7 交錯する思惑と企み
ローザの仕事部屋では虫の息のロバートに、ローザが何度目かの問いかけを行っていた。
入ってから10分も経っていない。
「ねえ、いいかげん、アリスの居所をしゃべったら?」
「……」
答える気力もないようだ。
「スージングミューズ(癒しの女神)」
ローザが唱えると、ポシェットから女神の人形が飛び出し、ロバートに温かい光を当てた。すると、ロバートの傷はみるみる回復していき、意識も取り戻した。
「これでしゃべれるわね。」
目を薄っすら開けたロバートは、目の前にいるローザを認識すると、途端に恐怖の悲鳴をあげた。
「も、もう、ゆるしてくれ!」
「じゃあ、しゃべる?」
「わかった。なんでもしゃべる。」
べそをかきながら答えるロバートに、もうちょっと楽しませてと言う残念がる気持ちを半分残して、ローザは同じ質問をした。
「アリスはどこにいるの?」
「その女は、ルミュエールがアルカイトス様の居城に連れていった。」
「アルカイトス?」
「われらの主だ。」
「その城はどこにあるの?」
「それは…」
ロバートが言葉を続けようとしたとき、その口が急に固まった。
「どうしたの?また、だんまり。」
ローザがロバートに近づこうとしたとき、ロバートの頬が膨らみ、いきなり大量の血を吐いた。
「!」
咄嗟に後ろに飛び退いて吐血を避けたローザの目の前で、ロバートの腹が大きく膨れ上がった。
「シールド・オブ・タイタン(巨人の盾)」
危険を察知したローザは、すぐに巨人を呼び出し、目の前に盾を構えさせる。
同時に、ロバートの腹が爆ぜ、大量の血と内容物とともに異形の生き物が飛び出してきた。
「こいつは…」
巨人の後ろで、その異形の生き物を観察したローザの脳裏に、ある種類の魔物が浮かんだ。
「腹魔虫」
動物の体内に寄生し、その生き物の魔量を餌に成長し、やがて体外に飛び出す。次の獲物に自身の分体を寄生させるために。
そいつがローザを獲物と定めて身体を向けた。
バッタのような身体の横についた6本の足を器用に動かし、目も鼻もないのっぺらぼうのような頭に唯一ついている口を大きく開けている。そこには人間の歯のようなものが並び、ローザに向けて、臭い息を吐いてくる。
「臭いわね。」
ローザが顔をしかめたのが勘に触ったのか、腹魔虫はいきなりローザに飛びかかってきた。
鈍い衝撃音とともに巨人の盾と衝突し、跳ね返される。
すぐに起き上がると、ローザの隙を見つけるように、ゆっくりと移動する。
わずかな睨み合いの後、いきなり腹魔虫の口から緑色の液体が放出され、巨人の盾にかかる。途端に盾が白い湯気をあげて、溶け始めた。
しかも湯気には毒性もある。
「くっ」
ローザに毒はきかないが、その匂いに辟易し、思わず鼻を抑える。それが腹魔虫の姿を一瞬隠すことになった。
その隙を狙って、腹魔虫が壁から天井へ登る。
上からローザめがけて腹魔虫が飛びかかった。
大きく開けた口がローザに迫る。
溶けた巨人の盾は役に立たない。
「トラップズ・チェンバー(密室の罠)」
腹魔虫がローザの頭を齧り取ろうとした瞬間、部屋の壁から棘のようなものが飛び出し、四方から腹魔虫を刺し貫いた。
激痛からか、ガラスを爪で引っ掻いたような声が、部屋中に響く。
「ああ、うるさい!」
耳を塞ぐローザに向かって、腹魔虫はなおも攻撃をかけようともがくが、刺し貫かれた棘のせいで身動きが取れず、ただもがくだけだ。
それを見て、ローザは大きくため息をつき、
「あんたは、あたしの趣味じゃあないからバイバイね。」
と、言い残してローザは部屋を出ていった。
後ろでは相変わらずの不快な声で腹魔虫が鳴き叫ぶ。
「密閉」
壁にあった扉が徐々に小さくなり、やがて消えて無くなった。同時にあの不快な声も聞こえなくなった。
「ご苦労様、何かわかった?」
部屋から出てきたローザに、プリムラはさっそく成果を聞いてきた。
「アリスは、アルカイトスとかいうやつの処に連れていかれたみたい。」
「アルカイトス?」
初めて聞く名前にプリムラは首を傾げた。
「そう。親玉みたいよ。」
