8 いろいろあったけど、誕生日旅行は無事終了……
アクレアースの姿を見降ろしている魔王ジンに動揺はない。
その前に佇むアウローラは、そんな魔王ジンの姿を冷めた目で見つめていた。
二人はなにもしないまま、アクレアースとアリスの戦いを眺めていたのだ。
「お仲間さんが死んだようね。」
アウローラが冷たい口調でジンに語りかけた。
それに対してジンは薄ら笑いを浮かべる。
「あやつは仲間でもなんでもない。われの僕にすぎん。」
「あら、冷たいことを言うのね。」
「僕は主人の役に立ってこそ存在意義がある。勝手に死んだ者に掛ける情けはない。」
「ふーん、じゃあ、あいつの責任はあなたにとってもらうわね。」
アウローラの全身から殺気が陽炎のように立ち上る。
しかし、魔王ジンはあくまでも冷静だ。
「われと戦うというか?後悔しても知らんぞ。」
「気を使ってもらわなくてもけっこうよ。」
「そう── か‼」
ジンの背後から黒く長いものが、疾風のごとくアウローラに襲い掛かった。しかし、アウローラはそれを片腕で弾き返した。
生き物のように動く黒いそれは、ジンの尻尾であった。
「なかなか、やるようじゃな。」
「大人しく殺されるなら多少情けをかけなくもないけど、抵抗するなら楽には死ねないわよ。」
「我を殺すというか?笑止な。」
「笑ってられるのも今のうちよ。」
アウローラの背中の翼が左右に大きく広がる。
ひと羽ばたきすると、いきなり猛スピードでジンに迫った。その勢いのまま右拳をジンの顔面に繰り出す。
それをジンは、頭を傾けただけで躱す。
同じスピードで拳を引くと同時に、左拳が顔面を狙う。
それも紙一重で躱す。
「ふっ」
嘲笑とともに、アウローラの頭上からジンの尻尾が、すさまじい勢いで墜ちてきた。
「竜の尾の一撃」
激しい衝撃音が周りの空気を震わせた。
ジンはアウローラが肉塊になって地面に落ちたと思った。しかし、現実はジンの尻尾を片手で受け止めている姿だ。
しかも、その顔は余裕さえ見える。
「躾のなってない尻尾ね。」
ジンの尻尾を握りしめる。
途端に激痛が走った。
「離せ!」
アウローラに蹴りをいれて、その反動でその場から後退する。
二人の間に距離があいた。
「逃がさないわよ。」
アウローラがにじる寄るように、ゆっくりと近づいてくる。ジンの額にいやな汗がにじむ。
「おまえの強さに免じて、本気を出してやる。」
ジンの体中から黒い靄が噴き出してきた。それがジンを包み込み、徐々に大きくなっていく。
やがて、アウローラの目の前に巨大な漆黒の竜が出現した。
「暗黒竜か…」
その目は、何の恐れも驚きもない、無関心の冷たさを見せていた。
しかし、無表情のアウローラをジンは、恐怖のために竦んでいると捉えた。
「恐怖で身を焦がし、後悔で泣き叫んで死ね。」
ジンの口が大きく開く。
「暗き負の吐息」
黒い、暴風のような、吐息がアウローラに向かって一直線に放射された。
それを躱しもせず、まともに受けるアウローラ。
爆発するように黒い吐息が弾け、一瞬、その場が闇夜のように暗黒に染まった。やがて、霧が晴れるように暗闇は晴れ、元の清浄な風景が見えてくる。
ジンは、アウローラが消し飛んだと確信して、まともにその方向を見ない。そのため、消し飛んだはずのアウローラが、目の前に存在するのを確認するのに、数秒遅れた。
「なに⁉」
自分の目に映るアウローラは、見たことのない盾を構え、悠然と空中に浮遊していた。着ている浴衣に破れひとつもない。
「私に竜王の盾を構えさせるなんてやるじゃない。」
その笑みは余裕だ。
しかし、ジンもそれを嘲笑で返す。
前触れもなく、横からジンの尻尾が黒い疾風となって襲い掛かった。しかし、慌てることなく、アウローラはそれを持っている盾で防ぐ。
すさまじい衝撃音とともにジンの尻尾が大きく弾かれた。
弾かれた尻尾は、軌道を変え、再度アウローラに襲い掛かる。
それも盾で弾き返す。
三度、四度とジンの尻尾の攻撃は続く。
だが、結果は同じであったが、ジンに焦りの色はない。かえって不敵な笑みさえ見える。
何度目かの尻尾攻撃を弾き返したとき、別の方向から黒く長いものがアウローラに迫ってきた。
不意をつかれたアウローラは、躱すのが一瞬遅くなり、その長い物に絡まれてしまった。
見れば、それはジンのもう一本の尻尾であった。
「ふふふ、尻尾は一本と決めつけるのはよくないぞ。」
サディスティックな笑いを口の端に浮かべたジンは、アウローラに絡まる尻尾に力を込めた。
