第38話
残業を終えてゴードン家に帰宅したのち夕飯をとって入浴して、すっかり定位置になった彼のベッドで横になる。ふと目に入った――これまた床が定位置になってしまった――ゴードンの腫れぼったい目は何かを期待しているように見えたので、大変申し訳ないけれど事前に断りを入れておく。
「――ごめんなさい、月経前で吐き気と頭痛が酷くて……ちょっと、これから2週間くらいあなたの相手は無理そう……」
「べっ、別に俺は何も言ってないだろ!? 毎日しなきゃならんものでもないし! ……そんなの気にしなくて良いから、お互い残業で疲れているんだし……ゆっくり休めばいい」
「あらそう? なんだか、そういう目をしていたように見えて――」
「うぐっ……か、勘違いだ!」
彼曰く残業で疲れているし勘違いらしいので、まあ、私の杞憂なのだろう。例え際どいところを隠すように布団でガードしていても、大人なら見て見ぬふりをすべきだ。
――正直、若い盛りだから可哀相だとは思う。でもここで無理をするのは互いのためにならないから、ちゃんと線引きしなくてはいけない。
「結婚する頃には体調も良くなっていると思うから、安心してね」
「……だから、勘違いだって言ってるだろ」
「それなら良いけど」
彼の強がりを聞いてつい笑みが零れたけれど、それを誤魔化すように咳ばらいをしてからベッドサイドの灯りを消した。
あっという間に夏が終わって既に秋だ。日に日に夜も長くなり、電気がないと何も見えない。
「というか――それよりも、体は平気なのか? しんどいのに無理して残業を? ……いくら商会長夫妻からの頼みだからって、断っても良いんだぞ。あの2人もセラスが体を壊すのをよしとしないだろうから――薬は飲んだのか? 取ってこようか」
「うん? 平気よ、いつものだから……痛み止めは飲んでいるし、2週間ぐらい我慢すれば治るわ」
「……女って大変だよな、月の半分が体調不良だなんて」
「人によりけりだけどねえ。よく気が付く次期商会長さん、月経に苦しむ女性職員に向けに何か手厚いサポートを頼むわよ」
「セラスがする提案はいつもザックリしすぎなんだよ……」
ザックリ大雑把な案を投げただけで叶えてくれる優秀な婚約者が居るから、私はこれくらい雑でちょうどいい。……あまり女性職員のことばかり言うと男性職員から「性差別だ!」なんて声が上がりそうだから、男性向けにも何かしら新しい福利厚生を用意してもらおう。
ゴードンが商人らしく細かくキッチリしているせいか、彼と共に居ることの多い私は手抜き癖がついてしまった。でも2人して緻密な話をしていたら息が詰まるだろうから、やっぱりこれくらいでバランスが取れているのだと思うけれど――価値観の相違とでも言うのか、ゴードンは適当な私と過ごしていてストレスが溜まらないのだろうか?
「ゴードンって私と居て楽しい?」
「……いきなりなんだよ。セラスは楽しくないのか」
「楽しいわよ。あなたがまだカルガモだった頃から、ずっと」
おべっかでもなんでもなく事実だから、私は迷わずに答えた。すると思いのほか胸に刺さったのか、ゴードンは黙り込んでしまう。
今でこそクマみたいな大男に成長したけれど、彼だって子供の頃は小さくてコロコロしていて、まるで可愛い弟のようだった。
周りから「しっかりしている」とおだてられていた私は、下の兄弟が欲しくて仕方がなかったから――まあ、他でもない私のせいで母が子作りに消極的だったらしいけれど。
ゴードンの勉強を見ていると教師の真似事をしているみたいで楽しかった。誰からも求めてもらえない、認めてもらえなかった私を見てくれたのは彼だった。小さな子供がどこまでもついて来て、可愛くて、嬉しくて、邪魔だなんて思ったことは一度もなかった。
……ああ、そういえば私、教師になるのが夢だったんだっけ?
昔――と言っても、たった8年前の話――を思い出してぼんやりしていると、床の下から低い声が聞こえた。
「俺は、セラスのことが好きだ」
「……急に何よ、ありがとう」
「ただ……好きで間違いないのに、俺のことなのに――なぜ好きなのか、セラスじゃないとダメなのかが分からない。上手く言葉にできない」
「私もそこが分からなくて、ずっと不思議」
化粧を覚える前からの付き合いで、私の素がどれだけ特徴のない顔をしているのかもよく知っている。なかなか人を頼れずに強がってばかりで可愛げがないことも、これと言って特筆すべき才能がある訳でもないことも知っている。
私の長所ってなんだろうか。「しっかりしている」と言われて育ったせいで、しっかりしていなければダメだという意識が抜けない。そのせいで何度、人と衝突したか――例え誰かと揉めたとしても、適当なところで泣いて終わりにすべきだと言われたことがある。
上手く折れて、上手く弱みを見せて……それこそが可愛げのある女だと。男は守られたいのではない、守りたい女を好きになるらしい。
「カガリに、どうしてゴードンが好きなのか聞かれたの。改めて考えると、なかなか難しくて――」
「それは……正直、俺が誘導した部分が大きいだろう」
「誘導?」
「どういう男ならセラスがその気になるのか、大昔から研究し続けた成果だ」
初めて聞く話に、私は小さな笑い声を上げて「何ソレ、初耳!」とベッドから上半身を起こした。たったそれだけのことで下腹部に鈍痛が走ったけれど、いつものことだと気にせず耳を傾ける。




