第30話 カレーの味は
山間部から見える赤く染まった空が深い紫色に変わり、幾つかの明るい星が頭上に瞬きだした。
そこまで来ている夜のとばりを感じて、皆いい匂いのする家の中に戻って行った。
そしてぐつぐつと煮込まれたカレーの鍋を覗き込む。
最後に鍋当番をしていた晴香に大志は訊いてみた。
「味見しただろ?」
「私が? してない、してない」
「口元に黄色いものがついてるぞ」
「しまった!」
晴香は慌てて拭き取ろうとする。
「冗談だよ。でもやっぱりな。思ったとおりだった」
「誘導したわね」
ふくれっ面で赤くなった晴香だったが、結果的に出来上がったカレーは確かについ味見したくなるほどの出来だった。
大志が器用に土鍋で炊いたご飯も出来上がり、皆が期待を込めて盛りつけたカレーは、忘れられない味となった。
「ふー」
食卓を囲んで、食べ終わった皆が満足げに足を伸ばす中、瀬尾が土鍋を指さして尋ねた。
「丸井は色々知ってるんだな。土鍋でご飯を炊くのなんて、どこで覚えたんだ?」
「ここでだよ。小さい時から遊びに来る度ばあちゃんが色々教えてくれた。手伝いがてらだったけど意外と楽しくって勝手に覚えたんだ」
「へえ、上手く炊くもんだ。丸井を見直したよ」
瀬尾が言ってくれたおかげで、ちょっと尊敬のまなざしで見てもらえた大志だった。
好評のカレーは流石にいっぱい作ったので、まだまだ余っていたが皆満足するほどしっかり食べた。
それからしばらく、皆お腹が苦しいのか、畳の上で横になって寛いでいた。
「後は風呂を焚かないと……」
瀬尾は大志とまた火をおこして風呂を焚くという仕事が残っている事に少し面倒くさそうだった。
「まあ、もう少ししたら風呂を焚きに行こう。みんな楽しみにしてるし頑張ろうぜ」
「瀬尾君ごめんね。男子にお風呂のこと任せちゃって」
幸枝にそう言われて瀬尾は元気を取り戻した。
「いや、全然いいんだ。俺頑張るからゆっくり入ってね」
「じゃあゆきちゃんが入るときは瀬尾が火の番をして黒川さんと戸成が入るときは俺が火の番をしようかな」
「俺と丸井が入るときはどうするんだ?」
「ああ、瀬尾は俺が見とくから俺の時は瀬尾が見てくれよ」
「そういうことか。分かった」
そしてまだちょっと苦しそうだったが、大志は体を起こした。
「ちょっと用意してくる。みんなはまだしばらく寛いでていいからね」
大志はそう言って外に出て行った。
すると、寝そべっていた晴香が体を起こして、そのまま土間に出て靴を履いた。
「どこ行くの?」
幸枝が訊いた。
「えっと、もう真っ暗だから誰か手元を明るくしとかないと駄目かなって思って……携帯のライトでちょっと先輩の手元、照らしてくる」
そう言って晴香はそそくさと出て行った。
「うわっ、真っ暗だ」
暗すぎる家の周りに不気味さを感じながら、晴香は大志の向かった別棟の風呂場に向かった。
大志は携帯のライトで手元を照らしながら、火をおこす準備をしていた。
「せーんぱい」
晴香はまたふざけて、携帯のライトを顔の下から照らしながら現れた。
「あのなあ、それ、分かってても結構怖いんだ。で、何しに来たの?」
「先輩の手元を照らしてあげようと思って来たのに、ずい分な言い方ね」
「あ、そうなの? じゃあお願いしようかな」
晴香に手元を照らしてもらって薪のセッティングを終えた後、火をつけた。
「これで良し。お湯が沸くまでまあまあ掛かるけど、後は待つだけなんだ」
「先輩ここでずっと見ててくれるの?」
「ああ。一応な。戸成は中に入ってゆっくりしときなよ」
「そうしてもいいんだけど、先輩が寂しそうだからここにいてあげてもいいよ……」
その時、真っ暗な茂みからガサガサと言う音が聞こえてきた。
「ひっ!」
晴香は草むらの音に飛び上がった。
「せ、先輩。何かいる!」
ライトを向けると黄色く光る二つ目がこちらを見ていた。
「きゃー!」
驚嘆した晴香は、すぐさま大志にしがみ付いた。
夢中でしがみ付いてきた晴香に、大志がくすくす笑い出した。
「狸だよ。ほら」
「え?」
よく見てみると、ちょっと可愛い顔をした狸だった。
「なんだ、狸か……」
晴香は胸を撫で下ろしたが、その後に自分が大志に抱きついている事に気付いた。
思わずこうなってしまったとはいえ、晴香の胸は高鳴ってしまっていた。
「あ、あの……もう大丈夫だよ」
暗闇の中でそう言った大志の声は少し硬かった。
ぴったりとくっついたままの大志にそう言われ、晴香は慌てて身を離した。
「ちょっと怖かったらつい……ごめんなさい」
「いや、いいんだ……」
暗闇の中、お互いの表情は分からなかったが、どちらの声も緊張していた。
そして二人は、そのまましばらく黙り込む。
「ねえ、先輩……」
晴香が何かを言いかけた時、大志は口を開いた。
「戸成、あれってどうなってるんだ」
「え? あれって」
大志が見上げる方向の空がオレンジ色になっている。
「あっちは坂本のじいちゃんちだ。ひょっとすると火事かもしれない」
「まさか」
「戸成、ゆきちゃんを呼んできてくれないか。もしかすると大変なことになってるかも知れない」
「分かった。待ってて」
晴香はすぐに幸枝を連れて戻って来た。
「大ちゃん。どうなってるの?」
「分からない。でも確認しに行ってくる」
その時遠くにサイレンの音が聞こえてきた。
「消防車だ。きっと火事に違いない。早く行かないと」
「分かった。気をつけてね」
「うん。ゆきちゃん。頼むよ」
そして幸枝は大志の引き金を引いた。
「加速して!」
そして幸枝と晴香の見守る前で、大志は加速世界に足を踏み入れたのだった。
 




