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加速する世界ふたたび  作者: ひなたひより
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第10話 晴香の母

 大志はいつも見せる事の無い晴香の表情にしばらくの間、心を奪われてしまっていた。

 あまりに近い晴香の唇にどうしても目がいってしまう。


 馬鹿、何考えてんだ!


 大志は胸が高鳴ってしまうのを押さえながら、首を振って浮かんできた気持ちを振り払った。


「なに? まだ暑いの?」


 そう間近で聞いてくる晴香から目を逸らしたまま、大志はもう一つ制服のボタンを外した。


「うん。そう。そうなんだ。暑くって、ハハハ」

「仕方ないな、私はちょっと涼しいぐらいなんだけど」


 晴香がもう少し窓を開けると冷たい風が舞い込んできた。


「これでいい?」

「あ、はい。そのぐらいで……」


 何となく二人とも黙り込んでしまう。


「先輩も写真撮った?」


 ちょっと静かすぎるのに耐えかねて晴香が尋ねた。

 大志はポケットから携帯を出して、晴香に昨日撮った写真を見せた。


「俺の方は動物ばっかり。なかなかよく撮れてるだろ」


 大志は見ていいよと携帯を渡した。


「そうね。先輩にしてはなかなか……」


 写真をスライドして眺めていた晴香の指が止まった。

 急に表情が険しくなる。


「へえ、なんだか楽しそうねえ」


 どれどれと覗き込むと、そこには大志と黒川仁美のツーショットが写っていた。


「ああ、ゆきちゃんが撮ってくれたんだ。モルモットを触りながらなんだけど彼女動物が苦手みたいで笑顔がこわばってるだろ。まあそんなとこも可愛いっていうか……」


 晴香の雰囲気が先ほどとは一変したのを大志は感じた。


「動物だけじゃなくってそっちの方も楽しんだわけだ」

「なに? なんかさっきと違うみたいだけど」


 晴香は大志に携帯を押し付けるように返すと、さっさと立ち上がった。


「先輩そろそろ帰る時間だよね」

「え、まあそうかな。そろそろみたいだけど……」


 何とも言えない圧迫感を感じて大志も立ちあがった。

 雰囲気も態度も口調もがらりと変わった晴香の威圧感に耐えられず、大志は晴香の部屋を後にした。


「何か怒ってる?」

「いいえ。いっつもこんなんです」


 明らかに機嫌の悪い晴香に首を傾げながら玄関の前までやって来た。

 その時玄関のドアノブがガチャリと音を立てた。


「ただいまー……あら?」

「ママ……」


 晴香はいつもよりかなり早い母の帰宅に、驚きの表情を露わにした。

 そして母はというと、晴香の後ろにいるごつい体の少年を目にして言葉を無くしていた。


「ママ、紹介するね。部活の先輩。そうただの先輩なの」


 晴香は呆然と立ちすくむ母親に、とにかく説明し始めた。


「あの、お邪魔しています。丸井大志と言います。部活で晴香さんとは一緒で、その……」


 何と言っていいのかその後が続かなかった。

 大志の丁寧な挨拶に母親は冷静さを少しは取り戻したようで、この場を取り繕おうと善戦した。


「あ、ええ、すみません、こんな玄関先で……晴香の部活の……へえそうなの、そうなのよね、晴香」

「うん、先輩の言うとおりだよ。帰りにちょっとだけミーティングしてただけ」


 晴香の母は何かを思い出した様に首を傾げた。


「でもあんた、部活の先輩とはそりが合わないって散々ぼやいてたわよね」

「丸井先輩だけは別なの。もうそれは何というかやり易いの」


 大志は苦笑交じりに、そうなんですと頭を掻いた。


「それで、もう帰るの?」


 晴香の母がちょっと話したそうに大志の様子を伺い始めた。


「そう。先輩大事な用事があって結構急いでるの。ねえそうでしょ先輩」

「え? 別に急いでないけど」


 脇腹に激痛が走った。晴香の肘鉄だった。


「じゃあ、もうちょっとゆっくりしていって。ちょっと美味しい物買って帰ってきたとこなの」


 にこやかに手に持っていた白い紙袋を二人に見せた。

 晴香の母はどうしても話を聞きたくて、一方晴香は母と話をさせたくなさそうだった。

 板挟みになった大志は、ただただ薄笑いを浮かべて立ち尽くしていた。



「さあ召し上がれ」


 結局母に押し切られ、大志はリビングのテーブルで香り高い紅茶とお土産のバウムクーヘンを頂いてから帰る事になった。

 晴香の母はすらりとした感じの活発そうな女性で、意志の強そうな目元や少し下唇がぽってりしたところが晴香とそっくりだった。

 そして癖のある柔らかそうな栗色の髪も、母親ゆずりだと言う事に気が付いた。

