第38話 綿密な罠
加速した大志は二階の廊下にあるダクトを目指した。
仁美の渡してくれた配置図に赤い印がある。
容易に目的のダクトを見つけ。工具で外すと、発煙筒の先端をこすり、その中に放り込んだ。
煙は出ていなかったが、加速を解いた瞬間に発火し煙が出る筈だった。
「これでよし」
大志は手際よく仕事をこなし、皆の所に戻って来た。
そして加速が解ける。
「びっくりした」
突然、別の所から姿を現した大志に、仁美と歩実は驚嘆した。
幸枝と晴香はもう何度か見ていたので、ちょっとドキッとした程度だった。
「で、首尾は?」
晴香の質問に大志は親指を立てて応えた。
「多分完璧。見てる間に煙が充満して火災報知器が鳴る筈だ」
しばらく待っていると、大志の言うとおりになった。
「計画どおりだね」
「ああ。いい感じだ」
「ねえ、大ちゃん、そろそろ加速する?」
「ちょっとまだかな。もう少し待ってからの方がいいかも」
なんだか慌ただしそうな教団施設を遠目に眺めつつ、しばし待つ。
そろそろかと思い、大志は幸枝に二度目の引金を引いてくれと頼んだ。
「じゃあ、行くね。加速して!」
そしてまた大志の姿は一瞬で消えた。
教団内部には火災報知器のアラームが鳴り響いていた。
大志は三階へと駆け上がり、保管庫の扉が少し開いている事を確認した。
恐らく、岸本は保管庫の中に入って、どうなっているのか調べている最中なのだろう。
大志はそのまま内部に進入した。
煙が充満していて視界が悪い。
手で払うとその払った部分だけ煙が移動した。
成る程。加速している状態なら煙はこういう動きをするのだなと感心した。
大志はそこそこ急ぎながら問題の帳簿を探す。棚に置かれたたくさんの書類の中からそれらしきものを探しまわった。
そして大志は妙な疲労感に襲われた。
なんだ? 煙のせいか?
確かに少し息苦しい。しかし何かがおかしいと本能的に感じていた。
周りを見渡して大志は気付いた。
この部屋には俺しかいない。
帳簿を探そうとして岸本の事を忘れていた。
扉が開いていたということは岸本はここにいる筈だ。
もし部屋を出て行ったのなら、またロックが掛かっている筈だった。
つまり扉が開いていて岸本がいないということは……。
朦朧としてきた意識の中で、大志はある結論に行きついた。
これは罠だ……。
猛烈な眠気に抗えず、大志はそのまま意識を失った。
「おかしいわ。先輩が戻って来ない」
「どうしたんだろう。加速が解けたのかしら」
事が順調に運んだのだとしたら、大志はものの数秒でここに戻って来ている筈だった。
晴香と幸枝は恐らく何らかの理由で加速が解けたのだと考えた。
「丸井君どうしたんだろう……」
仁美は不安そうに教団施設を見つめていた。
「俺が行って、見てこようか?」
歩実も恐らく責任を感じてそう訊いたのだろうが、晴香が止めた。
「もし何かあったのなら下手に動かない方がいいわ。加速が解けて再加速するのには幸枝先輩の声が必要だから、必ず掛けてくるはず。もう少し様子を見ましょう」
「そうよね、大ちゃん、早く掛けてきて……」
幸枝は祈るように目を閉じて携帯を握りしめた。
そして携帯が鳴った。
「私のじゃない」
幸枝はそう言って、鳴っている仁美の携帯に目を向けた。
仁美は携帯を手に取って画面に目を向けたまま険しい顔をした。
影山からだった。そしてそのまま電話に出る。
「もしもし」
「やあ、黒川さん。久しぶりだね」
「何の用? もうあなたとは連絡を取り合わない筈よ」
「つれないな。俺も別に君に用がある訳じゃないけど、ちょっとした報告があってさ」
「何? 今あなたにかまってる時間は無いんだけど」
「丸井大志」
そのひと言で仁美は息をのんだ。
「俺は言っただろ。後悔するぞって」