岩をも砕くほどの力がアウローラの全身にかかる。
「降参するなら一瞬で絞め殺してやるぞ。そうでなければ苦痛にもがいて死ぬことになる。さあ、選べ。」
当然、ジンは前者を選ぶと思っている。
しかし、アウローラの返事はそのどちらでもなかった。
「確かに油断したわね。反省しなくちゃならないわ。でも、これで終わったなんて、あなたも気が早いわね。」
そういうと絞める尻尾の内側から外への力がかかり始めた。
「無駄な抵抗だ。」
ジンの侮った言葉は、すぐに凍り付くことになる。
その尻尾が妙な形に膨れ上がったのだ。
やがて膨れすぎた風船が割れるように、ジンの尻尾が粉々に千切れ飛んだ。
その一部は呆然としたジンの顔にぶつかる。
目の前には口元に残忍な笑みを浮かべるアウローラが立っていた。
「次はわたしよ。」
アウローラが別空間の箱に手をねじ込むと、そこから出てきたのは一振りの剣であった。
刃渡りは90センチほど。龍の頭をかたどった柄に、まっすぐ伸びる諸刃、その色は象牙色。およそ切れ味するどいとは見えぬ剣であった。
しかし、それを見るジンは、なぜかしら言い知れぬ不安、恐怖、警戒心が同時に胸のうちに湧き上がり、混じり合った。
「いくわよ。」
アウローラの飛ぶ速度が徐々に上がる。
「寄るな!」
ジンのまわりに四つの球体が出現した。
「極大なる四属性息吹!」
球体の中から風・火・水・土の属性をもつ息吹が、同時にアウローラに向かって放射された。
しかし、四属性の息吹は竜王の盾によってことごとく弾き飛ばされた。
「暗き負の吐息」
ジンの口から黒い息吹がアウローラに吹き付けられた。
それをアウローラは正面から剣で真っ二つに斬り裂く。
左右に流れていった息吹の間を、アウローラがまっすぐ飛んでくる。
本能的にジンの爪がアウローラを薙ぎ払おうとした。
それをアウローラの剣が掃う。
ジンの右腕が飛んだ。
剣の切っ先が光跡を描いて、流れる。
左腕が飛び、両足が回転しながら落ちていった。
一瞬のうちにジンは両手両足を切断され、ダルマのようになった。
「ぐあぁぁ───‼」
ジンの牙がアウローラを頭から噛み砕こうとする。
それを下顎から剣で串刺しにし、そのまま押し上げる。
のけぞった形になったジンの胸に、アウローラの蹴りが入った。
強大な衝撃音とともにジンの巨体が吹き飛び、その拍子にアウローラの剣が顎から抜けた。
その巨体は城の横に広がる山脈のひとつに激突した。その衝撃で山肌に亀裂が入り、がけ崩れが連続して起こった。
山肌に埋もれた格好のジンに向かってアウローラが飛んでくる。
「いいざまね。」
「おま…え…は、だ…れだ…」
「私はアウローラ。」
「アウ…ロ……ラ?」
ジンは身を起こそうと身体を動かす。
「さすが、ティアマットね。しぶといわ。」
さっさと剣と盾を別空間の箱にしまったアウローラは、腕を組んで、ジンを見下ろした。
「きさま…、王国の…勇者か?それとも聖…教会の…聖女…か?」
「どちらでもないわ。ただ、おまえが私の一等大切なご主人様を傷つけた。だから万死を与えた。」
「ご…しゅ…じん…さま?」
ジンの中でその言葉の意味を理解しようとしたが、一言一句も理解できない。ただ、目の前に自分を滅しようとしている存在がいるということだけは、理解できた。
そして、油断していることも…
ジンの中の自己再生能力がある程度の能力を回復させた。手足は元に戻っていないが、息吹はだせる。
相手は自分の間近にいる。
しかも剣も盾もない。
この距離なら避けることも、躱すことも、弾き返すこともできない。
(勝ったつもりか。馬鹿女が)
たとえ、圧倒的な力で叩きのめされようとも、膝を屈しようとも、最後に生き残った者が勝者なのだ。
アウローラはジンが虫の息だと感じて、その場を去ろうと背中を見せた。
チャンスだ。
ジンの口が大きく開く。
「暗き負の吐息!」
黒い息吹が吐き出され──ることはなかった。
その寸前、アウローラの振り向きざまの一閃が、ジンを縦一文字に断った。
魔王ジンは反撃することもできず、縦にふたつになったまま絶命した。
アウローラは、いつの間にか取り出した竜王の牙と名付けた剣を軽く振ると、別空間の箱に再び戻した。
「万死を与えると言ったろ。」
蔑みの一瞥を与えると、アウローラは愛しのご主人様のもとへ急いで飛んでいった。
アウローラがアリスとともに戻ってきた。