 そんな母親の前に大人しく座った二人だったが、ようやく少し落ち着いた大志の隣で、晴香は不満そうな表情を見せていた。

 さっき小声で余計な事は言わない様にと、大志は晴香からくぎを刺されていた。


「そう、丸井君と言ったわね。晴香は学校でどんな感じかな」


 大志は晴香をちらりと見た後口を開いた。


「そうですね。活発で行動力がずば抜けてて、いつも引っ張ってくれる頼もしい後輩ですよ」


 晴香はちょっと紅くなった。大志はそれには気付いていない。


「いいんですよ。そんな気を使わなくっても。色々勝手な事とかしてお困りじゃないですか?」

「まあ、少しは、でも彼女がいるお陰で助けられてます。というより彼女がいなければ乗り切れない事がたくさん有りました」


 母親は大志の言葉を意外そうに聴いている。


「大した子ですよ。晴香さんは」


 晴香は頬を紅くしてうつむいた。母親の方を向いている大志はその事に気付いていなかったが、向かいに座る母はそんな晴香の気持ちの揺らぎを嬉しそうに見つめていた。


「丸井君はいい目をしてるわね。真っすぐで信頼できそう。でも優しすぎて損するタイプね。女の子に振り回される典型的なタイプに見えるわ」


 冗談で言ったのだろうが核心を突く鋭い一言だった。


「晴香は我儘で身勝手だから丸井君も大変だと思うけど、この子の事お願いしますね」

「ママ、余計な事言わないでよ」

「あら、丸井君の前だと猫を被るつもり?」

「そんなつもりないけど……」


 晴香は口を尖らせてまた静かになった。


「うちは親が私一人だから、どうしても目の行き届かない所が多くって心配してたんです」


 大志は今初めて晴香に父親がいない事を知った。

 母親は大志の顔をふんわりとした安心した様子で眺める。


「何だか丸井君のお陰で安心しました。これからも気兼ねせず家に寄って下さいね」

「はい。ありがとうございます」


 大志は出された美味しいバウムクーヘンを食べ終えると、ゆっくりと紅茶を頂いた。


「男の子っていいわね。食べっぷりがいい子は見ていて飽きないわ……ん?」


 そう言い終えた時、母親は何かに気付いたかの様に大志の顔をじっと穴が開くほど見始めた。


「あの、どうかされましたか?」


 大志が困り顔で聞いても母は大志の顔を見続ける。


「丸井君の顔、どこかで見たような……」


 母のその言葉で晴香の顔色が変わった。


「さあ食べた事だし先輩も帰るよね。私そこまで送ってくから」


 晴香は大志をさあ行きましょうと急がせる。


「あーっ!」


 晴香の母が大きな声を上げた。


「晴香の机の上に飾ってある写真に写ってるのって丸井君じゃない?」


 晴香は母に言われて飛び上がった。


「何言ってんのよ。そんな訳ないじゃない」

「いや、確かにこんな感じだった様な……そんな気がする」


 母は頬を染めて、あらためて二人を何とも言えない目つきで見た。


「そうだったんだ。ママ二人の邪魔しちゃったみたいね。気が利かなくてごめんね」

「先輩帰るわよ!」

「え? あ、お邪魔しました」


 大志は晴香に思い切り引っ張られてリビングから連れ出された。


「また来てねー」


 母の声が大志の背中をにかけられる。

 靴もちゃんと履けないぐらい晴香に急かされて、大志はマンションを出たのだった。



 すっかり日が落ちて、空だけがまだ薄明るい時間帯になった。


「なんだか戸成のお母さん、おかしな事言ってたな。写真がどうとか……」

「そうね。なんかおかしな事言ってたね。まあ気にしないで」


 晴香は顔を赤らめていたのだが辺りが薄暗くなってきていたせいで大志は気付かなかった。


「お母さんも勢いのある感じだったな」

「それどういう意味よ」

「親子だなって意味だよ」


 大志は長い坂道に一歩踏み出した。そして振り返って言い忘れた事を口にした。


「戸成、また明日ミーティングの続きな」

「うん。また明日。気をつけてね」


 軽く手を振って大志は小走りに駆けだした。

 晴香はやはり大志の背中が見えなくなるまで見送るのだった。



 大志を見送った後、晴香は自分の部屋の机の引き出しを開けて、大志が部屋に入る前にしまった写真立てを手に取った。


「ママったら余計な事言って……」


 そう呟いて晴香は写真を見る。

 初めて焼いたタコ焼きの時に撮った写真。

 お皿に盛ったタコ焼きを嬉しそうに胸の前で持つ晴香の隣には、何となく締まらない顔をした大志が写っていた。


「気付かれちゃったかな……」


 そう呟いて晴香は写真立てを元の場所に戻したのだった。

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