第29話 薪割りの極意
昔話に出てきそうな家の中はそれほど広くはなかったが、丁度食事をする部屋の他に二つ部屋が有ったので、男女に分かれて寝るのに都合が良かった。
大志以外が驚いたのは建屋に入ってすぐ土間というものが在った事だった。
それは引き戸で仕切られてはいたが、外の延長みたいな感じでそこに竈が有り炊事が出来る様になっていた。
「ここで料理するわけだね」
晴香は目を輝かせて物珍しい昔の炊事場の写真を撮っていた。
「さっきの山から引いた水がそこの蛇口をひねったら出てくるよ」
大志が説明すると早速晴香は蛇口をひねってみた。
勢いはそれほどでもないが、ちゃんと水は出て来た。
「冷たくって気持ちいい。ねえ先輩、飲んでも大丈夫なんだよね」
「ああ。この辺の家はみんなこの水を飲んでるよ。一度山にしみて湧き出してる水だから、俺たちが普段飲んでる水なんかより美味しい筈だよ」
「じゃあ遠慮なく」
晴香は早速ゴクゴクいきだした。
「うんまい。先輩の言ったとおりだ。ねえじゃあこの辺りは水道代は無料ってこと?」
「そういうこと。使おうが使うまいが、年から年中水は流れてくるんだ。畑の水もこれを使ってるよ」
「じゃあ野菜もきっとおいしいわね。何だか期待しちゃうな」
籠に盛った新鮮な野菜にみんなが期待の目を向ける。
そして冷たい水を張った桶に野菜を浸して、期待感をみなぎらせつつ待ったのだった。
カレーとは本当に行き届いた食べ物だなと大志はつくづく考えさせられていた。
一、カレールーを使うからまず失敗がない。
二、野菜を適当に切って大きな鍋に入れて煮込むだけで美味しくできてしまう。
三、一度にいっぱいできるので大人数でやるときは大助かりだ。
四、余っても温め直せばまた美味しく食べられる。
五、そしてなんといっても作っている過程から何だか楽しい。
大志は適度の緊張の中、隣でジャガイモの皮をむく仁美を意識しつつ、人参の皮をむいていた。
「黒川さん手慣れてる感じだね」
「そう? 丸井君だって上手だと思うけど」
ピーラーでどんどんジャガイモの皮をむいていく仁美はちゃんと丁寧に芽の部分の処理もしていた。
それとは対照的に、大志を挟むように仁美と台所に向かっていた晴香は悪戦苦闘していた。
「ねえ先輩、玉ねぎってどうやって段取りするの?」
大志は玉ねぎ担当を晴香がくじで引き当てた時から、多分手伝わされるだろうと予想していた。
「おまえ普段料理しないのか?」
「何よ? 悪い?」
何だか噛みついてきた。
「一個貸してみろ」
大志は晴香の玉ねぎを手に取って一緒にやってみろと手本を見せる。
「まずヘタを取る」
「ふんふん」
「そして半分に切る」
「え? ここで切っちゃうの?」
先に晴香は皮を剥こうとしていた手を止めた。
「まあ先に半分にした方が皮を剝きやすいんだよ。そんでその後に芯を切り取る。こんなふうに三角にするんだ」
「あ、そうか。半分にしてるからやり易いんだね」
「そうゆうこと」
大志は慣れない手つきの晴香の作業を待ってやる。
「そんで、あとは簡単だよ。煮物とかはこんな感じで繊維に沿って切ればいいんだ。そうだな、女子が多いから大きすぎない方がいいか。六等分ぐらいでいいかな」
「六等分ね。中心に向かって繊維に沿って切る訳ね」
晴香は教えられた通り玉ねぎを切り終えた。
「出来た。先輩なんでそんなの知ってるの?」
「俺は時々母さんの手伝いをしてるからな。戸成は手伝いしてないのがバレちゃったな」
「私は色々忙しいの。本気出したら料理だって凄いんだから」
「はいはい」
大志は晴香の負け犬の遠吠えをサラリと聞き流して、仁美の進み具合を見る。
「黒川さんはもうすぐ終わりそうだね。終わったら戸成のを手伝ってやってよ。俺、ちょっと竈の方準備してくるからさ」
「うん。分かった」
大志は奮闘する晴香にも声を掛けようとした。
すると晴香は玉ねぎに包丁を入れながら目を真っ赤にして泣いていた。
「先輩、涙が止まらなくなってきたんだけど……」
涙もそうだが鼻水も凄いことになっている。ちゃんと前が見えているのか?