二匹の竜が倒されたことは、すでにわかっている。
おれは、ティアラとともに瓦礫と化した城跡のそばに降り立ち、ふたりを出迎えた。
「ご主人様、お待たせしてすみません。」
アウローラが軽く頭を下げる。つられてアリスも頭を下げた。
「せっかくの誕生日旅行だったのに、台無しにしてしまってすまなかったな。」
おれは、アウローラに申し訳なさそうな顔であやまった。その謝罪にアウローラは慌てた様子で手を振った。
「おやめください。悪いのはあの魔竜どもです。」
「そう言ってくれると、気持ちが軽くなるが。ところでプリムラとローザはどうした?」
おれは心配そうな顔で瓦礫の山を見上げた。
三人も同様に見上げる。
「逃げ遅れたようですけど、大丈夫でしょう。」
「そうですね。死ぬような玉ではないですよ。」
「それには同意します。」
三人が三人とも心配など欠片もしていない。
「ご主人様、もうお城に戻られますか?」
「そうだな。温泉も瓦礫の下だし、帰るか?」
「そうしましょう。」
アウローラの提案におれとアリスはすぐに同意した。ただ、ティアラだけは浮かぬ顔をしている。
「どうした?ティアラ。」
おれが尋ねると、ティアラは唇に指を当て、瓦礫の山をじっと見つめた。
すると、瓦礫が細かく振動を始めている。
やがて、その振動は大きくなり、突然、中央部分が爆ぜるように吹き飛び、辺りに粉塵が舞い上がった。
おれたちは粉塵から逃れるように空中に飛び上がった。
もちろん、おれはアウローラに抱かれて飛び上がっている。
空中に浮遊したおれたちは、舞い上がる粉塵の中から見覚えのある建物がせり上がってくるのを目撃していた。
ローザ所有の白亜の邸宅だ。
それが瓦礫の中から浮き上がるように出現したのだ。
「ローザの館じゃない。びっくりした。」
アリスが驚いた顔を照れ笑いで隠しながら、ベランダへと降りていった。おれとアウローラ、ティアラも同じように続く。
ベランダからフランス窓を開けて中に入ると、ローザが頬を膨らませて走ってきた。
「置いてくなんて、ひどい。」
ローザはおれに抱きつくと、顔を埋めて泣き始めた。
「悪い、悪い。置いていくつもりなんかないよ。」
おれは慰めるように、ローザの頭を撫でた。
それを見ていたアウローラは、後ろからローザの襟首をつかみ、おれから引き離した。
「はいはい、泣きマネはそのくらい。ところで、プリムラは?」
「あ、プリムラなら…」
そう言いかけた時、リビングのドアが乱暴に開けられる大きな音がした。全員一斉にその方向を見ると、プリムラが自慢のエプロンを汚して立っていた。
「プリムラ、どうしたの?」
アウローラが尋ねると、プリムラは明らかに怒った顔でリビングに入ってきた。その足取りは、まさにドスンドスンという音がぴったりの歩き方である。
「どうしたのじゃあないわよ。せっかく作った料理が台無しよ。」
プリムラが怒りながらその目に涙を溜め始めた。
怒りと悲しみが綯交ぜになっているようだ。
「旦那様とアウローラのために温泉に合う料理を作ってたのに、突然、建物が崩壊して、料理はめちゃくちゃだは、台所はぐちゃぐちゃだは、私の服はべとべとだは、散々よ。」
よごれたエプロンを握りしめ、この怒りをどこへぶつけようかと、殺気をたぎらすプリムラに、おれはそっと抱きしめた。
「よしよし、大変だったな。せっかくのプリムラの料理を台無しにしたやつは、アウローラがお仕置きしておいたから、もう怒りは収めて、おれたちのためにもう一度、腕を振るってくれないか?」
プリムラの頭をなでていると、プリムラから殺気はすぐに消え、とろけたような笑みを浮かべた。
「プリムラは怒ってなんかいませんよ。だんな様のためなら何度でも料理を作って差し上げます。」
「そうか、ありがとう。」
おれが精一杯微笑むと、プリムラは頬を上気させて、恥ずかしそうに俺から離れた。
他の娘たちもそんなプリムラを微笑ましく眺めていた。
「さ、帰ろうか?」
おれが言うと、ローザが残念そうな顔で首を傾げた。
「パパ、温泉はもういいの?」
「ああ、ローザのおかげで十分、堪能したよ。」
「そう」
ローザはまだ物足りなさそうだが、おれの言うことに納得したような態度をとった。
「みんな、忘れ物は無いか?」
「はい!」
元気のいい五つの声が重なった。
「警戒装置、城まで物質転送だ。」
おれの命令に警戒装置が了解の返答をした。
軽い振動とともにローザの白亜の豪邸ごと、おれたちは城に転移した。




