第54話
魔女の住む森には、電気が通っていなかった。辺りには頼りない月明りが降り注ぎ――とは言っても、鬱蒼と茂った葉に邪魔されて所々に薄い光の柱が立っているだけ。
町で生まれて町で暮らし、物心ついた頃には電気に囲まれて育った私の夜目が利くはずもない。あらかじめ用意していたランタンに火を入れて、それで足元を照らしながら町まで帰った。
本来ならば、子宮が戻らないことに意気消沈して――この世の終わりみたいな顔で帰宅するはずだった。けれど私の胸中は、お節介にも「魔女は平気なのだろうか」という心配でいっぱいだ。
一丁前に『友人』気取りなのだから、自分でも手に負えない。私はほんの少し話しただけで、あの魔女が大好きになってしまったらしい。もしかすると、命を救ってくれた恩人ぐらいに思っているのだろうか。
魔女は自分で調剤できるくせに、どうして喘息に効く薬を持っていないのか。不老不死の代わりに、ありとあらゆる薬が効かない? それともただ単に薬を切らしていただけ?
喘息といえば吸入ステロイドで症状を治めるものだと思っていたから、薬がないとどうしていいか分からなかった。どうにかあの魔女に、薬なしで楽をさせてやれないものか……ぼんやりとそんなことを考えていると、前方から「セラス!」と呼ばれて顔を上げた。
見れば、この世の終わりみたいな顔をしたゴードンがこちらに駆けて来るところだった。まさか私ではなく彼があんな顔をしているなんて――いや、やはり魔女に指摘された通り、私の言動に振り回される彼こそが一番の被害者で間違いないらしい。
「一体、こんな時間までどこに!? 今日が退院日だと聞いて、セラスが帰ってくるのをずっと待っていたのに――病院へ問い合わせても、今朝早くに出て行ったとしか言われないし」
「あ……心配をかけて本当にごめんなさい、せめて行先を告げてから出るべきだったわ」
「お前、自分が病み上がりだってことが分かっているのか? 頼むからもう無茶をしないでくれ」
まるで、痛みに耐えるような表情を浮かべるゴードン。彼の分厚い体に両腕を回して、ポンポンと宥めるように背中を叩いた。
ただそれだけのことで彼の体温が上がって、顔が近付いてくる。私は唇を塞がれる前に背伸びをし、頬にキスして誤魔化すように笑った。そうしてゴードンから体を離せば、どこか物足りない顔と目が合ってまた笑みを零す。
「――帰りながら話しましょうか。ちょっと、西の森へ行っていたのよ」
「西の森? 何をしにそんな場所へ?」
「もちろん、『不老不死の魔女』に会うため」
「は……?」
一歩踏み出せば、少し遅れてゴードンがついてくる。私は道すがら、魔女と秘薬についての噂を説明した。
そして実際に魔女と会ったけれど、秘薬なんて都合のいいものは存在しなかったので、子宮は戻らなかった――と。
彼は、「そんな馬鹿な話を信じたのか?」なんてことは言わなかった。ただ「それは、残念だった」と眉尻を下げて「でも体のことは心配しなくて良い、俺がなんとかする」と心強い言葉をかけてくれた。
「なんとかしなくて良いの、もう商会長夫人と話してあるから」
「話すって――」
「……ゴードンあなた、私と結婚できないなら商会を捨てると言ったそうね。親も町も、何もかも捨てると」
ちらと振り向けば、大男は口を真一文字に引き結び黙り込んでいる。彼は商人なのに嘘がつけない。こうして何も言わないのは、肯定と同じだった。
「正直、嬉しくなかったと言えば嘘になるわ。私は本気であなたと結婚したいと思っていたし、これからも商会で楽しく働くんだと思っていたから」
「……じゃあ」
「でも、何もかも捨ててあなたと2人きりで生きるのは、違う。誰からも祝福されないのは御免だし、私を生かしてくれた商会を――商会長夫妻を裏切ってゴードンを選んで、死ぬまで幸せで居られるかしら。あなたは私を、目に見えない罪悪感からも守ってくれるの?」
彼は何も答えなかった。ここで無責任に「守る!」と断言してくれれば、ほんの少しは嫌いになれたかも知れないのに……どこまでも誠実で、本当に困る。
「私は、あなたの妻として必要なものを欠いたの。だから……婚約は破棄よ。これで終わりにして、仲の良い幼馴染に戻りましょう」
「……セラスの想いは――俺に対する気持ちは、そんな簡単に諦めがつくほどのモノだったのか?」
苦しげに歪められた顔を見て、心が折れそうだった。そんなはずない、諦められなかったから魔女にまで会ったのだ。
しかしここで否定すれば、甘い顔をすれば、彼はいつまでも私に囚われてしまうだろう。それだけはいけない、魔女にも覚悟を示せと言われたのだから。
「俺は無理だ、諦められない。何を捨てても、失ったとしても――セラスだけは手放せない。このままお前を失ったら、俺は何もかも憎むぞ。血筋がどうのと押しつけがましい商会も、両親も――俺たちを祝福しない町も、この世の全部」
「……あら、私の自慢の幼馴染はそんなに狭量だったの?」
「茶化すな! ――俺はずっと、セラスが欲しかったんだ……子供の頃から、お前と一緒になることだけを目標に……好きになってもらいたくて、その一心で生きてきた。お前は俺の、生きる意味だったのに」
足音が止まったので、私も立ち止まって振り向いた。参ったように大きな手の平で目元を覆っているゴードンを見て、居た堪れなくなる。
――ああ、今なら、言えるだろうか? きっと私の本音も、嘘に変わるはずだ。
「…………好きよ、ゴードン」
「――気休めは辞めてくれ! 同情も要らない……そんな言葉を欲しがっている訳じゃない、何よりも俺を選んで欲しいだけなのに、どうしてお前は……」
私は目を細めて、口の中でもう一度「好きよ」と呟いた。
単なる自己満足に過ぎないけれど、ずっと言いたかった言葉を口にできてホッとする。残念ながら彼にとっては『嘘』らしいけれど、それで構わない。
――さあ、荷物をまとめて、一日も早くあの温かい家を出よう。
商会の引継ぎも済ませて、退職して……それから、しばらく魔女の家に転がり込むのはどうだろうか。至極迷惑そうなつり目を思い浮かべて、ひっそりと息を吐く。
魔女は私の行動を褒めてくれるだろうか? 世界のどこかに逃げ場があるというのは、こんなにも心強いのか――。
立ちすくむ幼馴染と向き合ったまま、私はじっと彼の姿を目に焼き付けた。私を心の底から愛してくれた人を、私が振り回して傷付けた人を、これから何度でも思い出せるように。