「で、そいつはどこにいるの?」
「それを聞こうと思ったら虫が出てきて、肝心のおじさんが死んじゃったのよ。」
「虫?」
「そ、あたしの趣味に合わない虫だったから、部屋ごと潰しちゃった。」
そう言って、ローザはプリムラの用意したビスケットに噛り付いた。
プリムラはローザの言うことがいまいち理解できない。
「すると、アリスの居場所はわからなかったってわけ?」
「そうなるね。」
ローザは他人事のように答えると、プリムラはため息をつく。
「しょうがないわね。」
「あれ、そういえばミルンはどうしたの?」
ローザはミルンがいないことに初めて気づいた。
「あんたのお楽しみを聞いて、外へ逃げちゃったわよ。」
「だらしないわね。」
「ま、それだけじゃあないと思うけどね。」
呆れているローザに、プリムラは意味深なことを言う。
「え、どういうこと?」
「シャドウに後をつけさせているけど、あいつ、ただの浮浪児じゃあないわね。」
プリムラの言うことに、今度はローザが首を傾げる。
プリムラたちがイースドアに出かけた後、夜明けを待っておれとアウローラは聖地に向かって飛び立った。
リンデールから聖地までは馬車で1日の行程。
アウローラの翼ならゆっくり行っても小一時間で着く。
聖地は深い森に囲まれた湖を中心とした地。
近くには聖教会、リンデール、バルトシュタインそれぞれの公人が宿泊する建物と三者が合同で礼拝する聖堂、あとはそれらを管理する小さな屋敷があるだけだ。
「きれいな湖ですね。」
アウローラが上空を旋回しながら感想を述べる。
けっこうな高さを飛んでいるから、下からは気づかれないだろう。
「そうだな。まさしく聖地と呼ぶにふさわしい湖だな。」
「どこに降りますか?」
「あの建物の反対側に降りよう。見られると面倒だから隠れ身魔法を使うぞ。」
「畏まりました。」
そう返答すると、アウローラは建物の反対側の湖畔にゆっくりと降りていった。むろん、二人とも隠れ身魔法を使ったうえでだ。
湖畔に降り、間近で湖を見ると、その荘厳さが改めて伝わる。
あくまで深く蒼色で染められた水面。
辺りに喧騒はなく、ただ、岸に打ちつける波の音と遠くから聞こえる鳥の声。そして、風のわたる音しかしない。
「ふう~、心が洗われるようだな。」
「しかし、なぜ、ここが聖地と呼ばれるのですか?」
「この世界の始まりがこの湖だからだよ。」
「え?」
「伝承によると、この地に神が降臨し、この湖に恩恵を与えた。これを飲んだこの地の先住民が知恵と力をつけ、文明を築き、国を興した。ま、そんなところだ。」
「ほんとうなんですか?それ。」
「作り話に決まっているだろう。」
「そんな作り話を信じているんですか?人間は。」
アウローラは呆れたような顔をした。
「国の頂点に立つ者や教会の天使たちは、自分の祖先や教理を神格した方が、民を統率するのに便利だから利用しているのさ。」
説明しているおれも同じように呆れて、肩をすくめる。
「でも、この湖の美しさだけは本物ですね。」
「そうだな。」
そう言いながらおれは辺りに気を配る。
アウローラも気づいたようで、森の奥の方に目を向けた。
「どうやら、隠れている者がいるようですね。」
「こちらに危害をくわえるようなことはないようだな。時がくるまでじっとしているということか?」
「どこの手の者でしょう?」
アウローラが隠れている者を見つけ出そうと、探索魔法をかけようとしたのを、おれが止める。
「やめておけ。変に刺激しないほうがいい。」
「そうですか。でも、ティアラには連絡を入れておいてもいいでしょう?」
「そうだな。」
おれが許可すると、アウローラは早速ティアラに念話を入れた。
同じ頃、サリーの屋敷では明日の聖地巡礼の準備で大わらわであった。
そんな騒がしさを他所に、ティアラはゲストルームでのんびりとしている。そこへアウローラから念話が入った。
「はい、ティアラです。」
『ティアラ?アウローラよ。』
「アウローラ、いまどこに?」
「聖地よ。ご主人様といっしょに。」
