第15話 つい聴いてしまった
翌日大志は黒川仁美の隣の席で相当緊張して座っていた。
意識するなって戸成からくぎを刺されてたけど無理だよ……。
一時間目の授業はそっちの方が気になって何にも入ってこなかった。
いざとなれば加速して勉強の遅れを取り戻す事は出来なくもない。
しかし、それってズルだよな。
「ねえ丸井君」
ドキッ!
大志は内心仁美の声掛けに飛び上がったが、落ち着いている振りを演じた。
「黒川さん、おはよう」
「え? もうそれは朝一番にしたような……」
「そうだったね。へへへ」
大志は自分で地雷を仕掛けて自分で踏んだ。
「丸井君、何か緊張してる?」
仁美が少し大志の顔を覗き込む。
「俺が? そんな事無い無い。もう冷静そのものだよ」
「そうかな、まあ丸井君らしいけど」
一体俺らしいってどんな感じなんだと、大志は頭を巡らせる。
「丸井君は今日の夕方、部活有るのかな?」
いきなり聞かれた! 無いって言ったらどういう事になるんだろう……。
誘われてついて行ったらデートみたいな感じになっちゃうのかな……。
「あの、部活有るのかなあ?」
大志は妄想の世界でしばらく探検していたみたいだった。
「あ、うん。有るんだ柔道部。どうして訊くんだい」
「一緒に帰りたいなって思って……」
仁美が伏し目がちに言った言葉に、大志の理解がしばらく追いつかない。
……えーーーっ!
「俺と? いやまさか、ほんとに?」
仁美は少し照れ臭そうに頷いた。
「丸井君さえ良ければと思ったんだけど、部活有るんだもんね……」
本当は二つ返事で一緒に帰りたいと思った。
「そのお誘いは有り難いんですけど、やっぱり稽古が有って……ごめんね」
仁美は手を合わせる大志に、いいのと笑顔で返した。
昨日、晴香達と仁美について学校を調べ回ったのすら忘れて、大志は浮き足立っていた。
放課後柔道場に向かった大志は、同期の葛西洋介が文句を垂れながら柔道場から出てくるのに気付いて声をかけた。
「どうしたんだ?」
「丸井、今日は稽古無しだ」
「え? 稽古日だよな」
大志は洋介の言っている事がまるで呑み込めなかった。
「少林寺拳法部だよ。今日は大事な試合の前だから全面を使って練習したいんだってよ」
「そりゃないだろ。酷い話だ」
大志は抗議しようと柔道場に入ろうとした。しかし、すぐに洋介に止められた。
「もう無理。顧問の坂田がそれでいいって譲っちゃったんだ」
「先生が? なんだよそれ」
大志は不満顔だったが、気にせず洋介は大志と肩を組んできた。
「まあ、いいじゃないか。今日は久しぶりに部員全員でおばちゃんの店に寄って帰ろうぜ」
「狭いからやだよ」
「俺たち先輩は椅子で食えばいいだろ。あいつらは立たせときゃいいの」
後輩からの信頼が薄いのも分かるな……。
「それより新入生の勧誘頑張れよな。ほんとに潰れかねないぞ、うちの部」
「それも二年の仕事。俺達は忙しい受験生だろ」
「勉強なんてしてない癖に良く言うよ」
「お互い様だろ」
洋介はハハハと笑いながら大志と一緒に帰ろうとした。
「丸井君」
後ろから声をかけられ大志は驚いた。
その涼し気な声の持ち主、黒川仁美には今日は部活が有ると断っていた筈だった。
「あれ黒川さん。どうしてここに?」
大志と肩を組んでいた洋介が美少女の登場にびっくりした顔をしている。
「こんにちは。丸井君のクラスメートの黒川です」
「葛西洋介です」
短い自己紹介は不愛想というのではなく、女子と普段話す事のない洋介は頑張ってもそれぐらいなのだ。
「葛西君、丸井君を借りてもいい?」
「どうぞ……」
何だか黒川さんが綺麗すぎてボーっとしてるな。
大志はいつまでも仁美を見続けている洋介の背中をドンと叩いた。
「丸井君」
大志は仁美に呼ばれてへへへと笑顔を見せた。
「部活無くなったのなら一緒に帰らない?」
「そ、そうだね……」
しかし部活が終わった後、幸枝と晴香と合流して昨日の話をまとめる約束をしていた。
「ちょっと用事が……」
そのひと言に仁美は少し悲しそうな顔をした。
「いや、ほんとに変な話なんだけど、兼部しててミーティングに出ないといけなくって……ホントにごめん……」
