第23話
「――セラスと結婚できなくなるのは、俺も商会も困ります。もちろん彼女と結婚したいという俺の願望が一番重要ですけれど、婚姻が遅れれば跡継ぎも生まれない。そうなると商会の存続にも関わりますから、とんでもない損失です」
「そ、それは、分かっているけれど……でも、セラスが無理やり結婚するせいで私たち家族が不幸になるかも知れないのよ? 両家の婚姻なのに、そちらだけ幸せならそれで良いの? こちらの都合は無視ということ?」
昨日は私に「子供について気負うな」と言っていたのに、話す相手と状況によっては都合よく主張を変える。こういうところは、いかにも口と頭の回る商人らしくて面白い。母を納得させるために商会のことを持ち出しただけだということは分かっているから、別に気にしないけれど――。
自分の想いとカガリの都合ばかり押し付けてくる母が、「こちらの都合は無視なのか」と色んなことを棚上げして問いかけてくるのも笑えた。それに、心の弱い母がこんな大男相手に食って掛かる必死さも。一体どれほどカガリが愛しいのか……本当に恐ろしい。
「セラスの幸せをひとつも願わないおばさんにだけは、言われたくありません。あなたが想わない分も、せめて俺が彼女を一番に想わなければ――そうでなければ、セラスは『幸せ』の吊り合いが取れないでしょう? 本来こんなことで損得勘定を持ち出したくはありませんが、今の彼女はあまりにも損をしている。割に合っていない」
ゴードンはそのまま「価値あるものには当然、正当な評価と値段がつけられるべきですよ」と、どこまでも商売人らしい価値観を示した。
大変ありがたいお言葉だけれど、私は内心、彼の中でつけられている『セラス』の価値はひとつも正当ではないだろう、と笑った。市場価値を大きく上回った、転売ヤーもビックリの法外な値段がつけられているに違いない。
「セラスは強いから、なんとも思わないわ! それにカガリの姉なんだから、あの子のために生きるのは当然じゃない!」
「強いと思っているのはあなただけだ、セラスは弱くないが強くもない。姉だから妹のために人生を賭けろというのも、おかしな話ですし」
「おかしくない! おかしくなんてないわ……! カガリは1人じゃ生きられないの、すごく弱い子なのよ……!」
悔しげに顔を歪める母を見て、ゴードンは肩を竦めた。
「――とにかく、ここでこうして話していてもラチが明きません。本気でこの婚姻に反対すると言うならば、旦那さんとカガリ、俺の両親も交えて両家で話し合いましょうよ」
「そ、それは……」
「まあ正直、「散々世話になった商会に対して、恩を仇で返した恥知らずな一家」と街の笑い者にされることは間違いありませんし、そうなるとカガリも後ろ指を差されるでしょうね。……俺の個人的な思いを言っても、最悪の状況になった場合はセラスとの結婚を邪魔された復讐をせずには居られません」
それではまるで、タチの悪い脅迫のようではないか――と、乾いた笑いが漏れた。
どうも母は、喧嘩を売る相手とタイミングを間違えてしまったらしい。それでもめげずに、今にも泣き出しそうな顔で「でもカガリが泣いているのよ、カガリが可哀相……」と繰り返している。
――私はふと、昨夜のことを思い出した。
今までに見たことがないくらい大泣きしていた可愛い妹。これ見よがしに転んで泣いて、私が助け起こしに来るのを待っていたあざとくて憎らしい妹。
カガリは悪くない、諸悪の根源はこの家庭環境。それは分かっているけれど、昨日は母に責められたことや、ありもしない嘘を持ち出されたことが邪魔をして、あの子の存在そのものを疎ましく思ってしまった。
ただでさえ甘えん坊だし、まだ幼いから話しても理解できないだろうと、結婚について一度も話さなかった。そのせいで、いきなりカガリを置き去りにして出て行った薄情な姉だと思われているのだろうか。本気で「捨てられた」なんて思って泣いているのだろうか。
一度、きちんと会って話をするべきかも知れない。だからと言って実家に戻ろうとは思わないけれど、別に無実の妹とまで縁を切りたいとは思っていない。
私のせいで妙な心の傷を負ったまま成長してしまったら、さすがに憐れだ。それにあの子と話をして私の結婚に納得してもらうことで、頑固な母も考えを変えるかも知れない。とにかく同意書にサインさえもらえれば、あとのことはどうでも良いのだから。
「――ねえ母さん。私はもう実家に行きたくないから、カガリを商会に連れて来てくれないかしら? あの子自身も外の世界を見たがっていたし、学校も休んだならちょうど良いじゃない」
「え!? で、でも、まだ子供なのに働きだしたら……!」
「だから、子供にできるような仕事は今ウチにないの。それに、あの甘えん坊が働ける訳ないでしょう……そう育てたのは母さんよ。連れて来てくれたら、休憩時間中にあの子と話すわ。カガリが納得して泣き止めば、それで良いわよね?」
首を傾げれば、なぜか母よりもゴードンが不安げな顔をして私を見下ろした。言葉こそなかったけれど、腫れぼったい目が心配そうに「本当に大丈夫か?」と問いかけてくるようだ。
きっと、私が家族と関わりをもつことを心配してくれているのだろう。私のことが好き過ぎる彼としては、もう今日この日に母たちと縁を切って欲しいレベルなのかも知れない。
――こうして身を案じてくれるゴードンが居るからこそ、私は耐えられるのだ。そんな彼との結婚に、ほんの少しも禍根を残したくない。私は誰よりも幸せな花嫁になり、『経理』になり、そして母親になるのだから。
数十年後にはこれら全てを笑い話にできるように……そのためには、やはり家族の問題を片付けたかった。
ゴードンに脅され、私に反抗されて困窮した母は、結局「あとでカガリを連れて来るわ」と呟いて姿を消した。とにもかくにも、愛しい娘を泣き止ませることを優先したのだろう。
私たちは顔を見合わせてから大きなため息を吐き出すと、商会へ足を進めた。そして入口で好奇の眼差しを向けてくる職員たちに、朝の挨拶と商会前を騒がせたことに対する謝罪をしたのだった。