アウローラの言葉には、おれとの二人っきりの喜びがその端々に滲んでいた。
「そうですか。羨ましいですね。」
落ち着いた返答だが、心の中はざわついている。
「うふふ、なんか悪いわね。私ひとりだけご主人様を独占して。」
「自慢するために念話をくれたんですか?」
ティアラの口調に少し怒りが混じる。
「そうじゃないわ。聖地に少し不穏な空気が流れているからお知らせしようと思って。」
「不穏な空気?」
そのとき、部屋の外で複数人が怒鳴りながらかけていく音が響いた。
「ちょっと騒々しいので、静かなところに移動します。少し待っててください。」
そう言い置くと、ティアラはフランス窓を開け、中庭に出る。そして、背中から羽根を出すと、上空へと飛び上がった。
サリーの屋敷で最も高い屋根に降りると、アウローラを呼び出した。
「待たせてすみません。」
「そちらは慌ただしいようね。」
「ええ、明日の聖地巡礼のためにいろいろ準備をしているようです。それで、不穏な空気というのは?」
「聖地のある森に何者かが潜んでいる。」
「何者か?だれです?」
「あまり刺激しないようにと、深くは探ってないけど、たぶん、この聖地巡礼を襲うための伏兵かもね。」
「伏兵ですか?」
その言葉にティアラは考え込んだ。
「なにか、心当たりがあるようね。」
「そうですね。しかし、待ち伏せとはずいぶんとベタなたくらみですね。」
「どうする?やっつけちゃう?」
「いえ、少し様子を見ましょう。狙いがいまいち絞れないので。」
「そう、こちらでも探ってみるわ。もうちょっと具体的なことがわかるかもしれない。」
「お願いします。」
「じゃあね。」
念話は唐突に切れた。
ティアラは屋根の上でしばらく思案する。明日の聖地巡礼のことを。
ミルンは立ち竦んでいた。
プリムラとローザの元から逃げ出してきた彼は、イースドアにはいられないとバシュトの居酒屋に来てみたが、そこは瓦礫の山と化していた。
「どういうことだ?」
あの二人が突然、ロバートといっしょに隠れ家にやって来たときから嫌な予感はあった。
しかも、ローザがロバートを尋問するようだったので、アルカイトス様の居場所が漏れる前に始末するために、飲ませた水に腹魔虫の卵を混ぜておいた。それでロバートだけでなく、運が良ければローザもいっしょに始末できるかもと、期待を残して隠れ家から逃げ出してきたのだ。
しかし、肝心要のバシュトの店がこのありさまだ。
「まだ、転送陣が無事かもしれない。」
ミルンは急いで、瓦礫を掻き分け、地下室への扉を探し出そうとした。
だが、熱中するあまり、ミルンは周りの警戒を怠り、自分をつけているシャドウの存在に気が付かなかった。
ようやく瓦礫の中から地下室の扉を見つけた時、はじめて自分を監視するもの、シャドウの存在に気づいた。
急いで振り返り、朝日から逃れるように残る闇を凝視する。
「いつからそこにいる?シャドウ!」
誰何すると、闇が揺れ、影が逃げるように駆ける。
「アイス・ソーン(冷たき棘)」
ミルンの右手から氷の針が打ち出される。
地面が凍りながら弾ける。
アイス・ソーンはとめどなく打ち出され、シャドウは必死に逃げ回る。
「逃がさねえぜ。」
逃げる先、逃げる先にアイス・ソーンが打ち込まれる。
シャドウは目まぐるしく動き回り、ミルンから逃れようとした。しかし、それも徒労に終わる。
壁を伝い、屋根の上に逃げようとしたシャドウの前に、いつのまにかミルンが立ちはだかった。
「ッ!」
「捕まえた。」
残忍な笑みとともに、ミルンの右手がシャドウの頭を掴まえる。
「タ、タスケテクレ!」
「だめだ。裏切り者は生かしておけない。」
ミルンの右手に魔量が集まる。
シャドウの身体が細かく震えだしたときだった。
「その手を離してくれる?」
ミルンの目の端に見おぼえるのある豊満な姿が映った。
「おまえ……」
今度はミルンの全身に震えが走る。
目の前にいつの間にかプリムラが立っていた。
「どうしてここに?」
「それは、こっちが聞きたいことよ。ここで何をしているの?ミルン。」