電話の向こうの声はかすかに嘲笑を含んでいる様だった。
「おまえがあいつの引金を報告してればこんな事にならなかった」
「丸井君に何をしたの!」
大声で叫んだ仁美に、幸枝と晴香が心配そうな目を向ける。
仁美は通話をスピーカーに切り替えた。
影山の声が幸枝たちにも聞こえてくる。
「あいつの加速能力を押さえるために引き金を知りたかったんだが、引き金の正体が分からない以上、あいつ自身を何とかする事にしたよ」
「あんた、気でも狂ってんの? 早く先輩を返して!」
「その声は戸成晴香か。お前にも原因はあるんだぜ。あの時あいつを見限って俺のものになっておけばこうはならなかった」
「なに人のせいにしてんのよ!」
「待って!」
怒りに震える晴香を幸枝は止めた。
「引き金の正体を知ればあなたの気は済むんでしょ」
「ん? 聞き慣れない声だな。また新しい仲間か」
「どうなの? こたえて!」
「今更だな。あいつは今、俺の自由にできる状態だ。この機会を逃す手は無い。あまり残酷な事はしたくないが、脅威は早めに取り除きたいんでね」
「何をする気なの」
ゾッとするような冷たい口調に、幸枝の声は少し震えていた。
「さあ、それはこれから考えるさ。手と足の腱を切って動けなくしてもいいし、目と耳を潰してもいい。加速したとしても脅威で無くなればそれでいいのさ」
「狂ってる……」
狂気に満ちた影山の話を聞きつつ、歩実は仁美の耳元で囁いた。
「今から施設に乗り込む。もし捕まっていたとしても、それほど時間が経っていない今ならあの中のどこかにいる筈だ」
「分かったわ。気をつけて」
「ああ、行ってくる」
仁美は出来るだけ多くの情報を得ようと、嫌悪感を滲ませながらも影山に質問した。
「教団に自分が計画した情報を売ったのね」
「ああ、もともと俺が考えた事だからな。あいつはまんまと罠に嵌ってくれたよ」
「一体どうやったの?」
「あらかじめ保管庫を睡眠導入剤のガスでいっぱいにしておいた。加速しているあいつには効きにくいが、息を吸うのは普通の人間と同じだからな。眠ってしまえば自然と加速は解けるって寸法さ」
「密室に近い部屋におびき寄せて罠を掛けたって訳ね」
「そう言う事だ。お前たちは思考を加速できる俺には絶対敵わない。俺は君たちの行動パターンとそこから枝分かれするであろう可能性を考慮して先回りできる。君の弟が施設に進入しようとしてるのも織り込み済みだよ」
「なんて、卑劣な……」
仁美は美しい顔を歪めて奥歯を噛みしめた。
「あいつは中途半端な能力者だが、かなり危険な存在だ。丸井と同じようにこの機会に料理することにしたんだ」
「やめて。弟に手を出さないで!」
「もう遅いよ。手を下すのは俺じゃない。教団施設内に武装した組織の連中を配置してある。衝撃波を出せるあいつも弾丸を避けることは出来ないだろ。それを出来るのは丸井だけだ」
「あなたって人は……」
「さあそろそろ君達とはさよならだ。幸運を祈ってるよ」
「待ちなさいよ!」
晴香が叫んだときには通話は切れていた。
「丸井君も、歩実も、どうしよう……」
仁美は動揺で肩を震わせながら携帯を握りしめている。
「駄目、大ちゃんに通じないわ」
幸枝は大志にコールしてみたが何も返事はなかった。
肩を落とす仁美と幸枝の手を晴香は握った。
「あいつは頭の中で色々計算できるやつだけど、所詮は机上の空論ってやつよ。今までさんざんこの足で動き回って道を切り拓いてきた私たちの突破力を舐めんじゃないわよ!」
「そ、そうよね。晴香ちゃんの言うとおりだわ」
「うん。で、戸成さん、どうしたらいいと思う?」
「出たとこ勝負ってやつよ!」
不安を払拭すべく早速走りだした晴香に一縷の希望を賭けて、二人はついて行くのだった。




