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第34話

 今日の出来事がよほど恐ろしかったのか、カガリは商会の中に入っても、ゴードンが応接室のソファに腰を下ろしても、一向に彼から離れる気配がなかった。


 まあ、恐ろしいだろう。学校から商会までよく分からない大人の男に追いかけられて、しつこく話しかけられて――挙句の果てには細い手首を掴まれて、力ずくで攫われるところだったらしい。

 運動を始めるのが遅かったせいか、同年代の子よりも小柄で細いカガリ。その体が男の手でふわりと宙に浮いた時、どんな気持ちだっただろうか。私にはそんな経験がないから、ひとつも分からない。ただ推察することしかできないのがもどかしい。


 嗚咽は随分と小さくなったけれど、カガリが言葉を発することはない。それほど酷いショックを受けた証だろう。

 いつかの時と同じように濡れタオルを持ってきて、真っ赤になった目元を冷やす。カガリとはしばらく会話ができそうにないから、私はひとまずゴードンから話を聞くことにした。


「……助けてくれて、本当にありがとう。ゴードンが通りがからなかったら、どうなっていたか――」


 あれほどたくさんの人だかりができていたのに、カガリを助けたのはゴードン()()らしかった。相手の男は逃げたみたいだけれど、もしかすると体格が良いか人相がまともじゃないか……とにかく、見るからに関わったらまずい手合いだったのだろう。

 例え可愛く無力なカガリが目の前で誘拐されかけていても、傍観してしまうぐらいには立ち向かいづらい相手。


 そんな男に誘拐されたら、カガリはどうなっていただろうか。まず無事では済まなかったはずだ。貞操云々だけではなく、別の国に売り飛ばされていたかも――なんてことまで考えてしまう。

 本当に頼りになる男が婚約者で良かった。顔が良いばかりで気弱な父では、カガリを助けられなかったに違いない。


「当然だろう? いくら可愛げがなくても、カガリは俺の大事な義妹だから」

「……可愛げがないなんてカガリに言うの、あなたくらいだわ。そろそろ感受性が豊かになる年齢なんだから、あまり酷いことは言わないで」

「実際ひとつも可愛くないから仕方がない、俺に嘘をつけって言うのか? ますます性格が歪みそうだな」


 悪びれもせず言えば、今まで身じろぎひとつしなかったカガリがドン! と小さな拳でゴードンの胸を叩いた。でもカガリの手の方が負けて痛んだのか、「ピィ」と小さな泣き声が漏れる。

 ……ひとまず、不機嫌さを表せるだけの元気が生まれて良かった――ということにしておこう。


「おいカガリ、元気になったならもう離れてくれ。仕事が立て込んでいるんだ、お前と遊んでいる暇はない」

「ちょっと、さすがに厳しすぎるわ。もし私にできることなら代わりにやっておくから、もう少しカガリと一緒に居てやってよ……大事に想うならね」

「……確かに、セラスの前だからって格好をつけすぎたか。俺の大事な義妹じゃあなくて、俺の大事な女の妹だから助けただけだ。いつもみたく「やっぱり私が可愛いから、お姉ちゃんより好きになったんだ!」なんて、バカな勘違いはするなよ」

「大人げないし、妙な声真似が気持ち悪いわね……」


 ついさっき暴漢に襲われかけたばかりだと言うのに、ゴードンの憎まれ口は通常運行すぎる。なんだか見ている私がハラハラしてしまって、落ち着かない気分になった。

 人として今は優しくするべきではなないか? カガリはもっと泣くのではないか? 母にゴードンに虐められたと告げ口するのではないか? それが原因で、また結婚に難癖をつけ始めたらどうしようか――なんて、気付けば私も自分のことばかり考えていた。


 これでは、あまり彼に偉そうなことを言えない。


「――今週中に倉庫整理まで終わらせておかないと、式の予定が狂いそうで気が気じゃないんだ。……もしかして、セラスも残業を頼まれたか?」

「え? あっ……ええ、そうね。人手が足りないから第二倉庫の整理をって――第三が片付くまでは、私1人だけらしいけれど……」

「第二倉庫をセラス1人で? はあ……さすがだな」


 ゴードンは問答無用でカガリを引きはがすと、ペイッとソファに転がした。まだ目元をタオルで押さえたままだったけれど、彼女は「むぐぐぅ……」と悔しげに唸るだけだった。

 それはそれとして「さすが」と言われた意味が分からず、私は首を傾げる。


「何が「さすが」よ、第三は重量物ばかりで女の私が使いものにならないから、先んじて第二の整理を進めておくよう言われただけでしょう?」

「第二倉庫に保管されているのは高価な貴金属がメインじゃないか」

「それは知っているけれど……」

「やろうと思えばいくらでもチョロまかせる、たった1人で整理を任されていれば尚更な」

「バカ、そんなことしないわよ! 罰当たりにも程がある!」

「だから「さすが」なんだよ、母さんは――いや、当然父さんの指示でもあるよな。あの2人は「セラスがそんなことするはずがない」と信じ切っている訳だ。そもそも職員1人に倉庫整理なんて任せられないだろう、誰の目も届かない場所で何をされるか分かったもんじゃない」


 彼の言葉に、私は「あっ」と声を漏らした。その次には、胸が熱くなるくらいの充足感に満たされた。

 ――やっぱり、この期待は裏切れない。懸けられた想いには応えなければ。


「ということで、俺は忙しい。どうせ残業するならセラスと同じ場所が良いからな、さっさと第三の整理を終わらせないと」

「あー……もう、はいはい、分かったから。とにかくカガリを助けてくれてありがとうね。もしかすると、今日のことを耳にした母さんがまた何か言いがかりを付けにくるかも知れないけれど……」

「その時はその時だ。どうせもう結婚まで3週間ないし、俺はまだ強請(ゆす)りのネタを隠し持っているから安心しろ」


 それだけ言って自信満々に部屋を出て行くゴードン。広い背中を見ていると、頼もしいような、若さゆえの無謀が不安のような――。

 曲がりなりにも妻になる女の母親を強請るって何? いや、強請られても仕方のない言動を繰り返す方も悪いけれど……。


「お姉ちゃん……」

「あ……ごめんなさいね、考え事しちゃってた。さてカガリ、今日起こったことについて詳しく話を聞かせてくれる? 他にも同じバカをしそうな男が居たら、それも教えて欲しいの」

「うん……」


 タオルを取り払ったカガリの目元は、まだ赤味が残っていて痛々しい。それでも口を開けるようになったことに安心して、私は彼女から話を聞くことにした。

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