いじわるな目つきで見つめるプリムラに、ミルンは思考をフル回転させる。なんとかごまかして、ここから逃げ出すために。
「気分転換の散歩だよ。この辺はちょくちょく来るんでね。」
作り笑いでなんとかごまかそうとするが、無理がある。
「ふーん、散歩ね。ま、いいわ。それよりシャドウを離してくれる。」
「あ、ごめん。これ、おねえさんのペットだったの?てっきり、悪さをする魔物かと思って。」
プリムラに言われて、ミルンはシャドウを離してやった。シャドウはすぐにプリムラの影のなかに潜り込む。
「……」
「もし、用事がなければ帰るね。眠くなってきたから。」
ミルンはその場を離れようとしたが、その首根っこをプリムラが掴んで離さない。
「もうちょっと付き合って。ミルン。」
やさしげに懇願するプリムラの口調に、ミルンの顔から血の気が引いた。
「なに?」
「ねえ、アルカイトスって奴の居所を知らない?」
「えっ…?」
ミルンの顔に驚愕と焦りが貼りつく。
「あの男の口封じをしたあなたなら知ってるでしょう。」
「い、いやだな。おれが知るわけないじゃあない。」
「そんなうそ、私には通じないよ。」
「うそじゃあないよ。おれは何も知らない。」
ミルンはか弱い少年という態で、プリムラに返答した。
「そう、あくまで知らないというのね。」
プリムラの目が怪しく光る。
「おれを信じてくれよ。」
「ローザにも同じことが言える?」
プリムラの視線が別の方を向く。それをたどると、別の家の煙突にローザがちょこんと座っていた。
「やっほー。ミルン君。私と遊ぼうか?」
ミルンに向かって手を振るローザの口元は、プリムラ以上に邪悪に染まっている。
その頃、イースドアからはるか北の地。バースエンドのほぼ中央に位置する王城がある。この地を支配する魔王アルカイトスの居城だ。
その城の更に北側に作られた離れ家。
その一室でアリスは目覚めた。
はじめ、アリスは自分のいる場所が理解できなかった。
天蓋付きのクイーンサイズのベットは、あくまでも豪華で、その周りには高級とひと目でわかる家具が置かれており、ジュータンは複雑な模様のあるペルシャ風。天井にさがるシャンデリアは、クリスタル製で暖かな灯りを部屋に届けている。
窓はすべて緑色のカーテンが引かれており、外の様子はわからない。
アリスにとっては、見たこともない部屋であり、なぜ、自分がここにいるのかもわからなかった。
いや、それより、自分の事がわからない。
名前はなんとなく憶えている。
しかし、それ以外の記憶が霧の彼方で思い出せない。
「目が覚めたかい?」
不意の声に驚いたアリスは、辺りを見廻した。
その蒼い目に映ったのは、ドアの前に立つ背の高い青年。
ブロンドの髪を肩まで垂らし、紺色の王族風の服を着こなした紳士、アルカイトス。
彼には口元に微笑みを浮かべながら、上半身だけ起き上がっているアリスに歩み寄った。
「気分はどうだい?」
馴れ馴れしい言葉遣いだが、アリスには不快感はない。
いや、その声には聞き覚えがある。
「あなたは……だれ?」
顔を寄せるアルカイトスを見つめながら尋ねるアリスだが、その顔にも見覚えがある。
「おや、忘れたのかい?」
アルカイトスがベットの端に座り、甘い声をかける。
その顔がアリスの瞳一杯に映る。
(どこかで見たことがある。)
それは寝てる間に、何度も呼びかけた相手。
脳裏に浮かぶその姿は、ピントが合ってないようにはっきりしない。
(でも、私の大切な人。)
それだけは確かにわかる。
「どう、思い出した?」
アルカイトスの額が、アリスの額に触れるほどに近づく。
その瞳を見ているうちに、アリスの脳裏に浮かぶ姿にアルカイトスの姿が重なる。
(この人…私の大切な人は…この人…?)
アリスの中で、アルカイトスが自分が呼びかけた相手だという思いが広がる。
「ぬ・し・様…?」
「そう、君の大切な人。」
アルカイトスの言葉がアリスを確信に導く。
「主様」
思わずアリスがアルカイトスに抱きつく。
その行動にアルカイトスは、満面の笑みを浮かべた。