「あらら、すごい事になってるな。あ、それ違うだろ繊維に沿って切れって言っただろ」
「もう前が見えなくなってきて何が何だか……」
それでも包丁を玉ねぎに突き立てようとする晴香に、大志はちょっと怖くなった。
「戸成、それ俺がやるよ。黒川さん、悪いんだけど戸成を見てやってくれない?」
「うん。戸成さん、私で良ければ一緒に準備しない? その前に目を水で流しましょう」
流石に玉ねぎのせいで目が痛すぎたのか、晴香は仁美に連れられて大人しく目をすすぎに行った。
「やれやれ……」
一人残された大志はため息を一つついたが、その緩んだ表情は可笑しさをこらえているみたいだった。
大志と瀬尾は竈に火を入れるための薪を割るところから始めた。
「やったこと有るのか?」
瀬尾は大志に素朴な質問を投げかけた。
「いいや。テレビでは何度も見た。結構簡単だった」
大志は薪を木の台の上に載せて、じゃあやってみると意気込みを見せた。
「まずはこうして、ちょっとだけ斧を薪に食い込ませるんだ」
軽くトントンと叩いて薪の先端に斧の刃を食い込ませる。
「そんでこうだ!」
カーン!
軽い音を立てて、全く割れる気配もないまま薪が飛んでいった。
「あれ?」
「なんだ? 全くダメみたいじゃないか」
首を傾げる大志に瀬尾が貸してみろと催促する。
「途中までは合ってると思うんだけどな……」
ずっしりとした斧を瀬尾に手渡しながら、大志は何が悪かったのかと考え込む。
「いいから見てろって。こんなの野球のボールを打つ事を考えたらちょろいもんさ」
瀬尾はさっきと同じ手順で薪に斧の刃を食い込ませると振りかぶった。
「そーれ!」
ガサガサ!
勢いよく振りかぶった時に、薪だけが草むらの方へ飛んでいった。
「何やってるんですか」
いつから見ていたのか女子3人がニヤニヤしながらやって来た。
「腰が入ってないからそうなるんですよ」
それはそれはやってみたそうに、晴香が斧を寄こせと手を出した。
「戸成さん大丈夫? これ結構重いよ」
「いいからやらせてください。まあ見ててくださいよ」
不安げな瀬尾をよそに、斧を手にした晴香はやる気をたぎらせている。どうやら成功映像しかその頭の中には浮かんでいなさそうだ。
「私、次にやりたい」
「じゃあ私も」
幸枝と仁美もいつの間にか薪割りのメンバーに加わった。
「そっちは終わったの?」
瀬尾が幸枝に尋ねた。
「うん。もう一息。ちょっと休憩」
大志はやる気みなぎる晴香に相当不安そうな顔をしながらも、途中まで段取りをしてやった。
「先輩方のダメなところは腰が引けてるところね。こうやって成功のイメージをして迷わず振り抜くんです。いきますよー」
晴香は嬉々とした表情で思い切り振りかぶった。
「そりゃー!」
スポッ!
音がしたのかと思ったぐらい、そこそこの重さの斧は晴香の手からすっぽ抜けて行った。
薪の刺さった斧は回転しながらそこそこ飛んでいき、背の高い草むらの中にガサガサ音を立てながら消えて行った。
「あちゃー」
「おまえなー」
流石に大志もたまりかねて険しい顔で口を尖らせる。
そして晴香はとびきりの笑顔で女子二人を振り返った。
「じゃあこっちは男子に任せて、私たちは野菜の続きをやりましょうか」
大志は胡麻化そうとする晴香にそうはさせるかと追い縋る。
「お前が放り投げたんだろ。一緒に斧を探せよ」
晴香はうっそうとした茂みを眺めて首を横に振った。
「ヘビ出そうだし、やだ」
そそくさと幸枝と仁美を引き連れて晴香は消えて行った。
「なんて奴だ……」
それから大志と瀬尾は、蛇に怯えながら斧を探し回ったのだった。
冷やしていた野菜が冷たくなったようなので、手を止めてみんな集まった。
庭先の水場で桶に入れて冷やしていた真っ赤なトマトが五つ浮いている。
「おお。やっとだな。これを待ってたんだ」
大志が手を伸ばすとみんな一斉に冷たい水を張った桶の中に手を伸ばした。
「いただきまーす」
「おいしー!」
トマトにかぶりついた晴香は、溢れる果汁で口の周りをベタベタにしながら満足げに声を上げた。
「ホント美味しい!」
幸枝も大きな口を開けてトマトにかぶりつく。
仁美は一口かぶりついて目を丸くした。
「仁美ちゃんも叫んだら? 美味しーって」
幸枝は果汁で汚れた口元も気にせずに仁美に笑いかけた。
「びっくりした……トマトじゃないみたい」
仁美はもう一口さっきよりも大きくかぶる。
「おいしい……」
二人に比べ控えめながらも、仁美の顔に明るい笑みが浮かぶ。
大志はそんな三人の喜ぶ顔を写真に収めて満足げだった。
瀬尾もトマトを頬張る。
「これは旨いな。いつものやつとは別の食べものみたいだ」
「でしょう。もう一個冷やしといたら良かったかしら」
そして幸枝と瀬尾は顔を見合わせて笑い合う。
きっとこの二人にとっても特別な思い出になる。
大志はそんな事を考えながら甘いトマトを頬張った。
 




