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加速する世界ふたたび  作者: ひなたひより
33/58

第33話 合宿の終わり

 朝の目覚めはいい匂いとともにやって来た。

 昨日の残りのカレーの匂い。

 朝食の匂いで目を覚ましたという事は……。

 大志が布団から体を起こすと、同じ部屋で寝ていた筈の瀬尾はもういなかった。

 戸を開けると、そこでもう自分以外の者は朝ご飯を並べている途中だった。


「ごめん。寝過ごした」

「ああ、大ちゃんおはよう。いいよ。昨日は大変だったもんね」


 幸枝はテーブルに食器を並べながら大志に笑顔を向けた。

 何となく朝起きてすぐ幸枝の顔を見れるというのがこういう感じなんだなと、おかしな想像をしてしまった。


「先輩、早く顔洗ってきなよ」

「ああ、うん。そうするよ」


 晴香に急かされて洗面所へ行く。冷たい山水で顔を洗うと、やっとはっきり目が覚めた気がした。

 昨日の疲れが相当残っていた大志を気遣って、皆で手分けして朝ご飯を用意してくれていた。ありがたい半面、何も手伝わなかったのを申し訳ないと感じていた。


 昨日の残りのカレーはやはり美味しかった。

 朝ご飯からカレーでも結構いけると、みんなで朝から盛り上がったのだった。

 そして食後のコーヒー。

 コーヒー豆と手動の豆挽を持ってきてくれた晴香に全員が感謝した。


「旨いな」

「でしょ。いっつも部室でインスタントコーヒーだし、こんなときぐらい美味しいやつ用意したんだ」


 晴香にしては気が利きすぎていた。

 大志はいい香りのするカップに口をつけて、自慢げな晴香の横顔を眺める。


「お母さんに持ってけって渡されたとか?」

「え? まあ、あんまし詮索しないでよ」


 どうやら図星だったみたいだ。まあどういう経緯であれ有難く頂いた。

 食後のコーヒーを頂いてから二日目の予定を大志は発表した。


「えー、片づけをしたらここを出ます。それからバスに乗って近くのキャンプ場の渓流で釣りをする予定です」


 釣りと聞いて仁美以外は盛り上がった。

 大志はやや不安気な仁美を気遣う。


「魚だけど黒川さんにはきつかったかな?」

「いえ、やったことないから少し自信ないだけ」

「先輩、私も釣りってやったことない」

「ほら戸成も初心者だよ。やってみたらきっと楽しいと思うよ」


 猛烈に不安気な仁美と、根拠もなく自信満々の晴香。同じ初心者でここまで極端な受け止め方をする二人に、大志はつい笑いだしてしまいそうになった。


 おばあちゃんの家を綺麗に片づけ、ちょっと名残惜し気に一晩お世話になった家にお礼を言ってから山を下りた。

 おじさんに鍵を返却してお礼を伝えた一行は、そこで人数分の手土産を頂いた。


「アスパラガスだ。売るほど有るから、持って帰れ」

「ありがとう。なんだか悪いね」


 大志に続いて皆でお礼を伝えると、おじさんはおおらかに笑った。


「ええんだよ。そんで大志、もう帰るのか?」

「いや、今から村営のキャンプ場で渓流釣りなんだ」

「ほうか。ほんじゃあ乗せてってやる。ちょっと待ってろ」

「乗せてってやるって……」


 そのあと、調子よく引き受けてくれた叔父の軽トラの荷台に乗って、五人はキャンプ場に移動したのだった。

 誰も口には出さなかったが、勿論交通違反なので、みんな内心ドキドキだった。


 そして渓流釣りが始まった。


「先輩、餌取られた」

「またか!」

「丸井君、私引いてるみたい」

「分かった。ちょっと待って」


 なんだか楽し気に二人で釣りをしている幸枝と瀬尾に、恨めしさを込めた目を向けつつ、大志は晴香と仁美の面倒をひたすら見らされていた。


「ごめんね丸井君、みんなやってもらって」

「いいのいいの。しかしすごい釣れてるね」


 こういうのは欲のない人の方が大体上手くいくものだ。

 仁美は大志が休む間もなく次から次に釣り上げていた。


「ちょっと楽しくなってきちゃった」


 餌を触れないし生きた魚も触れない仁美だったが、その辺りの事を代わってやってくれる大志のお陰で楽しそうだった。


