第24話 抑えきれないもの
影山冬真は自らの能力を明かして二人の反応を窺っている様に見えた。
大志は加速能力を持つ第三の能力者に内心驚くも、気になるそのタイプという事について尋ねた。
「俺には君みたいな絶対的な力はない。俺が加速できるのはここだけなんだ」
影山はそう言って右手の人差し指で自分の額を指さした。
「加速できるのは思考だけなんだ。その代わりその気になればいつでもどこでもいくらでも思考を加速させられる」
大志はとても脳に障害が有ったとは思えない影山の現在の姿に、一体何が起こったのかと考えさせられた。
「君の考えるのは尤もだよ。俺は実際中学二年まで何にもできない子だった。でも起こるべくして奇跡は起こったんだよ。丁度君が加速能力に目覚めたようにね」
大志の心を覗き見するかのように、影山の口から真相が語られる。
「俺の場合は中学の時、受験をしても行ける高校なんて無いと担任から言われた母が泣いているのを見てしまった時だった。今までもどかしいだけだった俺の思考はその時一気に加速した。止まった時間の中であらゆるものを吸収できたお陰で県内トップの高校に特待生で入学できた。それからは思考を加速させて色々な分野の知識を順番にマスターしていった。出来なくても、もともと勉強は好きな方だったからね」
話を聞いている大志には影山の心情が良く分かった。
強い劣等感を持って生きてきたのは自分も同じだった。
そして、のろまとそしられ続けた自分が、誰も追いつけない能力を手にしてしまった事も。
「そしてその中で自分の能力が何故どのようにして獲得できたのかを論理だてて検証し納得いくまで調べ上げた。その過程で自分と同じ特異な能力を持つ君達の事を知った訳だよ」
眼鏡の奥の眼が鋭さを増した。
ざわざわと頭上で揺れる樹々が、話し続ける少年に影を落とす。
「親しみを覚える反面、君達は俺にとって恐ろしい存在だ。その能力をなりふり構わず使う者もいたし制御できず暴走させるものもいた」
影山のその言葉は今は病院で意識不明のままの市川を彷彿とさせた。
「実際思考の中の世界で、もう気の遠くなるような時間を過ごしてきた。おかげで大概の事は頭の中で経験済みだよ。君の知りたい事、何故俺たちがこのような能力を身に着けてしまったのかも俺は知っている。当然黒川仁美が何をしようとしているのかも。君にそれを教えるかどうかは別の話だがね」
影山の話の中で、能力が偶然に身に着いたものでは無いという事を大志と晴香は知ったのだった。
「どうして俺たちは能力を獲得したんだ?」
「それはただでは教えられないな。黒川仁美も同じ事を訊いたよ」
影山はそこまで話して晴香の方をちらと見た。
「君ならそのうちにその謎も解明してしまいそうだな」
誉め言葉なのか、それともそうされる事を警戒しているのか、影山の無表情さの中からは何も読み取れなかった。
「そんな事より」
影山の口調に一瞬感情の揺らぎが見えた。
「丸井君、いや、もっとも古い幼馴染としてはその呼び方は遠慮しすぎかな。丸井、お前は市川をやったな」
「そこまで知っているのか」
「ああ、加速世界での事は記録には残らないが、そこに残された事実から推測するに、同じ加速能力者以外では加速している市川に対抗出来る訳がない事ぐらい分かるさ」
「仕方なかった。奴は俺を殺そうとしていた」
「分かってるよ。あいつは自分の能力を好きな様に使い、自分の欲望のままに周囲を混乱させていた」
影山は汚らわしいものを吐き出すようにそう言った。
「かえって危険な奴を始末してくれて助かったと思ってるんだ。あのまま放っておいたら、世間に危険な能力者が存在している事を知られていたかも知れない。そうなると俺たちにも火の粉が飛んできかねないだろ」
冷静で論理的で独特の冷ややかさが有る。大志にとって苦手なタイプだった。
「それに比べれば黒川仁美はまだましだな。双子のもう一人は少し心配だが」
「それはどういう意味なんだ?」
「そのうちに分かるよ。あの姉弟の事はさ」
「教える気は無いって事か?」
「そう言う事だ。さっきも言っただろ。何の得も無いって」
当然の様に口を閉ざした影山には、もう質問に答えたくないという雰囲気が感じられた。
「俺の話を聞きたければ、お前の情報も渡してもらおうか。対等な立場で交換しようじゃないか」
「じゃあ、こちらの何を知りたいんだ?」
「そうだな、加速世界に入る引き金を知りたいな」
