでいっていた。
大志は再び加速すると、溺れている筈の歩実の体を引き上げた。
かなりうろたえきったポーズを取っているところを見ると、水を肺に入れてしまってむせかえっている感じだった。
暴走した声帯の加速による振動波は封じ込めれたみたいだった。
「ゲホゲホ。ゲホ、ゲホ。いったいどうなってるんだ」
かすれた声で、歩実はどうして自分が溺れていたのかを大志に訊いた。
「君の声帯が危険な状態まで加速してしまったんで池に沈めたんだ」
「酷いな。でも、助かった」
まだむせ返りながら歩実は礼を言った。
大志はニコリと笑って幸枝に向き直った。
「じゃあ、ゆきちゃん。あいつら全員片付けてくるよ」
「うん。頑張って」
「じゃあ頼む」
「加速して!」
そして再び大志は消えた。
一瞬で居なくなった大志に、歩実はせき込みながら驚嘆したのだった。