「先輩こっちも」

「また持ってかれたのか」


 晴香もちょっとは釣り上げていたが、殆ど餌を持っていかれていて、その度に大志に餌を付けてくれと呼んでいた。


「戸成は餌、触れるだろ」

「触れないことも無いけどその幼虫、針をひっかけたら可哀そう」

「いやいや、そんな理由か? 俺の手を汚させて自分だけ楽しもうってか」

「それと魚ってどうしても生臭くなっちゃうのよね」

「仕方ないだろ。後で手を洗ったらいいだけだろ」


 不満げに餌を付けてやり竿を手渡す。


「丸井くーん。また釣れちゃったー」

「はーい、ただいま」


 ちょっとデレッとした大志の態度に晴香はムッとする。


「なによ、私と態度が違うじゃない」


 釣りを楽しみつつも腹を立てている晴香。

 全く餌にも魚にも触れないが、いいペースで釣り上げて楽し気な仁美。

 ちょっと仲良さげにはしゃぐ幸枝と瀬尾のカップル。

 そして晴香と仁美の間を往復し続ける大志。

 釣り上げた魚をバーベキュー場で焼いて大いに楽しみ、二日間の自炊合宿は幕を閉じた。



 帰りの電車。遊び疲れた全員がシートに深くもたれて眠っていた。

 フッと誰かがこちらを見ている気がして大志が目を開けると、何時からいたのか、隣の席に黒川仁美が座ってこちらを見ていた。


「あ、黒川さん……」


 その口を仁美の掌がそっと押さえた。


「丸井君、疲れたでしょ」


 囁くほどの小さな声だった。

 大志は仁美のあまりの近さに、ゴクリと生唾を呑み込む。


「硬くならないで。ちょっとお話したいだけなの」

「うん」


 息遣いや、使っているシャンプーの匂いまで伝わってくる距離に、大志は自分の心臓の鼓動が相手に聴こえていないかと心配していた。

 普通ならあり得ないような近い距離で、吸い込まれそうなほどの大きな目が大志を見つめていた。


「ちょ、ちょっと、近すぎない」

「うん、でも他の人に聞かれたくないんだ」


 シートは二人掛け。少し倒している状態だったのでみんなが今どのような状態なのか分からない。


 しかしさっきまで瀬尾が俺の横で寝てたはずなんだけど……。


 恐らく仁美の能力で瀬尾に移動してもらったのだろうと推察できた。


「丸井君、ありがとう。私とっても楽しかった」

「あ、いえ。その、良かったね。そう言ってくれると俺も嬉しいよ」

「昨日、お風呂場で言えなかったことがあって……」

「え? それならまたゆっくり部室で聞くよ」

「その……丸井君と二人じゃないとちょっと言いにくいことなの」

「え、そうなの?」


 大志は緊張しながら仁美の話を聞いている。


「私ね、何度も丸井君にアプローチしてたよね」

「ああ、あれね。いいんだよ。俺を術にかけようとして気を惹こうとしてたんだよね。気にしてないから黒川さんも気にしないで」


 仁美は大志の反応に少し困ったような顔をした。


「違うの。勘違いして欲しくないの。だって私は……」

「そうだよね。とんでもない勘違い野郎だよね。黒川さんみたいな綺麗な子が俺なんかと、いや、ほんとごめんね」

「丸井君、私は……」


 その時、前のシートからドスンと音がした。


「先輩のエッチ!」

「えっ!」


 大志と仁美は飛び上がって前の席を覗き込んだ。

 そこには晴香が幸枝の上に重なるように、ムニャムニャ言いながら眠っていた。

 それにしても、いったいどんな夢を見ているのだろうか。


「酷い寝ぞうだな……」

「今のは寝言みたいね……」


 晴香に胸の上にのしかかられた幸枝は苦し気に目を覚ました。


「なに? なんだか胸の辺りが苦しいと思ったら」


 迷惑そうに晴香をどかせてから、幸枝は大志と仁美に気付いた。


「あれ大ちゃん、仁美ちゃんも起きてたんだ。ん? 瀬尾君はどこいったんだ?」

「ああ、それなら……」


 そして瀬尾は何故か隣の車両で寝ていた。

 幸枝も瀬尾自身もどうしてなのか首をひねっていたが、大志と仁美は知っていながらもそこは胡麻化しておいたのだった。

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