仁美は唇を結んでうつむいたまま大志に声をかけた。
「明日ならどうかな……」
明日は柔道の稽古は無い日だったが、どうせ晴香に呼び出されるに違いないと思っていた。しかしこれほどまでに必死で誘ってくれる仁美の気持ちに応えないわけにはいかなかった。
「勿論いいよ。でも俺で本当にいいのかな……」
「うん。丸井君と帰りたいんだ」
その一言はまた大志の心臓を直撃して変な音を立てさせた。
その後、大志は手を振って仁美の背中を見送ったが、これから仁美の事を色々と詮索しようとしている事に胸が痛んだのだった。
大志は部室に入ろうとして引き戸に手をかけたものの、戸はビクともしなかった。
ゆきちゃんも戸成もまだ来てないって事か。
部活が無かったという事を知らせて、早めにミーティングをしようと大志はまず部室の鍵を持っている晴香を探す。
二年の教室棟のどこかにいるのではないかと探すがどこにもいない。
「あ、報道部か」
大志は部室棟に戻るのが面倒くさくて先に幸枝を探すことにした。
そこに丁度胸ポケットの携帯の振動を感じた。
校内では一応は使用禁止になっているので目立たない様、男子トイレに入ってからLINEを開く。
「ゆきちゃんからだ」
〈ごめん。瀬尾君にどうしてもって言われて断り切れなかった。明日にしてください。晴香ちゃんに謝っといて〉
〈了解。ごゆっくり〉
大志は携帯をしまうと今度は晴香を探しに報道部の部室を訪れた。
「戸成いますか?」
「えーと、いまーーーせん」
狭い部室を見回して部員は返事した。こいつは使い物にならんなと大志ですら思った。
「どこ行ったか知りませんか?」
ちょっと奥にいたまともそうな部員に声をかけた。
「さっき出て行きましたよ。二年の男子が呼びに来て連れられて行きました」
「ありがとうございました」
大志はとことん誰も見つけられないのに少し苛立っていたが、よく考えたら暇なのは俺だけなんだなと気付いた。
大志は携帯で連絡を取ろうかとも思ったが、校内にいるんだったらそのうち見つかるだろうと階段を駆け下りて行った。
まさかこんなところにという場所で大志は晴香を見つけた。
放課後の視聴覚室。
この棟には生徒の姿は殆どなかった。
大志が通り過ぎようとしたとき、教室の窓からたまたま晴香の姿が見えたのだった。
何でこんなとこにいるんだよ。
大きな声で名前を呼ぼうとした時に大志は気付いた。
誰だ。あれ?
丁度見えにくいところに晴香と向かい合う様に男子生徒が立っていた。
こちらに背を向けているために、どういった感じなのかよく分からなかった。
それでもスラッとしていてそこそこ背が高いのは見て取れた。
大志は気になって少し開いていた窓から覗き見る。
男子生徒は何か言っているみたいだったが、聴こえてくるのはよく通る晴香の声だけだった。
「急に呼び出されてそんな事言われても困っちゃうな……」
えっ! なんだ? 告白されてる?
大志は突然目の前に飛び込んできた放課後ときめきシュチュエーションに狼狽し、固唾を呑んで見守るしか無かった。
そして会話の内容に全神経を総動員させて耳をそばだてる。
「そりゃまあ付き合ってる人はいないけど……」
え? オーケーするのか? この場で?
胸の内側がやけに痛い。この感覚はいったい……。
「お断りします」
フー良かった。
ん? 何で良かったんだ……。
「私、結構忙しいんで、じゃあ」
何ともあっさりと男をフッて、晴香はさっさと教室を出ようとした。
大志は勿論うろたえた。この姿を見られたら何を言われるやら。
しかし隠れる所など何処にもなかった。
ガラリと扉が開いていきなり目が合った。
「なに? 先輩こんなところで何してるの!」
まさかの大志の登場に流石の晴香も飛びずさった。
「さては立ち聞きか!」
大志はもう胡麻化しようがないと悟り、晴香に手を合わせた。
「こっちへ来なさい!」
大志は耳たぶを掴まれてそのまま引っ張られていった。
そして耳の痛みを感じながらこう考えていた。
耳たぶを引っ張られてどこかへ連れられていくのって、そうあるもんじゃないよなと。




