第31話 ヒーローの夜
大志は加速世界に入ってから、すぐに先にある一軒家を目指した。
途中叔父が話していた道路を塞ぐように倒れている樹木を迂回して、その先を目指す。
真っ暗な道だったが、携帯のライトが使えたのは助かった。
大志の加速よりも光の速さが勝っているのは間違いない。
足元を照らしながら、焦らずに少し小高い家の敷地まで辿り着いた。
大志は一目見て何が起こっているのかを理解した。
坂本のおじいちゃんの家は大志のおばあちゃんの家と同じく、風呂場が母屋と別になっており、火を焚いて風呂を沸かす五右衛門風呂だった。
その風呂場の小屋から火の手が上がっていた。
そして火の番をしていたのであろう、少し離れた所でおじいちゃんが倒れていた。
一度心臓を患って倒れたことがあるのだと叔父が言っていたので、きっとまたそうなったのだろう。
加速している大志の力で燃え上がっている小屋の炎をどうにかできないかと考えてみたが、いい案が浮かばず、取り敢えずおじいちゃんを担いで安全なところまで運ぶ事に決めた。
大志はおじいちゃんを軽々と抱えあげて、そのまま燃えている小屋を後にする。
もと来た道を辿り、大志は幸枝と晴香のところまで戻って来た。
そして加速が解ける。
「わっ! びっくりした」
突然ぐったりとしたおじいちゃんを抱えて現れた大志に、晴香が飛び上がって驚いた。
「戸成。救急車を呼んでくれ!」
「分かった」
晴香はすぐに電話した。
「おじいちゃん大丈夫なの?」
幸枝がぐったりした老人を心配そうにのぞき込む。
「分からない。ここからは救急車を待って処置してもらうしかない」
遠くにサイレンの音が聴こえてきた。
恐らく消防車が火事の通報を受けて、駆け付けようとしているのだろう。
「まずいな」
大志はさっき通りすがら確認した倒木の事を気にしていた。
「どうしたの?」
幸枝が悩み始めた大志を気に掛ける。
「倒木が道を塞いでいるんだ。恐らく消防車が来ても簡単には先に進めそうにない」
「どうしたらいいんだろう」
晴香は救急車を手配した後、悩んでいる二人に声を掛けた。
「救急車はすぐに来れそうだって。話を聞いたけど倒木って大きいの?」
「ああ、人手と時間が要りそうだった」
晴香はそれを聞いて、必死に何かを絞り出そうと頭をひねった。
「先輩が薪を割ってた斧で何とかできないかな」
「いや、冗談だろ。無理に決まってるだろ」
「私の話を最後まで聞いて。いい、教授の理論では加速している状態の人間は力は強くなる訳では無いけれど、加速力を有効に使う事でとんでもない事が出来るんだったわよね」
「まあ、そうだけど。ボールを遠くに飛ばすとかだろ」
「それよ。先輩は加速しているから手にしたものも加速させられる。多分倒木はある部分で折れてしまっているんだよね。その折れて弱くなっている部分を今日薪を割っていたあの斧に加速力を乗せて根気よく振り下ろせば何とかなるんじゃないかな」
「切り離した後はどうするんだ?」
「先輩の加速は重力の働きよりも速いのよ。軽々と人間を抱えられる先輩なら切り離した後の倒木も何とかできるかも知れないよ」
「お前は勢いで話を進めるな。でも今はその方法で行くしかないな」
大志は薪を割っていた斧を手に取って立ち上がった。
「ゆきちゃん、戸成、おじいちゃんを頼む。俺は消防車が来る前に倒木を何とかしてくるよ」
幸枝は心配そうに大志を見上げる。
「大ちゃん、無理しないでね」
「ああ、出来るだけやってみる」
「先輩こっちは任せて」
「ああ。頼んだ。ゆきちゃん、もう一度頼む」
心配そうな幸枝の前に立つ大志は、先ほど火を入れた風呂窯の揺らめく炎に照らされていた。
その姿にいつもの気弱な感じは微塵も無く、これから成し遂げようとしている事への強い覚悟が感じられた。
そして幸枝は再び引き金を引いた。
「加速して!」
大志は一瞬で二人の前から姿を消したのだった。
大志は道を塞ぐ倒木を前に、大きく息を吸い込んでからフーと吐き出した。
「さて、やってみるか」
大志は晴香の言った事をイメージしながら斧を振り上げた。
力は本来持っているものと変わらないのならば、加速力が有効に働くよう振り下ろす軌道を意識するだけでいい筈だ。
そして大志は斧を振り下ろす。
硬いと思っていた樹木に意外と深く刃先が食い込んだ。
いける!
