第55話
しばらく待ったけれど一向に動こうとしないゴードンの手を引いて、彼の家まで黙って歩いた。正直、振り払われてもおかしくないと思ったけれど――大きな手に似合わず弱々しく握り返されたそれに、なんだか昔を思い出す。
彼がまだカルガモだった頃は、こうして手を引いて歩いていたな――とか、気付けば肩を並べて歩くようになったのが嬉しかったこととか。
たったの5歳差、されど5歳差。きっとゴードンはいつも、私に合わせて背伸びしていたのだろう。大人ぶって同世代の子供と遊ばずに、商会に入り浸って仕事の見学ばかりして。ずっと私だけを見て、並び立とうと頑張っていたのだ。
私はよく「もっと人を頼って要領よく生きろ」と言われるけれど、それはゴードンも同じだったのかも知れないと、今になって気付いた。彼がこれほど落ち込んでいる姿を見たのは、数年ぶりだったから。
そうして家に戻った私は、何も話さなくなってしまったゴードンと、彼の両親を食卓に集めて告げた。
大事なのは、あくまでも実の両親のせいで――という建前だ。
体や病状について町で触れ回られて、あまりに気まずい。今や私の状態を知らぬ者は居ない。このままゴードンと結婚すれば、彼にも商会長夫妻にも、商会にも迷惑をかけてしまう。遠い将来、ゴードンの次に商会長となる子まで誹謗中傷に晒される恐れがある。
確かに彼のことは好ましいが、しかし全てを投げうってまで強引に関係を進める勇気もないのだ。遅かれ早かれ、罪悪感で潰れてしまうのは分かり切っているから。
――かと言って、今更ゴードン以外との恋愛も厳しい。
初めから子供ができないと分かり切った女を、娶ってくれる者が居るかどうか。母が私について――枕だ、なんだと――嘘の噂を流していることもあって、尚更難しいだろう。
だから婚約破棄だけでなく、いずれ商会も辞めてこの町から出て行きたい。どこへ行くかは決めていないが、私のことを知らないどこかで新しくやり直したいのだ。
いい大人が体調管理もできずに勝手を言うようで悪いけれど、どうか認めて欲しい。ただ私が誹謗中傷を、これから降りかかる困難全てを我慢すれば良いだけの話なのに――どうにも耐えられそうになくて、これ以上辛い思いをするのは御免であった。
ゴードンは何も言わなかったし、頷くこともなかった。ひとつも納得していないことが分かったけれど、ここで構い過ぎるのも情が移るだけだと気付かぬ振りをした。
商会長夫妻は、重苦しい雰囲気の中ゆっくりと頷いた。商会長は腕組みをしながら口を引き結んでいて、その表情にはどこか迷いのようなものが見える。夫人は唇を噛み締めて、声を押し殺しながら涙を流している。
ああ、きっと2人にとっても苦渋の選択だったのだ。さっさと出て行けなんて思われていない。他に良い方法はないのか、心の天秤は今も揺れているのだろうか……それが分かっただけでも心が救われる。
「つきましては、どなたかに仕事の引継ぎをしたいと思っていて……まあ、1か月半も休んでしまいましたけれど」
「そのことなんだが……実は、お前の母親が復職したいと申し出ていて」
「――えっ、それはなんというか、意外ですね……まだカガリの傍を離れたがらないと思ったのに」
商会長の言葉に、私は目を丸めた。意外すぎる、あの母は絶対に復職なんてしないと思っていた。カガリのことだけでなく、プライドの高い人だから自身がこき下ろされた場所には戻りたがらないと思ったのだ。
「いや……4年後、カガリが初等科を卒業してすぐに商会で働くと言い出したから、恐らく土壌づくりのためだ」
「ああ、なるほど……納得しました。らしい理由ですね」
本当に過保護でどうかしていると思うけれど、ほとんど他人と言っても過言ではない私が口出しすることでもない。
商会としても従業員が1人抜けるのだから、取り急ぎ穴を埋めたいのだろう。確かに母の人間性には問題があるかも知れないが、私さえ関わらなければ割とまともだ。元々受付の職員として働いていた実績もある。
カガリだって、きっと即戦力になるだろう。最近は商会に入り浸って見学ばかりしているし、勉強もできるようになったし……愛想と見目が良いというブランド付き。
商会にとってプラスにはなっても、マイナスになるはずがない。……だから、「どうか妹だけは雇わないでください」と懇願することはできない。ゴードンが狙われていると分かっていても、絶対に。
私の生きる道だった商会の何もかもが母と妹に上書きされる気がして、嫌悪感と少しの嫉妬を覚えた。けれどすぐ、「そんな資格はない」と思い直す。
「ええと……母が入れ替わりに復職するなら、もしかして引継ぎは不要でしょうか」
早々にお払い箱にされるようで、寂しいような――職員たちから白い目で見られずに済んで、安心したような……複雑だ。
頬をかいて、漠然と今後に想いを馳せる。しばらく1人暮らし用の部屋を借りて、そこから商会へ通おうと思っていたけれど、すぐにでも退職するとなれば話は変わってくる。
やはり魔女の家に転がり込むしかない? その先のことは、カウンセラーと相談の上決めるのはどうだろうか。
そうして考え込んでいると、商会長が「いや……」と口ごもる。首を傾げて続きを待つと、やがて口を開いた。
「カガリは、セラス本人から引継ぎを受けたいと――お前が退院したら、学校終わりに仕事を教わりたいと言っていて」
「……カガリが?」
「ウチとしても、セラスが教育してくれると安心できるんだが……いやもちろん、お前が嫌な思いをするぐらいなら断っても構わないんだ。これからは母親も来る訳だしな、真偽不明の噂まで流されると、余計に辛いだろう」
窺うような目線に、少し悩んだ。確かに、母や妹のために動いて何になるのか……私1人が損ばかりしそうだ。
けれど最後、商会のためにできることがあるなら――いや、もう少しだけゴードンの傍に居られるというエサに、まんまと釣られただけだろうか。
気付けば私は、笑顔を浮かべて「お受けします」と頷いていた。




