第21話 しまってあったもの
大志と晴香は岸田先生の自宅から少し離れた場所に自転車を止めた後、街路樹の陰になっている場所でじっと待っていた。
「本当にこんな時間に犬の散歩なんてするのか?」
「前に言ってたの。愛犬のプードルを散歩するのが日課だって。いっつもこのぐらいの時間に散歩してるんだって」
「もうすぐ11時だけどもう終わってないか?」
「来ると思えば来る」
晴香はあくびをしながらも強気だった。
そう言って待っているうちに本当に散歩から帰ってきた。
「やった。当たりだった」
晴香は先生の顔を見た途端、飛び出していった。
「え? 行っちゃうの?」
大志は晴香を追いかける。
「先輩、すぐに幸枝先輩と連絡を取って。そんで私が先生の気を引いてる間に加速して先生から自宅の鍵を奪うのよ。後は家に侵入して職員室の鍵を探し出して」
「それはもう犯罪だよな」
「つべこべ言わない。ここまで来たら覚悟を決めなさい。いくわよ」
晴香は犬の散歩を終えて自宅に入ろうとしている岸田を呼び止めた。
「あー、岸田先生じゃありませんか」
岸田はびっくりして振り返った。
「なんだ、戸成じゃないか、こんな遅くに何やってんだ」
岸田は後ろから付いてきた大志に目を向けて、ほおと呟いた。
「丸井も一緒か、いや、意外な組み合わせだな」
「こんばんは。岸田先生」
大志はきっちりと挨拶をした。
岸田は恐らく勘違いをしているのであろう。うっすらと笑みを浮かべて二人を諭す。
「まあお前らぐらいの年頃は気が付いたらこんな時間になってるもんだ。見なかった事にしといてやるから、ちゃんと彼女を送って行ってやるんだぞ」
「それは、はい。分かってます」
晴香は岸田の注意を自分に惹きつけようと話し出す。
「わー、可愛い。先生が言ってたとおりだ」
そして犬を滅茶苦茶撫でまわす。
「だろ。近所でも可愛いって有名なんだよ。ははは」
岸田が犬自慢で盛り上がり始めた時、大志は手にしていた携帯画面で幸枝が携帯に出たことを確認した。
岸田が晴香に気を取られていることを確認して、大志は計画を実行した。
「ゆきちゃん頼む」
「加速して!」
ゴトリと頭の中で音がした。
マネキンの様になった岸田の手から自宅の鍵を拝借して家の中に入ると、お邪魔しますと丁寧に靴を並べてから岸田の普段持ち歩いている鞄を探した。
書斎らしき部屋のカーペットの上に無造作に置かれた鞄の中から、あっさり鍵の束を見つけて、恐らくこれに違いないと大志はそのまま持ち出した。
マネキンの様に静止した晴香と岸田の前を通って、大志は学校までまた自転車に乗って移動し、さっきと同じ手順で侵入した後、あっさりと職員室の鍵を開け目的のロッカーに辿り着いた。
岸田の机の引き出しには晴香の言ってたとおり、ロッカーの鍵が入っていた。
しかし結局、この鍵束の中に引き出しの鍵も有りそうだったので、晴香が壊した引き出しの鍵はただ壊しただけで、意味をなさなかった事を大志は知った。
ロッカーの鍵を開けると資料が並んでいた。
綺麗に五十音順に整理された資料から、目的の物を探し出すのは容易だった。
大志はそこに記載されている内容を、非常灯の薄暗いあかりの下でせっせと手書きで写しとった。
家族構成は母親と二人暮らしか……双子の弟は父親の方だと言う事か。
詳しい事は後で考えようと、今は加速が途切れない様に集中することにした。
そして何もかも予定通りに終えた後、再び晴香達の所に自転車で戻ってきた大志は、拝借していた鍵束を岸田の鞄に直し、最後に岸田の自宅の鍵を掌に載せて加速を解いた。
「ホント可愛い。私も飼いたいけど家はペット禁止なんです」
「そうか残念だな。まあそれよりもお前にはあいつがいるじゃないか」
大志は岸田にニヤけた顔で見られ、へへへと胡麻化した。
「もう、先生の馬鹿。皆には言わないでね」
少し目を伏せがちに大志の腕を取って、晴香は照れた感じを見せつけた。
「早く帰るんだぞ。丸井、今度から遅くならない様に気をつけるんだぞ」
「はい。先生、気をつけます。おやすみなさい」
岸田は、青春しているなーと言う目で二人を見送ってくれた。
角を曲がってすぐに、晴香は腕を組んだまま大志を見上げて訊いた。
「どう? 上手くいった?」
「ああ。書き写してきたよ。予定通りだ」
「やった。作戦成功だね」
「うん。結構ドタバタだったけど」
大志は腕を組んだままの晴香に、ちょっと居心地の悪さを感じていた。
いや、居心地の良さという言い方もできる。
また、ちょっと可愛いじゃないか……。
一人でドキドキしながら大志は少し硬くなってしまった。
でも本当はドキドキしていたのは大志だけではなかったのだった。
晴香の住んでいるマンションは急坂の途中にある。
街灯が路上を照らす坂道を、横並びで自転車を押して歩く二人は、いつもより大人しめだった。
晴香の良く通る声も少しひそやかに変化している。
今の胸の内が自然とそうさせているのだろうか。
「前のときみたいだね」
「ああ、戸成を乗せて頑張ったよな。あの時は途中でへこたれた」
「この坂は無理だよ。先輩一人でも登り切れるかどうか」
「ホントだな。上から見たら余計にそう思うよ」
振り返って見ると眼下には、これは無理だろという急坂がまっすぐに続いている。
「今日はありがとうな」
大志はぽつりとお礼を言った。
晴香はそんな大志を見上げる。
「急にうちに来たからびっくりしたけど、俺の事を考えてこんな時間に来てくれたんだなって分かったんだ。本当にありがとう」
「何? 急にあらたまって、そんな気を使わなくっていいんだよ。好きでやってるんだし」
晴香は照れ隠しをするように明るく言った。
「戸成が俺にしてくれたみたいに、俺も戸成に出来ることが有ったら言ってくれよな。加速以外大したこと出来ないけど、その時は必ず力になるからさ」
大志の言葉はきっと晴香の胸をうった。
そしてその次に出てしまった言葉は、晴香自身が大切にしまっていたものだった。
「私は先輩がいてくれたらそれでいい……」
晴香はそう言ってからうつむいてまた自転車を押す。
大志もまた晴香の横に並んで自転車を押し始めた。
そして晴香のマンションの前まで登り切った二人は一息つく。
大志は自転車の向きを変えて晴香に向き直った。
「俺も戸成を大切に思ってるよ」
大志は照れくさそうに言った。
「遅くなってごめんな。また明日」
大志はそう言い残して坂を下って行った。
大志が見えなくなった後も晴香はしばらくの間、大志が消えたその先を見続けていた。