影山は大志の尤も肝心な部分を押さえておきたい様だった。
「君の引き金を知った上でないと話は出来ないな。分かるだろ。君の能力は危険すぎる。君の引き金を知ったうえで能力を発動させないようにしておかないと、もし君が敵対してきたらどうしようもない」
「俺がじゃなくて、君が俺を敵対しているんじゃないのか」
「聴こえの悪い言い方をするんだな。俺はこれでも君に色々話してやった方だと思ってるんだぜ。こう見えて君とその相棒の彼女には敬意を払っているつもりだよ」
「そりゃどうも」
「特に戸成さん、君は興味深い」
「私が?」
急に矛先が自分に向いたので、晴香はどういうことなのかと戸惑いを見せた。
「君は能力者じゃない。そこいらにいるただの人間だ。しかしながら君の行動力のお陰で、この欠陥品の能力者が今のところ最低限だが実力を発揮できていると言っていい。そしてあの市川と対決し打ち勝っている」
ちょっとした褒め誉め言葉と取れるものの、晴香の顔には言いぐさが気に入らないと口には出さずとも表れていた。
「俺は君の行動力を買ってるんだよ。どうだろう、この欠陥品を見限って俺と組まないか? 俺なら君のパフォーマンスを最大限に有効活用できる」
突然の申し出にしばらく声が出なかったが、晴香はすっぱりと言い切った。
「お断りします」
その晴香の返答に、あまり感情を出さなかった影山のこめかみが、ピクリと動いた様な気がした。
「君は能力者に関心が有る。そして俺は能力者だ。俺の思考加速と君の並外れた行動力を併せれば大概の事が出来る。部室でくだらない研究をしなくても俺が解答を教えてあげるよ。加速してないそいつは、はっきり言って君の足手まといなんだろ」
「あんたに何が分かるっていうのよ!」
言いたい放題の少年に、とうとう我慢できなくなったのか、晴香は怒りを隠さず影山を睨みつけた。
「何でもさ。これからは俺が正解を示して君が動く。最も効率がいいやり方だろ。もし俺の申し出を受けるのなら君たちの知りたい事をみんな教えてやってもいい。どうだい悪い提案じゃないだろ。俺の物になる気はないかい」
影山の最後のひと言に、怒りを我慢できなかったのか、晴香はその場で拳を握りしめたまま立ち上がった。
そして晴香が罵詈雑言を浴びせようとした時だった。
「いい加減にしろ!」
立ち上がって、大きな声で吼えるように言い放ったのは大志だった。
その激しさに晴香も影山も言葉を無くす。
「戸成、帰るぞ」
大志はそのまま晴香の腕を掴むと、影山を置いて立ち去ろうとした。
「待てよ。俺は色々知ってるんだ。聞きたくないのか」
大志は晴香が見た事もない冷徹な目で影山を睨んだ。
「お前は何も分かってない」
やや声を震わせて言った大志に、必死に感情を爆発させない様に押さえているのが伺えた。
「邪魔したな」
そういい残すと、まだ何か言いたげな影山を残して、晴香の手を引いてその場を去った。
もうしばらく歩いたのに、まだ手を引いてすたすたと先を急ぐ大志に晴香が声をかける。
「先輩、ちょっと手痛い……」
強く握り過ぎていた事に、大志はやっと気付いて慌てて手を放した。
「ごめん。つい強く握り過ぎた」
大志は晴香の手が赤くなっているのを見て猛烈に謝った。
「あんなに怒った先輩、あの時以来だった」
「それもごめん。さっきはどうしようもなくて……」
大志は逆上しすぎて晴香を驚かせてしまった事を素直に謝った。
そして二人はバス停に向かって並んで歩き始める。
午後の明るい日差しが、覆いかぶさる様な新緑を通して注ぎ、二人の肩に美しい模様を落とす。
同じ道を引き返していても、大志の顔にここへ来た時の様な明るさは無くなっていた。
晴香は無言で坂を下る大志を、歩きながら心配そうに見上げる。
「先輩さっき言ったよね」
大志は晴香の言葉をぼんやりと聞いている。
「あいつに何も分かってないって」
「うん……」
晴香はほんの少し大志に近づく。
「先輩の言ったとおり何も分かってなかったね」
そして晴香は大志を見上げて、良く通る声で言ったのだった。
「私達が離れる事なんて絶対ないんだから」
スーッと涼しい風が二人の頭上の葉を揺らす。
ザザ、ザワザワ、ザザザ……。
晴香の見上げる大志の横顔に、自然と笑みが浮かんでくる。
「戸成の言うとおりだよ」
二人の頭上でまた新緑の樹々が風に揺られてざわめく。
深い緑の匂いが二人の胸を満たすと、どちらからともなく、いつもの調子で談笑し始めたのだった。
 




