第63話
カガリは――妹は昨晩、家に戻らなかったらしい。母が警備隊に捜索依頼を出したところ、彼女は町中を流れる一番大きな川の底で見つかった。
事件性はない。服の中いっぱいに重しの石を詰めて入水自殺したのだ。美しかった顔は水で膨れてブヨブヨになり、例え遺族であろうと見せられる状態ではないと言う。
すぐさま事件性がないと判断されたのは、ゴードンが持ってきた遺書のせいだ。川横の木の枝にこれが吊るされていたからこそ、カガリが見つかるのも早かった――とは言っても、命を喪っている時点で手遅れだ。
紙面いっぱいに綴られた恨み節は全て、私1人に向けられたものであった。
どうもあの子は、商会で良い成績を残すためだけに自らの体を売っていたらしい。取引先の男だけでなく、同じ商会で働く上司複数人とも関係があったそうだ。そのため商会は今、責任の押し付け合いで大荒れだと言う。
そんな馬鹿な真似をした理由については、「姉さんに命令されたから仕方がなかった、商会の発展のためには避けられなかった」と記されていた。
ゴードンへ向けた想いは本物で、彼にだけはその事実を知られたくなかったようだ。どんどん自分の体が汚れていくのは分かっていたが、どうにもできず――しかし昨日、私がゴードンに告げ口をしたという設定らしい。
今まで必死に耐えてきたのに、ゴードンに幻滅されたら生きていけない。こんな状況に追い込んだのは他でもない姉さん。
汚れた私の前でプロポーズされて、気持ち良かった? だから笑ったんだよね。
精々勝ったつもりで居ると良い。だけど、私のことを忘れられる?
人殺しの姉さんに、誰かを愛して幸せになる資格があると思っているの?
遺書の最後は、その一文で締めくくられていた。
結婚できるものならしてみろ、と言われているような気がした。例えばゴードンの言う通りに、いつか夫人が亡くなったとして――その時、私はカガリを忘れて求婚に頷けるのだろうか。
彼女を死に追いやったつもりは欠片もない。確かに疎ましかったけれど、だからと言って死んで欲しいなんて思ったことは一度もなかった。
でもこんなものを遺されて、命まで絶たれて、一体誰が私を信じると言うのか。これでは言った者勝ちどころか、死んだ者勝ちだ。あまりにも酷い仕打ちである。
――ああ、だけど、どうしてあの時「ざまあみろ」と思ってしまったのだろう? 遺書にある「笑った」という指摘は、私を悪者に仕立て上げるための嘘なのか……それとも、本当に笑っていた? ひとつも自信がない。
本人に確認したくても、もうできない。だってあの子は私から、この世から逃げ出してしまったのだから。
遺書を読んで打ちのめされた。ずっとレンが肩を抱いてくれていたし、ゴードンも傍に居てくれた。だけど、それで心が救われることはなくて――だって、たった1人の妹が私を恨みながら死んだのだ。
思い出されるのは最近のカガリではなくて、まだ幼い頃、私に懐いて離れない小さな妹の姿ばかりだった。
可愛い妹を変えたのは誰? もしかすると決定打はあの日、私が家出した時だったのではないか?
そんなにも私の存在が邪魔だったのか。私がそうであったように、カガリにとってもゴードンが世界でたった1人の男だったのだろうか。
それなのに手に入らなくて――身売りしたカガリの自業自得とは言え――彼に軽蔑されて、何もかもどうでも良くなってしまった? 彼が私と結ばれるくらいなら、命を賭して邪魔するほどに?
