第32話 仁美の告白
大志は久しぶりのばあちゃんちの五右衛門風呂に浸かり、情緒ある心地よさに目を閉じていた。
灯油のランプが吊るされた風呂場。
皮の向けてしまった両手はひりひりと痛んだが、誰かの役に立てたという満足感から、大志は今日一番の安らぎを覚えていた。
加速世界で長い時間活動していた大志の体は疲労困憊だった。そのせいか知らない間に眠ってしまい、お湯の中に顔を突っ込んで危うく溺れそうになった。
「ゴホ、ゲホ!」
「なに! 大丈夫!」
むせかえった大志に外から声がした。
瀬尾の声じゃない。
明らかに女の子の声だった。
「大丈夫。えっと火を見てくれてるの誰?」
「私、仁美です」
「く、黒川さん!」
一枚板を隔てて仁美が火の番をしてくれているのに、大志は何となく恥ずかしくなった。
「熱くない? 瀬尾君に聞いてその通りにやってるんだけど」
「あ、大丈夫。ありがとう。え? でも瀬尾は」
大志は仁美がここにいる事もそうだが、瀬尾がどこかに行ってしまったことを不思議に思った。
「丸井君、ごめんね。ゆっくり湯船に浸かってる最中に。実は話がしたくって代わってもらったの」
「あ、そうなの……えっと、話って?」
大志が尋ねたものの、仁美から返事が無い。
「黒川さん?」
「ごめんなさい。少し気持ちを整理してたの」
仁美の声には躊躇いがにじみ出ていた。顔が見えない分、余計に気持ちの揺らぎに気が付きやすいのかも知れない。
「私ね……」
仁美の声がさっきよりも小さくなった。大志は出来るだけ壁に耳を近づけて声を拾おうとした。
「丸井君に謝りたいの……」
悩みながらやっとそこまで言えた様に、大志には感じられた。
「黒川さんが俺に謝る事なんかないと思うけど」
「あるの……私、丸井君に酷いことしようとしてた……」
「どういうこと?」
「聞いてくれる?」
「うん。もちろん」
大志は少しぬるくなってきた風呂に浸かりながら仁美の話を聞く。
「丸井君が特別だって、私知ってるんだ」
ようやく聞くことができたその言葉に、大志の口から安堵の吐息が漏れ出た。
そして大志は薄い壁の向こうに向かって、こう言った。
「君もだよね。黒川さん」
その一言に仁美はきっと驚いたのだろう。向こう側からの声はしばらく聞こえてこず、パチパチという炎の音しか聞こえなくなった。
「知ってたんだ……」
「うん。黙っててごめんね」
「いつからなの?」
「君と食堂でお昼ご飯を食べた後。俺の様子がおかしいって戸成が調べ始めたんだ」
「あの子本当に凄い子だわ」
「うん。それは否定しないよ」
尊敬に値するトラブルメーカーといった意味合いを含ませて、大志はそう応えた。
「どこまで知ってるの?」
「戸成と影山の所に行ってきたよ」
「そうなの? じゃあみんな聞いたの?」
「いや、その……ちょっと喧嘩しちゃって、話もろくに聞けずに帰ってきちゃって……」
「そう、戸成さんってちょっと気が短そうだもんね」
見たまんまの印象でそう捉えたのだろう。そこは一応訂正しておいた。
「いや、恥ずかしながら怒っちゃったのは俺なんだ」
「そうなの?」
「うん」
壁の向こうの声の感じで、少し仁美が打ち解けてきたことが分かった。
「だからお互いに話をしようよ。君と俺とはずっと昔からの幼馴染なんだし」
「うん。そうだね。丸井君の言うとおりだよ」
明るい声が帰ってきて、大志の顔がほころぶ。
「黒川さん」
「うん」
「ちょっと薪を足してくれない? ぬるくなってきちゃった」
「あ、ごめんなさい。今からすぐやるね」
そしてしばらくして、お風呂がいい感じで熱くなってきた。
「丸井君のこと私、誤解してた」
「え? どういう意味?」
「もう一人の加速能力者を倒したって影山君から聞いていたから、どんな恐ろしい人かって思ってた」
壁の向こうで仁美がクスリと笑った気がした。
「そしたらすごい内気で大人しい人で、ちょっと可愛い人だった」
もちろん仁美からは見えないが、大志は赤くなっていた。
「あなたの能力を理由があって使わせて欲しかったんだけど、上手くいかなかった。私は特定の相手をコントロールできるの。でもどういう訳かあなたは私に付いて来てくれなくって、ちょっと頭に来てたんだよ」
「ごめん」
壁の向こうで仁美はくすくす笑った。
「頭に来たのは冗談。でもそれで良かった。あなたの力は今日みたいな時のために有るんだって分かったんだ。あなたみたいな人が最も力のある能力を持っていて良かった……」
そして壁の向こうの少女は、誇らしげにこう言った。
「丸井君は本物のヒーローだよ」
大志は赤面しつつ、仁美が今どんな顔をしているのか知りたかった。
「さっきおじさんから電話があったの。戸成さんが勝手に丸井君の電話に出ちゃってあのおじいさんがどうなったか教えてもらってた」
「それで、どうだったの?」
「無事だって。発見が早かったから間に合ったって。それと火事もお風呂の小屋が焼けちゃっただけで母屋は大丈夫だったって」
「そうか。良かったー」
大志は大きく息を吐いて湯船に顔を浸けた。
「黒川さん」
「うん。なあに」
「話してくれてありがとう」
「私こそありがとう。ずっと待っててくれたんだよね」
「へへへ。ね、この話の続きは帰ってからにしようよ。黒川さんにはこの二日間、思い切り楽しんで欲しいんだ」
「うん。分かった。丸井君もね」
「そうだね。実は明日もまたちょっとイベント考えてるんだ」
「えっ。まだあるの?」
「へへへ。そうなんだ。でも黒川さんはちょっと苦手かも……」
「え? ひょっとして……」
「それはまた明日みんなの前で話すね。ふう。そろそろ上がろうかな」
「あ、じゃあ私、みんなの所に戻ってるね」
大志はすっかり明るくなった仁美の声を聴けて満足だった。
「黒川さんありがとう。いいお湯だったよ」
「良かった」
そして仁美の気配が無くなった後、大志は風呂から上がって最後に冷たい山水で顔を洗った。
体の疲れと安堵感からか大志は猛烈な眠気に襲われた。
服を着てから風呂場を出て、火照った体を夜風に晒すと気持ち良かった。
「いい一日だったな……」
その夜は女子三人は遅くまでなんだか盛り上がっていたみたいだったが、大志は朝まで泥の様に眠ったのだった。