大志は手ごたえを感じてまた斧を振り上げた。
現実世界では一瞬の事でも、加速世界にいる大志には長い苦行だった。
振り下ろす斧の重さはそれほどでは無かったが、飛んでいかない様に握りしめていた両手の握力が無くなりつつあった。
手の皮が破れて血が出ている。
大志は痛みをこらえて斧を根気よく振り下ろした。
「やった!」
振り下ろした斧の感触が変わった。
大志はあれほど太い幹をこんなただの斧で切断した事に、自分でも驚いていた。
「よし、後はどけるだけだな」
大志は教授の理論を意識しながら倒木を押してみた。
力では無く体をぶつけに行く感じで押してみる。
「動いた!」
大志は思わず叫んだ。
誰も大志の声を聴く事の無い加速世界の中で、大志は独り言を呟きながら倒木に何度も何度も体をぶつけて、少しずつ移動させた。
そして大志はやり切った。
狭い道路から倒木が排除され、消防車が入って来れるスペースを確保できたのだった。
「はー、疲れたー」
その瞬間キーンという音が止み、大志の加速は解けてしまった。
「あ、そうか」
倒木をどかして道を開けるという目標をやり切った大志の加速は、ここで解ける筈だったのだ。
大志はため息を一つついて暗い坂道を戻り始めたのだった。
おばあちゃんの家に戻る途中、消防車がサイレンを響かせながら大志とすれ違う様に暗い坂を上って行った。
そして大志が戻った時に、救急車が止まっているのが見えた。
もうおじいちゃんを乗せたみたいで、そのまま救急車は大志とすれ違いに坂を下って行った。
全員が外に出て救急車を見送った後、幸枝が戻って来た大志に気が付いた。
「大ちゃん!」
「先輩!」
みんな汗だくの大志に駆け寄ってきた。
「丸井、お前すごいな。あのお爺ちゃんを負ぶって降りて来たって聞いたよ」
大志の能力を知らない瀬尾だけが感心して大志を労った。
幸枝や晴香と同じく、仁美は大志が加速能力を使ってこの事件を解決した事を分かっている筈だった。
「丸井君、大変だったみたいだね」
仁美は汗だくの大志の額をハンカチで拭いてやる。
「あ、ハンカチ汚れちゃうよ」
「いいの。そんなこと気にしないで」
仁美の様子を察するに、やはり大志がどれだけの大変なことを成し遂げて来たのかを理解しているみたいだった。
「先輩お疲れ様」
晴香は大志の持っていた斧を手に取る。
持ち手に血がついている事に気付いて、晴香の表情が変わった。
「先輩ちょっとこっちに来てよ。私お風呂の準備してるんだけど分からない事があって」
「あ、いいよ。俺やるから」
大志はそう言って晴香に付いて行く。
「幸枝先輩ちょっと」
晴香は幸枝の耳元で囁いた。
「なんだ、風呂はちゃんと焚いてやるから心配するな」
大志は晴香に腕を引かれて、風呂窯の前に連れてこられた。
窯にくべられた薪の炎で、丁度ここだけは少し明るい。
「先輩、手を見せて」
「ああ、これか……」
「痛そう……」
幸枝が大志のめくれた手の皮を見て口を押さえた。
「先輩頑張ったんだね。今手当てしてあげる」
晴香は持ってきたリュックから色々出してきた。
「まずはそこの水で手を洗って来て」
晴香はなかなか準備が良かった。色々抜けている所も有るが、結構頼りになる奴だとあらためて思った。
そして晴香は手際よく軟膏を塗ってから、大きめの絆創膏を張ってくれたのだった。
「これでよしっと」
晴香は手当てし終わってからニコリと笑った。
「怪我してる先輩にお風呂を焚かせるわけにはいかないわ。ね、幸枝先輩」
「え、うん。そうだよ。大ちゃんは休んでて」
「自分たちのお風呂は自分たちで回すから先輩は少し休んでてよ。コツだけ教えてくれたら私達だって出来ると思う」
大志は優しい気遣いを見せた晴香にちょっと感謝した。
「悪いな。ホントは俺が皆の風呂を入れてやりたかったんだけど」
「十分大ちゃんはやってくれたよ。私たちの事を考えてくれて、おじいちゃんを助けて、消防車を通れるようにしてくれた……」
幸枝は炎に照らし出された大志の顔を真っすぐに見つめて、こう言った。
「大ちゃんは本物のヒーローだよ」
幸枝は誇らしげに大志の手を取る。
「でも怪我はして欲しくなかったな……」
ほんのつかの間、瀬尾には悪いと思いながら、大志はその心地良さに安らぎを覚えていた。