やはり、レンの言うことはいつも正しい。
困難から目を逸らして『楽』に逃げたら、二度と逃げ癖が抜けなくなる。甘えられる機会があったら手を伸ばさずにはいられないし、嫌なことから何度だって逃げてしまう。
ゴードンを諦めなかったから、商会長に促されるままカガリの教育を買って出て、何度も町へ顔を出したから。結婚できないくせにゴードンを束縛して、離さなかったから。苦しみからは必死で逃げるくせに、甘い蜜だけは余さず吸った。
カガリは彼に恋して、真剣に求めていたのに。何年も私に邪魔されて、どれほど苦しかっただろうか――なりふり構わず身を削るところまで追い込まれて、最後には命まで削りとってしまった。
謝りたくても、もうカガリはどこにも居ない。誰が私を許してくれる? 誰の許可を得たら、幸せになっても許される? きっと、まず私が私を許さなければ始まらない。
こんな状態で町へ顔を出したらどうなるのだろうか? 父母は、商会の人間は……一体、どれだけ多くの人間から石を投げられるのだろう。
次は、私が死んで勝つ番? 死ねば全て許されるし、嘘も誠にできるだろう――可愛い妹がやったのと同じように。
すっかり塞ぎこんでしまって、レンの「私がついています。セラスには今、時間が必要です」という言葉を聞いたゴードンは、商会の問題を解決するためにも渋々町へ帰って行った。
彼だって大きな衝撃を受けているに違いない。何せ、昨日口論した相手が自殺したのだから。苦しいのは私だけではないのだ。
支えになってやらなければと思う反面、しかし「私にそんな資格がある訳ない」と思い留まった。
ゴードンの後ろ姿をぼんやり見つめながら、ふと私の横に居るレンは――魔女だけは、死んでも許しを得られないのだと思った。同じ苦しみを抱えたまま、何度も何度も生まれ直して……何ひとつ終わらせられない。
「――ああ本当に、なんて可哀相で居心地が良いのかしら……」
唇の端が引きつるように痙攣した。泣きすぎて嗄れた声でそう呟けば、隣で大きなため息が吐き出される。けれどレンは私の頭を胸に抱くと、優しい声で囁いた。
「いつも通り逃げれば良いじゃないですか、あなたは何も悪くないから」
いつもこれでもかと責めるくせに、こういう時だけ優しくする。ズタズタになるほどこき下ろされたい気分だったのに、この魔女はいつも私を殺してくれない。
私はひとしきり「ごめんなさい」と、誰に向けたのかも分からない謝罪を繰り返した。そうして声も涙も出なくなった頃、妹について考えるのを辞めた。お得意の逃避だ。
レンも私を生かすためか、珍しく「死にたがりよりも、生き汚い人間の方が好きですよ」と甘やかし続けた。彼女はいつも通り無表情だったけれど、私の傍を一時も離れないで居てくれた。
不死の魔女と確かな友情を育めたことを、妹の死をキッカケに実感したくなどなかったのに。
◆
――それから私は、滅多なことがない限り町へ足を踏み入れなくなった。
町を歩けば陰口を囁かれて、父母と顔を合わせれば罵声を浴びせられる。商会へ顔を出せば職員に――友人だったはずの元同僚にも――「人殺し」となじられた。
商会長夫妻については、姉妹揃って商会に泥を塗ったことや、ゴードンの人生を台無しにしたこと。それでもまだ私とゴードンが離れないことなどで、完全に怒りを買ってしまった。
今では顔を見るなり怒鳴り散らされる関係性だ。怒鳴られて当然だから仕方ない。
ゴードンは、町へ行けない私の代わりに馬車を使って物品を運んでくれるようになった。対価を支払うと言っても、罪滅ぼしだと言って一切聞き入れてくれない。
遺書には彼に対する恨み言が、ひとつも書かれていなかったけれど――きっとあの日のことを、酷く後悔しているに違いない。
妹が自殺してからしばらく経った後、ゴードンは「カガリを死に追いやったのは間違いなく自分で、セラスは無関係だ」と、私にそんな告白をした。全ての責任を彼がもつから、気にせず町で暮らそうとも言ってくれた。
けれど、そんなことできるはずがない。許されるはずもない。
彼は私の罪悪感を軽くするためだけに、下手な嘘をついたのだ。だから私は、ゴードンには一生敵わないと確信した。




